2015年01月15日

魅惑の百人一首 50


【藤原義孝】(ふじわらののりたか)

君が為惜しからざりし命さえ長くもがなと思ひけるかな

    きみがためおしからざりしいのちさえながくもがなとおもいけるかな




            yositaka.jpg
              (天山書画)





前書きは、「をんなのもとよりかへりてつかはしける」・・・とあり、
こちらも後朝(きぬぎぬ)の歌。

あなたの為なら命も惜しくありませんがお逢いしたあとでは命が長くあってほしいと思うようになりました。・・・・と伝えたのですね。

傍から見れば、「あー、ソウですかどうぞご勝手に好きなようにせい!このリア充め!」、ってなもんで、お熱いこと夥しく、こんな奴は打っちゃっておけ!と言うところでありますが、何と、この貴公子は弱冠21歳でホントに死んでしまった!・・ので、それを知らされると気の毒で放ってもおけない感じがしてきます。

もっとも当時流行した伝染病で急死したので、恋人の為に命をなげだしたのではありません。

作者藤原義孝は、ヨシタカ、ではなく、ノリタカ、と読む説が有力。
それというのもかの西行法師が出家するまえは北面の武士佐藤義清(のりきよ)と名乗っていたのと同じ。

現代の読み方とは違う音訓が意外に沢山ありまして、良子をナガコ、と呼んだり、護良親王をモリヨシでなくて、モリナガ親王とお呼びする事と似ております。

藤原義孝は謙徳公、藤原伊尹(これただ)の三男。
謙徳公は前出しました、摂政・太政大臣にまで上り詰めたその翌年に早逝した少々訳ありの御方・・・でしたね。
兄の挙賢(あげかた)の前少将(さきのしょうしょう)に対して後少将(のちのしょうしょう)と呼ばれました。大鏡には流行病で兄と共に一日で急死した顛末が記されております。有名な書家藤原行成の父、と言った方が解りやすいかも・・・・いずれにせよ藤原氏の公達です。






         
posted by 絵師天山 at 04:00| Comment(2) | 百人一首
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