2015年04月22日

魅惑の百人一首 63   左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)

【左京大夫道雅】(さきょうのだいぶみちまさ)

今はただ思い絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな

   いまはただおもいたえなんとばかりをひとづてならでいうよしもがな






            mitimasa.jpg
             天山書画






みっともないくらい未練たらたら・・・
・・・のこの歌、

こうなってしまった今
せめて自分の口から
君をあきらめる とだけでも、
言えたらよいのに・・・


作者藤原道雅は左京大夫。
左京区の区長さん?・・・左京職長官様、であられます。

内大臣伊周(これちか)の子、
伊周は道隆と儀同三司の子。

道隆は道長の兄であり・・・
あの、中関白(なかのかんぱく)家当主でしたね。




「伊勢の斎宮わたりより まかり上りて侍りける人に忍ひて通ひける事を おほやけもきこしめして まもりめなどつけさせ給ひて 忍びにも通はずなりにければ 詠み侍りでる・・・」
とあり、
つまり、伊勢の斎宮様が御上洛の折に秘かに通って、お上の御怒りを受けた時の歌。

伊勢の斎宮は内親王殿下ですから・・・
御身御心すべてを神宮に捧げられた大役
その御方に心を寄せてフラチにも手を出すとは・・・・

トンデモナイことで・・・・けしからん!!!!
と云うわけですね・・・
めちゃめちゃ 道ならぬ恋



三条院の第一皇女 
当子内親王様は伊勢の斎宮の任を終えて帰京。



栄華物語にはこの前斎宮と三位中将、後の左京大夫道雅との悲恋物語が描かれています。



かくて前斎宮 いと若き御心地に、この事(道雅が通ってくるうわさ) いと 聞きにくくおぼさるれば いかにせんと人しれずおぼし嘆かれて 御覧ぜし伊勢の千尋の底の空せ貝 恋しくのみおぼされて しほたれわたらせ給ふに、げにわりなき御濡衣も心苦しさに三位中将は跡絶えて、わりなくのみ思ひ乱れて、風につけたるにや かく参らせたりける

榊葉の木綿四手(ゆふしで)かげのそのかみに押し返しても似たるころかな

人しれぬ事も多かめれど世に聞こえねばまねびがたし また高欄に結びつけ給へる

みちのくの緒絶えの橋やこれならむ踏みみ踏まずみこころ惑わす

宮、ふるの社の(皆人の背き果てにし世の中にふるの社の身をいかにせむ)など おぼされて、あはれなる夕暮に御手ずから
尼にならせ給ひぬ・・・




あーーーーあはれ・・あはれ、
御自ら落飾に・・・・・
道ならぬ恋の果て・・・髪をおろしてしまわれた・・・

そして三位道雅は断念の言葉をせめて自分の口から伝えたいと、絶唱された・・のでありました。

はじめに、
みっともないくらい未練たらたら・・・
と申しましたが、
数ある王朝悲恋物語の中でも慟哭の離別と云えるレベルの、切なる哀歌です。

道雅24歳。
中関白家の栄光は既に消え、政治的にも社会的にも不遇となった貴公子が、
その鬱屈した情念を恋に求めてさらに叶わなかった・・・・誠、残念無念!
断腸の思い・・・・
お気の毒・・・としか・・・・






posted by 絵師天山 at 06:00| Comment(0) | 百人一首
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: