【大中臣能宣朝臣】(おおなかとみのよしのぶあそん)
御垣守衛士の焚く火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ
みかきもりえじのたくひのよるはもえひるはきえつつものをこそおもえ

天山書画
「御垣守衛士」は、宮中の門周辺を守る衛兵。
夜は保安の為篝火(かがりび)を焚き、
昼になれば当然、消す。
夜に火を焚き昼には消す・・・ように
燃え上がる恋心は満たされず、昼になった様に恋の炎も消えうせて、結局物思いに沈んでおります・・・。
ナサケナイ・・・
「とほほ」な、感じが良く伝わって参ります。
篝火を恋と結び付けてみたのですね。
先回の源重之は岩にぶつかる浪に例えたけれど、コチラは篝火。
その前にも、木の葉の様に波間を漂う船に例えた人も・・・・
実らぬ恋を訴える方法はそれぞれ、様々・・・
実ることがないからこそ・・・歌が生まれる?
「物をこそ思へ」は、物思いすることだ・・・との意味です。
伊勢神宮本宮は、幾重にも垣で囲まれており【御垣内】と言う言葉が視覚的実感として理解し易く、古事記のイニシエより神祇を司る御家柄=中臣氏に産まれたこの大中臣能宣朝臣の恋歌に垣の例えが出てくるのももっとも、・・・であろうと思われるのです。
伊勢神宮での大切な祭祀、神事はすべて夜。
篝火をともしたり消したりすることは浄闇の中の秘儀に実に相応しい。
中臣氏の末裔として自然な連想なのですね。
現代の宮中はおそらく既にLED照明ですから皇居を守る皇宮警察は篝火を灯す事もなく、和歌の余韻を感じさせるような気配は全然無くなってしまったのかも知れませんから、式年遷宮をハイライトとした伊勢神宮の神事は実に尊いものと言わねばならないのです。
前出の好忠も恵慶も重之も、この能宣と同時代を生きた歌仲間=失恋仲間?でありましたが、満たされぬ人恋しさをそれぞれが背負って共に和歌を通して日々の暮らしをポジティブに転換して生きることを楽しんでいたのでありましょう。