日本武尊(やまとたけるのみこと)
享年30歳。
その辞世
嬢女の床の辺に吾置きし つるぎの太刀 その太刀はや
をとめのとこのべにわがおきしつるぎのたいそのたちはや
この和歌に対する絶賛は、かの、
保田 與重郎(やすだよじゅうろう)によって成されています。
戴冠詩人の御一人者より
“・・・・日本武尊の能煩野(のぼの)に至って病急になったときの御歌である。
『歌いおへて即ち崩(かむあが)りましぬ』と記の作者はつたへてゐる、
私は武人としてその名顕な日本武尊の辞世にむしろ耐へがたい至情を味ふのである。
かういふ美しい相聞歌を何人の英勇が歌ってその名に値したか、
わが神典期の最後の第一人者、
この薄命の武人、光栄の詩人に於いては、
完全に神典の自然な神人同一意識と、古典の血統意識とが混沌してゐた。
紀によれば尊その時齢三十歳とある。
武人の最後に、別れてきた少女を思ひ、
少女の枕辺に留めてきた太刀を思ひ、
その太刀はや と歌う、
武人でなくて可能であっても、詩人でなくては不可能である。
日本の自然と人間の心を示した最も優れた典型の詩である。
をとめの、とこのべに、わがおきし、つるぎの太刀、その太刀はや、といふこのことばの響きも調べも、まして詩情するものも、優にやさしく繊細の極である。
しかもそれは最後の歌であった。・・・・・”
★
数多の戴冠詩人のうち
私は明治大帝の御製が好きで
明治神宮へ参拝すれば必ずおみくじをひきます・・
明治神宮のおみくじは普通の吉や凶ではなくて
和歌が書かれており、それはすべて明治帝の御製、
女性に対してのそれは、すべて昭憲皇太后さまの御製、
どのような心境の折であっても
自己のその時の心境に合致して
なぜか不思議にも、より高次元の自己実現を
懇切に温かく示唆して下さるかの様な和歌であり
どうして解るんだろう?
と怪しむほど適切な和歌が必ず選ばれて
・・提示され・・・・・暫し打たれて、
心改まる思いを幾度味わったかしれません。
しばらくは大切に財布に入れ
そのまま何か月も入れっぱなしだったことも
明治大帝は、皇后さまとともに和歌がお好き。
生涯に詠まれた御製は、なんと!
10万首を優に超える・・・
昭憲皇太后さまだって3万以上
名歌秀歌は枚挙にいとまがないほど・・
それは素晴らしい名作ぞろいの10万首超。
あの乃木大将も和歌がお好きで
詠んでは陛下に添削していただいた・・・とか。
近代を代表するとされる歌人、斎藤茂吉
この名人が生涯に詠んだのは2万首にも満たない・・・
数は問題にはなり得ない、?
かもしれないが、
そうそう10万以上もの和歌を詠めるものではありません。
近代日本の指導者と仰がれた明治大帝は
還暦を待たずに崩御されましたので
単純に計算しても
ずいぶんお若いうちから年間2000首以上詠まれておられたことになる
毎日5首・・・・?以上・・・
御心労打ち続く日露戦争の最中ですら
スラスラと詠まれた・・・
文字通り、苦もなく
言霊を慈しむかのように・・・
やはり、
比類なき武人であり詩人であられた。
戴冠詩人が嗣出する比類なき国
と
・・・本来それも世界文化遺産では?!
と先回申しましたが、
万葉集を見ればそれは明らか。
万葉集に集録された
皇室の歌人を数えれば
天皇御十方。
太子御五方
皇后御三方
皇子御十五方
皇女御十一方
さらに
諸王と申すべき御方は四十八人
女王二十三人・・・・・・・・
天智天皇、聖武天皇、高市皇子、倭姫皇后、磐姫皇后、志貴皇子、長皇子、大津皇子、弓削皇子、舎人皇子、有間皇子、・・・・
・・・・・・驚くべきことですね。
額田王(ぬかだのおおきみ)の様に、
現在まで大いに喧伝されている御方もおられますが
御名前からすれば神宮の御神鏡をお守りする大役を担われた?
笠縫女王(かさぬいじょうおう)においては
僅か一首のお歌が遺されたのみ、
あしひきの山下響め鳴く鹿の言ともしかもわが心夫
あしひきのやましたとよめなくしかのことともしかもわがこころつま
(万葉集・巻八 1611番)
「言ともし」、とは言葉が慕わしい・・・
だが、この一首だけで
誰にも心懐かしい思い出を与える、
まことに慕わしい御製
それこそ、数ではありません。
勿論、万葉集に限られたことではなく
現在でもなお宮中歌会始が正月に催されるように、
戴冠詩人が嗣出する比類なき国
森鴎外晩年の名歌を思い出します
夢の国燃ゆべきものの燃えぬ国木の校倉のとはに立つ国
ゆめのくにもゆべきもののもえぬくにきのあぜくらのとわにたつくに
大名君にお仕えした大名臣なればこその日本賛歌であります。
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