2015年04月15日

魅惑の百人一首 62 清少納言

【清少納言】(せいしょうなごん)

夜をこめて鳥のそらねはかはるともよに逢坂の関はゆるさじ

   よをこめてとりのそらねはかはるともよにおうさかのせきはゆるさじ





            seisyounagon.jpg
             天山書画





さて、大江山の小式部内侍(こしきぶのないし)
八重桜の伊勢大輔(いせのたいふ)
年若き才媛が続きましたが、
こちらは云わずとしれた有名人、清少納言様。

小憎らしいまでの才気が光ります。

とかくクールビューティーとされる清少納言ですが
案外茶目っ気もありまして、枕草子人気が廃れないのもそのウィットに時を超えた普遍性が備わっているからでありましょう。
誰もが、それもそうだ・・、ごもっとも・・、と共感してしまう・・・


この歌は藤原行成とのやりとりの末に出たモノ。

書に於いては三蹟とされ、多芸多才で聞こえた藤原行成と
枕草子作者との応酬として知られております。


“大納言行成、物語などし侍りけるに内(内裏)の御物忌にこもれば、とて 急ぎ帰りて つとめて 鳥のこゑは函谷関のことやといひつかはしたりけるを、立ちかへり これは逢坂の関に侍るとあれば 詠みはべりける”と、詞書。


史記にある孟嘗君(もうしょうくん)の故事を踏まえています。
孟嘗君に騙されて深夜の開門をしてしまった函谷関の番人ならいざ知らず、あなたと私との逢坂の関は下手な鶏の鳴きマネくらいでは越えられませんよーーー! とやったのですね。

シナ戦国時代の斉の孟嘗君が秦に使いし、殺されそうになって、深夜に函谷関まで帰ってきたが、この門は鶏が鳴かぬ内は開けない掟であったので部下の鶏の鳴きマネの上手い者にやらせた処 門が開いて逃げおおせることが出来た、と言う故事です。

男性からすれば、口実を設けて女の局へ 昨夜は鶏に追い立てられて、などと下手な言い訳を贈りつつ 言い寄った・・・
女性からすれば、こういう煮え切らない態度は心外・・・鳥の空音と男の不実とが重なる・・・

で、それって函谷関のことかしら? と、皮肉ってやると
いや、逢坂の関に侍り居ります・・・などと
云い訳の上塗り・・・失態を重ねた挙句
意気地があるなら本音で越えて御覧なさい!
と・・・・憫笑されるハメに・・・。


哀れ憫然・・・・この勝負 行成の完敗。
ま、しかし、オトナの男女のやりとり、
王朝の雅なる局風俗を活写しているのでありましょう。


“逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか”

藤原行成の返しも少々蛇足気味。
ヤケッパチの感が・・・

清少納言の魅力にはとてもとても・・・・






posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(4) | 百人一首
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