2015年01月29日

魅惑の百人一首 53


【右大将道綱母】 (うだいしょうみちつなのはは)

嘆きつつ独り寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかはしる

   なげきつつひとりねるよのあくるまはいかにひさしきものとかはしる



 
         mitituna.jpg
          天山書画





こちらの朝はなかなか来ないようですが・・・・

逢瀬の充実と時間の推移とは正比例するもの・・・ですが、
思いが届かない場合は反比例。
同じ24時間でも時により場合によってずいぶんと差がつくものなのでありましょう。

蜻蛉日記の作者【右大将道綱母】は本当は何と言う名前だったのでしょうか?

藤原兼家の側室となって、道綱を産んだ女性。藤原家の繁栄を支えたおひとり・・・

藤原兼家は、道長のお父さん。
道綱は道長の腹違いの兄弟。


この和歌からすると藤原兼家との仲は今一つ、
兼家が他所へ泊って、自分の処に明け方戻り門をたたいたが、開けなかった・・・ら・・・又他所へ泊りにいってしまった・・・その翌日の歌。

イヤミですかね? しかも、この歌は兼家からの言い訳的贈歌に対する返歌で、ことさら色褪せた菊の花を添えた!
・・・そうで、いやー、兼家の当惑ぶりが思われます。

蜻蛉日記にはそのあたりの事実関係があらわに記されていて、この歌の兼家の返歌は

げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり

もう、バンザイ・・・勘弁して下さーーい!
ですかね。


しかし、嫉妬される内は愛情がある証拠。
あながち薄幸の女性と決めてしまうことも出来ません。
事実、息子藤原道綱は正妻腹道長ほどではないにしても・・大納言まで登り詰める訳ですから、母としての幸福感も人一倍感じたことでありましょう。その上、今だに蜻蛉日記は人々を楽しませているのですから、社会人として大成功者である、とも言えましょう。


気丈な女の恨み事・・・?と言うよりも、いわゆる可愛い女の歌と言えるのかな・・・
このとき兼家27歳、作者19歳。道綱が産まれて二か月ほど経った頃でした。


 

posted by 絵師天山 at 10:00| Comment(3) | 百人一首
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