2015年05月07日

魅惑の百人一首 64 権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)


【権中納言定頼】(ごんちゅうなごんさだより)

朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えにあらはれわたる瀬々の網代木

   あさぼらけうじのかわぎりたえだえにあらわれわたるせぜのあじろぎ





          sadayori.jpg
            天山書画





権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)は
まだ幼さのこる和泉式部の娘、
小式部内侍(こしきぶのないし)
をからかって大江山の名歌を詠わせた御方。


前出の悲恋貴公子、
左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)と
ほぼ同時代を過ごした
大納言公任(だいなごんきんとう)の息子様です。


小倉百人一首の撰者定家の念頭には当然の事ながら・・・
常に源氏物語があり、特に宇治十帖の悲恋物語が・・・
根底に流れている


「宇治にまかりて侍りけるときよめる」
と、前書きの上にこの和歌があり、これは、宇治の里の風情を淡々と詠んだだけの叙景歌と思われますが、その内側には当時の都人の宇治への憧憬が見え隠れしている。


大納言公任の歌も・・・・・・

“瀧の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こへけれ”

タナボタ和歌とはいえ、自然の情景をおおらかに詠んだものでしたね。

父の血を受けて和歌に巧みなこの権中納言定頼の作品もすばらしい叙景歌なんですが、宇治十帖の悲恋を背景に思えば、また一段と深い味わいがあろうと言うもの・・・・。
つまり、源氏宇治十帖の主役たち、薫と大君、そして大君に生き写しの浮舟との悲恋物語を念頭に置いて前作 左京大夫道雅の

“今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてなれでいふよしもがな”

前斎宮当子(さきのさいぐうとうし)と
名門貴族道雅との悲恋歌を詠ませ、その後にこの定頼の宇治の歌を持ってきた、・・・
と云う訳で、

恋の哀歌に叙景歌を続けることで
背後にある物語を連想させられ・・
深い余韻を与えられてしまう・・
そんな、仕掛けになっているのであります。



宇治は今でも有名観光地・・・・
平等院があることで知られていますが
平安の当時は良き遠足の地。

宇治川の清流を眺めに
朝霧の宇治に遠出・・・
なんて、
めちゃくちゃお洒落なデートスポットでありました。














posted by 絵師天山 at 17:37| Comment(5) | 百人一首
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