2015年03月20日

日本画らしい日本画   続きの続き

日本画の筆にはさまざまあって、


最近薦められたモノに20連筆・・・というのがあり、


連筆(れんぴつ)とは丸筆を横に並べてくっ付けたもので・・・
つまり、20本の丸筆を横並びにしてくっ付け合わせ、
真ん中の二本の軸を残してあとの軸は切り取った・・・・
シロモノ!


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何に使うかと言えば
明治以前にはなかった新岩絵の具を
分厚く塗りこめるときに便利。
天然岩絵の具でも粒子の荒い絵の具を
広い面積にムラなく重ね塗りする用・・・・


額縁絵画の申し子みたいなものであります。

宮内不朽堂という筆店の新作であり、
このブランドは専門家は皆が知っている老舗・・・
この店の新商品はなかなかに人気があり、
若い人などはこれに憧れる・・・


だが、私に言わせればこんなものは
べつに、要らん・・・
不用?・・・どころか全く、ケシカラン存在で、
(別に不朽堂に恨みがあるわけじゃあないのですが・・)
額縁絵画奨励品としての広告塔みたいなものなので
日本画らしい日本画にはちょっと・・・

実に驚くやら呆れるやら・・・・

西洋風に魅せられ
本来の日本画=大和絵をないがしろにし
欧米に学び、いかに先取りするか・・・
が、最優先課題で、・・・大流行だった時代、
後に名をなした大家巨匠達もまだ若かったころ・・・

薄塗りで勝負しなければ認められなかった掛け軸から解放されて
いくら厚塗りをしても叱られない額縁絵画を見出し
新しい挑戦状をたたきつけ、
どんだけ厚塗り出来るかを試しているときに
この連筆は産まれたのです。


それが進化して20連・・・・・!!

目新しい技法を模索していると
自然の欲求で新しい道具も産まれる・・

で・・・・画面を立てかけて
この連筆にたっぷりと粒子の荒い岩絵の具を含ませ
画面に当てれば、引力によって連筆から絵の具が画面に下りて行き
流れ出す絵の具を上手くコントロールすれば
あら不思議・・・・いわゆる流し塗り!の出来上がり。

引力を使って面白いマチエールを生みながら平均に厚塗り出来る絶好のアイテム!!

皆こぞって連筆に注目し・・・不朽堂も大いに潤った。

が、この流し塗り、・・・・・
一定に出来るムラ、をコントロールし引力で流れ落ちる作用を利用して気持ち良く荒い岩絵の具の重ね塗りが出来るのは良いけれど、致命的な弱点があって、上手く出来るようになると誰でも同じマチエールが出来てしまう・・・・つまり、筆技によって生まれる個性は全否定されてしまう。


上手くなると皆同じ絵肌になるので、始めは面白がって得意になる人が続出したけれど、ある程度こなせるようになると誰でも飽きる。
誰がやっても同じ結果・・・だから・・・描いている本人が飽きる・・・ので、見せられる方は・・・もっと飽きる。
その人でなければできない表現に魅せられて、絵画の魅力を追いかけるものなのに、・・・金太郎あめみたいな絵肌では・・・・・・見慣れてしまえばその魅力は急激にしぼむんです。

それでも、初歩の段階で古典的な掛け軸技法、【薄塗りで深みを出す】訓練をした後に連筆に出会った一時代前の巨匠達は、基本の技法が出来ているから連筆で金太郎あめ表現になってしまっても、他ににじみ出てくる風合いがあり、ゆるぎのない深い味わいがあった・・・
が、基本が何もない人が連筆の威力に魅せられてしまうと、その偶然性に頼る癖がついてホントのその人でなければ表せない表現を求める姿勢は去勢されてしまう・・・・誰が描いたのかわからない・・・・皆同じだから区別がつかない・・・つまるところ見事に、没個性なる劣化現象が顕れる・・わけであります。


喜ぶのは厚塗りによって沢山絵の具が売れる絵の具屋と、連筆で儲かる筆屋。だが、見る人が飽きれば描く人も使わなくなるので、結局嬉しさも一時的でしかない・・・・


 



≪胡粉は使わない≫≪墨は久しく擦ったことがない≫

とウソブク、自称日本画家も激増しています!!!


絵具店に並べられた絢爛豪華な岩絵の具を連筆・・などを駆使し
写実的にべたべた塗りまくるのが現代風の日本画!
・・・と勘違いしている人が溢れてしまった・・・
日本画らしくも何ともないのに日本画をやってますと言い放つ。


墨を擦って線描をし、そこへ胡粉に混ぜた絵の具を薄く塗り重ねてゆく・・・
掛け軸時代にはそれ以外になかった・・・のに・・・


典型的大和絵技法は完全に捨て去って、
そんな技法の存在することすら知らずに、・・・

胡粉と墨は無用の長物である。
とする・・・・
自称日本画家達は
日本画を描いているはずの自分でさえ
日本画の独自性が何なのか解らないのに
それでも日本画だと言い・・・

日本画だと思いたい・・・・

実に馬鹿馬鹿しいほど欧米の呪縛に囚われ
しかもそれを決して放そうとしないから
不思議なくらい縛られている事に気付かず
何でもかんでも欧米のフィルターを通さないと気が済まない
し、そこから抜け出そう・・とも思えなくなっている。


それどころか、我先に目先の新しさ(=未経験な自分にとっての新しいこと)には飛びつき
真の芸術に新旧など有り得ない、という鉄則は完全に忘れる。

現代アートという造語は環境ホルモンと同じようなもので
現代的錬金術のスローガンでしかないのに
ツラレル・・・・・水玉婆のように・・・?
アートに現代を付けた時点で既にオモイキリ怪しい・・のであります。


始めは誰にも描けない、夢の様な独自の絵画を創作したいという真摯な心だったのに
そこへ向かうルートからはるか遠くへと、自分から離れてしまうことがままあるので・・・。

もう少しマシな日本画らしい日本画を目指したいもの・・・・



かく言う私も人の事は言えません・・・けれど・・・

日本画とは大和絵のことであります。

ごく当たり前な・・この事に
・・・早く気付かないと・・・・・。






【日本画の真髄の最新記事】
posted by 絵師天山 at 00:30| Comment(2) | 日本画の真髄
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