2014年12月17日

魅惑の百人一首 43


【権中納言敦忠】 (ごんちゅうなごんあつただ)

逢ひ見ての後の心に比ぶれば昔はものを思はざりけり

   あいみてののちのこころにくらぶればむかしはものをおもわざりけり




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             天山書画





貴方と契りを交わす以前は・・・
「物思いをしなかったに等しい」
「物思いなどしなかったも同然」・・
である程に、感動的な一夜でした・・・!!
全くもって、スバラシイひと夜を過ごしました!

と、これ以上無いほどの直截な表現。

『はじめてをんなのもとにまかりて又のあしたにつかはしける』
と、前書があります。

スバラシイ一夜が明けた翌日に贈られた歌で、
後朝(きぬぎぬ)と言う奥床しい言葉は、
魅惑の日本語の一つ。

贈る側も贈られる側も生涯の良き思い出となった事でしょう。
≪もののあはれ≫極まる様な思いの深さです。


「後朝」を「きぬぎぬ」と読むようになったのは平安時代、
『通い婚』が普通で男女は同居してはいません。
男性は女性のもとを訪れて、共に一夜を過ごし、
翌早朝のまだ暗いころに帰ります。


夜は互いの衣を重ねて敷き寝ていたが・・・
すぐに・・・・お別れの時間。
共に過ごした短か夜を惜しみつつ、・・・
お互い重ねていた衣を着て別れます。
一晩重なり合っていた二人が離れ離れになる様を「衣衣」、
・・それで、翌朝のつらい別れのことを「後朝(きぬぎぬ)」
と、呼ぶようになったのです。

いと、いと、・・・をかし(ロマンチック)
 
後朝の別れを済ませて家に帰りついた男性は、
「後朝の歌」や「後朝の文」などと言われる手紙を送り届けるのが礼儀。
「こんなに別れがつらいなんて…また来るからね」・・・
なんて言うアツい内容を手紙にしたため・・・
使者に届けさせたのです。
束の間の幸福な時間の余韻が膨らんで、
さらにさらに・・恋の炎が燃え盛る!!
使者を雇わなければなりませんが・・・・
なんて良い時代なんだー!



作者、権中納言敦忠は、
藤原時平の三男。
権中納言の権(ごん)は正官の一歩手前、
仮に任ずる、という意味で、
サラリーマン社会で言えば部長待遇?
みたいな感じでしょうか・・・
正官だと、ただの中納言。
権(ごん)が付けばそれに準ずる位ですよ、
と言う意味で、現代の神官の位にも、禰宜(ねぎ)
と、権禰宜(ごんねぎ)、があるのと同じです。

権中納言敦忠は、琵琶の名人で、
琵琶中納言という別名もあり、才芸、美貌、共に優れていましたが、権勢を誇った藤原時平の子孫であり、かの菅原道真の祟りを被って、長命できなかった(享年38歳)、と言われてます。

いかにも貴公子然とした、大らかな歌いぶりですね。




posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(4) | 百人一首
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