うま味を引き出す魔法の様な・・・魅惑のお出汁・・・
漆椀に盛られた透明なお吸い物などがその典型、
見て良し食べて良し、
たった一椀で、あらゆる人を唸らせることさえ出来る。
その繊細華麗なお吸い物に限らず、
お出汁文化である日本食は世界を席巻するくらいの
ダントツの存在感を誇る・・・
本来の日本画もそれと同じ。
いや、同じでなければならない・・・・はず。
錬金術とか、市場性、・・権威の象徴・・
威圧のための武器、自由を奪うための道具
支配するためのアイテム・・・等々
美術と称した醜術だらけの世界にあって
日本画だけはホントに美しいものなのであります。
いや、
ホントに美しいものでなければ日本画ではありません。
日本食の中核がお出汁であるように、
日本画の核は筆技。
前回にも語りましたが・・・・
つい百年くらい前までは、現代人が全員携帯を持っているように幼児以外すべての日本人は筆を持って暮らし、識字率は常にダントツ、勤勉なる国民性ですから、当然皆が日常茶飯事、筆で字を書いた。
絵を描かないまでも筆で字を書くのはごくごくありふれた日常だった。
筆しかないから・・・・
で、字の上手下手が当然の関心事であって、
下手な人はいつも上手くなりたくて、
字で人に後れを取るのは恥だった。
誰もが矢立(ヤタテ)という、
墨壺と筆がセットになっている便利な携帯筆記具を持って外出し、
どこの家にも硯と墨と筆、
文房具の三点セットが二つ三つ当たり前にあり、
小さな子でも墨をする事は当然のお手伝い・・・
すべての人が繊細な筆に慣れ親しんでいた・・・
現代人は、
小学校で書道をかじるから簡単な書道セットを揃えるが、
書き初めの宿題でも出なければ、家で墨を擦ることもなく
めったに筆を使うこともありません。
学校の授業で水彩絵の具は使うが、
字を書く筆とは違って塗沫・・・
ぺたぺた塗る為の筆であり大雑把な構造でしかなく
字を書く筆のように筆技が上達する様な性質の筆ではない。
さらに、
学校の授業では殆ど日本画を教えることはないので
学校教育からは、全く筆技を学べない。
物ごころついて美術に興味があっても
おおよそはアニメーションとか油絵とか・・・
筆技を伴うモノは身近にはない
昔は、器用な人もそうでない人も
筆を日常的に使うことで手技が自然に磨かれ・・・
人の巧拙も理屈抜きに理解できた・・・のに
今は、イケメン書道家がもてはやされ、
ときめいているばかりで
イケメンかどうかは分かるが
字の良し悪しは分からない・・・・、
とにかくカッコさえ良ければ
筆を操っているだけで凄い人扱いになる。
書道や日本画に使われるいわゆる丸筆は、
いのち毛を中心に複雑巧緻な構造を持ち、
熟練の筆師でなければ生み出せない繊細なる道具。
概ね書道は筆の持ち方があって
紙に向かってどのような角度で筆を用いるかなど
決まり事があるが
日本画に於いての筆は
手に持つ位置とか画面に対する角度とか、
千差万別のTPOがあって、
場合によって柔軟な対応が必須となり、
熟練は相当に難しい。
日本食はお出汁を生み出すことが決め手であるように
日本画の妙味は筆技にある。
が、なかなかにこのポイントが解らない。
筆らしい筆を持ったこともなく使う事もないから
日本画を志す人でさえ
その重要性に気がつかない時代になってしまった。
筆の重要性をいくら説明しても
経験に乏しく、実感がなさすぎて・・・
理解には遠く及ばないし、もちろん使えない。
美術大学でさえ筆技は教えない
教えられる先生も殆ど居ないし
結果全国の美術大学日本画科は
日本画を描いているつもりの人であふれ
筆技の伴った本来の日本画を描ける人が
マジホントに・・・居なくなった。
これは大変なことなんで、
退行現象以外の何物でもありません。
今や絶滅危惧種・・・・
自然の恵みを最大限に活かした素材から
研ぎ澄まされた熟練の技でお出汁を取る
そんな日本食のベテランは
まだまだ巷に溢れているけれど
他方、人体に害になるような似非素材から
まやかしの旨味を売りつける
ブラック企業も氾濫し・・・・
それは、
まるで
日本画を描いてるつもりの似非日本画みたい
数は沢山あるけれど・・・
ちっとも美しくありません。
【浄闇】第99回院展出品作品
同、部分