2014年12月19日

魅惑の百人一首 45


【謙徳公】 (けんとくこう) 

あはれとも言うべき人は思ほえで身のいたずらになりぬべきかも

   あわれともいうべきひとはおもおえでみのいたずらになりぬべきかも






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天山書画





謙徳公とは、一条摂政藤原伊尹(これただ)のおくり名。

おくり名、とは、その方の生前の功績に対する尊称の様なもので、
尊敬をこめた呼び名でありますが、古来≪徳≫の字が入った御名前には、隠された意味がありまして、
その死後≪徳≫の字が付けられている人は、生前、相当理不尽な・・・めちゃくちゃ不遇扱いをされた人、
なのであります。


・・・生前に、権力闘争か何かで理不尽なるひどい目にあわされた身分の高い人を
その死後、ひどい目に合わせた人々が、自分たちが祟られないように≪徳≫の字を付与して、
畏れた・・・のです。


現代はもうそんな事を知る人も殆ど居ませんから、徳の字が入ったお名前も極普通でありますが、

【聖徳太子】、などはこの典型で、7人の語る言葉を同時に理解した・・・とか、
桁違いのスーパーマンぶりが伝えられ、様々な賛辞に彩られたご一生であられた・・・
ということになっていて、今だに尊崇の的とされておられますが、
・・・≪徳≫の字の上に≪聖≫まで上乗せされたと言う事は・・・
・・・歴史の真実は果たしてどのような?
と・・・・拝察されるのであります。


この作者、謙徳公も、深い事は解りませんが、
太政大臣まで登りつめ和歌所別当(わかどころべっとう)=長官、
ともなり、位人臣を極めた伊尹(これただ)には、何か秘められた不遇があったはず・・・
と、観るべきでありましょう。死後に≪徳≫の字をおくり名されているから・・・・

身分の高い人ほど・・・生前の不遇を強いられた御方に対しては
その死後≪徳≫の字を付けて祟りを鎮めるという習慣がありました。

この作品も思い人に背かれて、逢ってもくれないのを恨んだ・・誠に不遇なる恋歌で
失恋を嘆き、相手の翻意を促し、かき口説くように・・
“死んでしまいそうです”・・・とまで言った訳で、
高位高官であっても意のままにならない事が・・・・まるで、

恋ばかりでなく、人生そのものの不遇を暗示しているかのよう・・・

百人一首に選ばれた歌は必ずしも名歌、秀歌ではない場合があり・・・
選ばれた和歌がその歌人の代表作というよりは、その歌人の人となり、
人生そのものを代弁している様な作品が多く、
この和歌などはその典型ではなかろうか?
と思われるのです。

貞信公忠平(ていしんこうただひら=前出、26)
の孫に当たる一条摂政藤原伊尹(いちじょうのせっしょうこれただ)

“物いひ侍りける女の後につれなく侍りてさらにあはず侍りければ・・・”、
(もの言いはべりける女の後につれなくはべりてさらに逢わずはべりければ)
・・・・・・との前書すらあはれに思えて参ります。








posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(1) | 百人一首