12月14日は赤穂浪士討ち入り記念日。
記念日というのもおかしいが、・・・
我が日本国では、年末は
第九!ではなくて・・・・
とにかく忠臣蔵・・・なんデス!!!!。
赤穂浪士(あこうろうし)とは、言わずと知れた・・
元禄15年12月14日(1703年1月30日)深夜
旧主浅野長矩の仇である高家吉良義央の屋敷に討ち入り、
吉良義央および家人を殺害した、
元赤穂藩士大石内蔵助良雄
以下47人の武士であり・・・・
浅野 長矩(あさの ながのり)は、
播磨赤穂藩の第3代藩主。
官位は従五位下 内匠頭=たくみのかみ。
官名から浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)と呼称されることが多い。
元禄赤穂事件を演劇化した作品群『忠臣蔵』を通じて有名。
吉良 義央(きら よしひさ/よしなか)とは、
江戸時代前期の高家(こうけ)旗本(はたもと)。
高家肝煎(きもいり)・・・。
元禄赤穂事件の一方の当事者であり、
同事件に題材をとった創作作品『忠臣蔵』では敵役として描かれる。
幼名は三郎、通称は左近。従四位上・左近衛権少将、上野介(こうずけのすけ)。
吉良上野介と呼ばれることが多く・・・・
本姓は源氏(清和源氏)。
家紋は丸に二つ引・五三桐(ごさんのきり)・・・・。
『忠臣蔵』とは、・・・・
人形浄瑠璃(文楽)および歌舞伎の演目のひとつである
『仮名手本忠臣蔵』の通称。
また歌舞伎や演劇・映画の分野で、
赤穂浪士の復仇事件元禄赤穂事件に題材をとった創作作品のこと。
・・・・・・
御存じ忠臣蔵・・・・・
この話・・・
実は、
隠された歴史の真実が集約されているのであります。
★★★★★★★★★★★★
日本歴史を天皇から切り離して語りたがるのは戦後の左翼思想
司馬遼太郎に代表されますが・・・・
詰まる所・・反日
天皇は象徴【おかざり】。
国家の一機関・・・と決めつけ・・・無視する!
その実態は・・・・
単なる嫌戦思想、
何が何でも平和だけが後生大事・・・
国が滅んでも
自分の息子だけは絶対戦争に行かせない!!!
国家がなくなっても・・・個人の平和が最高!!!
現実にはあり得ない馬鹿げたワガママが蔓延した・・・
国家の利益と個人の利益とをごちゃまぜにして
識別すら出来なくなった・・
幼児性日本人が蔓延した時からの悪癖。
例えば・・・沖縄の辺野古基地問題にしても、
虎視淡々と狙っている、
シナ、朝鮮、ロシア・・
・・などの侵略意図をマトモに受ければ、
一番困るのは自分達、・・
沖縄県人なのに・・
米軍基地のみならず
自衛隊の駐屯さえ反対すると言う愚かさ・・・
自分を守ってくれる軍隊を不要!・・とする
馬鹿さ加減・・
侵略の意思は未来永劫絶えない・・・という現実認識を
子供じみた上辺の平和思想・・で塗り替えさせられた・・・
いわゆる平和主義沖縄県民の良識??
左翼思想の被害者?
シナから間接的に金もらって反対しとるんだろうが・・・・
・・・・・
しかし、
天皇を日本文化の核、であると、認識した時には
今日、通例とされてきた歴史概念は
180度一変するのが常であり・・・・。
この場合も、
赤穂浪士の討ち入りは単なる仕返し、仇討・・・
とされておりますが、
天皇はお飾りではなく
国家の事実上の中枢であるという認識に立てば・・
忠臣蔵も、全く次元を変えて、
世界的、国家的プロジェクトであった事が見えてまいります。
フランス革命なんぞの比ではない!!
★★★
時の御門は・・・
第113代東山天皇。
御在位:貞享4年3月25日(1687年5月6日) - 宝永6年6月21日(1709年7月27日)
延宝三年9月3日霊元天皇の第四皇子として御誕辰。
天和3年(1682年)3月に儲君となり、12月に親王宣下があった。
天和3年(1683年)2月に直仁親王(崇光天皇皇太子、南朝により廃される)以来300年ぶりの立太子礼を経て皇太子となる。
貞享4年(1687年)1月に元服し、
同年3月21日に霊元天皇の譲位にともない践祚(せんそ)した。
同年4月に即位式をあげ・・・
さらに11月16日には長く廃絶していた大嘗祭『だいじょうさい』の儀式を復活させた。
この背景には朝儀復活や王政復古運動に尽力していた父・霊元天皇の意向が強く働いていた。
諱(いみな)は、朝仁(あさひと)。
立太子の儀、並びに大嘗会(だいじょうえ)は
共に、久しき中絶の儀を再興したもの。
儲君の制はこの天皇をはじめとする。
霊元天皇は修学院離宮をお造りになった後水尾天皇の第19皇子。
つまり、後醍醐天皇親政にのっとり、
幕府統治の根本的誤りを正し
日本古来の天皇親政を図られた後水尾天皇の御意思を
この東山天皇がある程度、結実なされた・・・
そんな時代相・・・
★
次なる天皇は、中御門天皇(なかみかどてんのう)。
第114代天皇、
御在位:宝永6年6月21日(1709年7月27日) 〜享保20年3月21日(1735年4月13日)
中御門陛下は元禄14年、
東山天皇(第113代天皇)の第五皇子として
御誕辰されておられますので、
赤穂浪士討ち入り当時はまだ御幼少・・・ですが
親王宣下、立太子の儀、践祚(せんそ)
即位式を挙行。さらに
元服の儀を・・・・
当時既に
天皇元服は古式に習った
実に稀なことであり・・・
次々に幕府政治の破たんを示す事柄が続き
遂に幕府転覆を画策したのが
他ならぬ赤穂浪士の討ち入りの顛末でありました。
歴史の真実を、そう言う捉え方で収めるのを忌み嫌う時代風潮から
忠臣蔵は単なる興行として、
お話として祭り上げられてきましたが
実は2・26事件に優るとも劣らないクーデターであった!
というのが紛れもない事実。
被害者(・・とされる)、吉良上野介(きらこうずけのすけ)は、
高家、つまり高師直の子孫。
(歴史上では足利尊氏とされてきた肖像画はじつは高師直)
師直(もろなお)と言うのは、
あの足利家の番頭であった高家の棟梁。
御醍醐天皇の親政をとん挫させた張本人足利家・・・
サタンの生まれ変わりの様な足利家の腰ぎんちゃくであり・・・
吉良上野介(きらこうずけのすけ)はその腰ぎんちゃくの末裔・・・
大石内蔵助率いる赤穂浪士は・・・勿論・・・・
楠木正成以下忠臣義士の末裔の選りすぐり・・・であり
三島由紀夫と同様・・・オモイキリ憂国の士・・・
・・・・・・
足利直義も仕組まれて
あるいはみずから仕組んで
ナント!
源頼朝像に化けてますが・・・・

(こちらは有名。源頼朝像とされているのは実は足利直義像=足利尊氏の弟、ねつ造してまで天皇の権威を貶めたかった・・)
反日=反天皇は、オゾマシク
時代を越えて、脈々と続けられてきているのです・・・
(シナ共産党の目標が天皇の絞死刑であるように・・・)
詰まる所・・・
日本文化とは天皇の事
天皇制こそ日本文化であり
世界にその比を見ない価値そのもの
他に価値など何もない・・・ので・・・
日本にとどまらず世界は天皇に始まり天皇に終わる・・
この地球はそれ以外の星ではあり得ない。
宝永四年。
(江戸時代中期の1707年)・・・
討ち入りは1703年・・・・
現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火となっている宝永大噴火(ほうえいだいふんか)が・・・。
クーデターとしての赤穂浪士討ち入りの結果・・・
憂国の四十七士を単なる犯罪人に仕立てて自害させ・・・
クーデターを怨恨事件に貶めた故に・・・
大政奉還し日本文化の拠って来る所以を尊重し得なかった
江戸幕府及び日本国民に対する天譴災異(てんけんさいい)
こそが・・・結果・・・
富士山大噴火として表れたのであります。
従って、東山天皇は中御門天皇に譲位された・・・
当然天譴災異(てんけんさいい)の責任を取られた・・・・
改元することが最大の禊祓いだから・・・・・
討ち入りの時、内蔵助が使用した山鹿流の陣太鼓こそ
日本固有文化そのもの・・・・・・
忠臣蔵=クーデター
眉つばだと思うならば良く御調べ下さい・・
お仕着せられたクダラン概念をヨクヨク取り払って・・・・
曇りなき眼で・・・・
安倍首相率いる自民党がグローバルを翳した途端に
襲いかかる天譴災異(てんけんさいい)・・・
第三の矢は外国頼みだから・・・
詰まる所・・・日本独立を後回しにしたから・・・・
利益と勘違いして外国に日本を売り渡す、
・・・・ことなかれ・・・・
登った木の幹を・・・
自ら切り落とすべからず・・・
愛国の士は何処に・・・・
もし居なければ・・・
再びの富士山大噴火は必至!
タグ:米軍基地 グローバル 忠臣蔵 大政奉還 司馬遼太郎 赤穂浪士 吉良上野介 浅野内匠頭 源頼朝 三島由紀夫 楠木正成 天皇制 2・26事件 修学院離宮 討ち入り 安倍首相 足利尊氏 クーデター 後水尾天皇 天譴災異 大石内蔵助 高家 富士山大噴火 愛国の士 日本独立 第三の矢 山鹿流の陣太鼓 東山天皇 四十七士 自害 宝永大噴火 足利直義 御醍醐天皇 高師直 幕府転覆 天皇元服 親王宣下 立太子の儀 践祚(せんそ) 元服の儀 中御門天皇 大嘗会 王政復古 霊元天皇 崇光天皇 自衛隊の駐屯 辺野古基地 左翼思想 仮名手本忠臣蔵
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