【儀同三司母】 (ぎどうさんしのはは)
忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな
わすれじのゆくすえまではかたければきょうをかぎりのいのちともがな
(天山書画)
永遠に忘れない!
と言う誓いも・・・変わらないとは限らない・・・・
けれど、・・・・
そう誓って下さる今日を限りの命であってほしい・・・・・
何という清い心根でありましょう。
この作者【儀同三司母】は、本名高階貴子。
やんごとない、尊い御身分の女性です。
名族高階家の息女であり、円融院にお仕えし、
高内侍(こうのないし)と呼ばれました。
内侍(ないし)とは、女中のこと、
女中といっても勿論宮中のことですから、
天子の御側にてヨロズ御用をお勤めする役。
その頭目を尚侍(ないしのかみ)と言い、
その次を典侍(ないしのすけ)と言い、
その次を掌侍(ないしのじょう)と言います。
そして、この掌侍は四人あり、
四人の内第一の掌侍を勾当の内侍(こうとうのないし)と言い、
勾当内侍の居る役所を長橋局と言う。
残る三人の掌侍は、上に氏を付けて、源内侍、藤内侍、などと言う。
つまり高階家出身の掌侍さま、だから高内侍。
中関白道隆の妻となり、伊周(これちか)、隆家、一条天皇后定子、を産んだことで知られております。
字儀通り、めちゃくちゃ高貴なお方!
儀同三司と言う、解りにくい熟語の意味は、儀は儀礼の儀。
同三司は、三公、大臣に同じ、という意味で、
つまり准大臣。
大臣扱いの人・・・のこと。
この場合は息子伊周が儀同三司であったので、その御母様、ということになります。
本名で呼べばよいのに、と思われるかも知れませんが、この呼称の方がよりこの御方らしさがにじみ出ているのでありまして、高階貴子・・と言ってしまっては野暮、&失礼・・・。
この和歌は新古今集恋三の巻頭にあり、
『中関白かよひそめ侍りけるころ』との前書き。
中関白(なかのかんぱく)は、藤原兼家の長子藤原道隆。
あの道長の実の兄・・・
つまりコチラも位人臣を極めた名門中の名門、の御曹司!
いわばハイソサエティー同士の交際が始まったところ・・・
逢い初めて燃え上がったまま、死んでしまいたいのよー!とオッシャッたのでした。
結局結ばれ、名族の子孫を産んでゆくので、
一時は人も羨むお立場に・・・
そんなにも恵まれた出自なのに、
今ここで死んでしまいたい!
と、あっさり詠嘆してしまうのが・・・さらに純!?
当時は、藤原氏の極盛期を控え、
父子兄弟謀り合う権勢争いに明け暮れていた時期。
中関白道隆も、弟道長に謀られ、伊周、隆家兄弟は流嫡の憂き目に合い、母貴子の晩年は不遇。
マサカ騙し騙される修羅場を迎えるとは・・・思いもよらない純な心でした。