めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かげ
めぐりあいてみしやそれともわかぬまにくもがくれにしよわのつきかげ

天山書画
源氏物語作者紫式部
実は名歌人でもあった事は隠されがち。
源氏物語そのものが数多の和歌で綴られており、文章そのものもまるで和歌を連らなりの様に美しく麗しいことを知らない人が多いので・・・・
訳文ばかり重宝される似非文化迎合時代である事が非常に残念なのであります。
原文あるいは原文に近い形で源氏物語を楽しむという様なユトリ、余裕があまりにも無さすぎるから致し方ありません。
非常にバランスの取れた、
極端には走らない・・・
けれども、心の抑揚感だけは見逃さない、
そんな秀歌を産み出す大名人であることは間違いありません。
従ってこの人の代表作を絞り込むことは至難・・・
藤原定家はさすが、良くこの歌を選んだな!
と、感心させられるばかり・・・
見しやそれともわかぬまに・・・
この曖昧さ、中途半端さ・・・
決めかねている感じが、何とも落ち着きが悪くて、
だからそれが却って良いのですね・・・
夜半の月光が雲に隠れたり出たり・・・
夜中の時間経過が、しみじみ、伝わってきます。
めぐりあいの忘れ難さ・・・
心に残る、
月はイコール彼氏?なのでしょうか・・・
それとも・・・・?
前書は
「はやくよりわらはともだち侍りける人の、年頃へてゆきあひたる、ほのかにて七月十日ころの月にきほひてかへり侍りければ」
・・・とあり、
幼馴染が男であったのか女であったのか?
夜半には沈んで居なくなってしまう頃の月と
幼友達とを掛け合わせて、
さらに、七夕の余情をも描き込んでいる。
なかなかプロフェッショナルな歌なんですね。
中愁にはまだ間があって
上弦の月の物足りなさを仄めかせ・・・・
さらなる名月を想起しているのであります。
申すまでもなく、名歌中の名歌、と言えましょう。
上東門院=中宮彰子に仕え、
道長にも一目置かれていたと言う才女、
さて本当の処はどんな女性だったのか?
藤原宣孝と結婚し大弐三位(だいにのさんみ)を産んだとされていますが、
その実像は??
和泉式部程のダイレクトさはないけれど、
用意周到、水も漏らさぬ配慮はどこで培ったものか・・・
世にも不思議なる陰陽師
阿倍清明にゾッコン入れ揚げていた事、が・・・
どういう人物を作ったのか?
実に、興味は尽きないところであります。