2014年11月17日

魅惑の百人一首 40


【平兼盛】 (たいらのかねもり)

 忍ぶれど色に出にけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで

   しのぶれどいろにでにけりわがこいはものやおもうとひとのとうまで





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 データーがぼけてスミマセン

「物や思ふ」、・・・は、何か考え事してるの?と、
人に問われてしまう程に恋心が顔色に出てしまいました・・・。 

恥じらいもなくのぼせるほどに憧れたお相手は、誰?

それが絶世の美女であろうとなかろうと、
超イケメンだろうとなかろうと・・・・
この場合は誰でも良いので、むしろ恋心そのものを普遍的なものとして表現し得た処にこの歌の凄さがあるのでしょう。
隠せないほどの情熱をほとばしらせるのが恋と言うものなのであります。


この和歌は次出の和歌、 壬生 忠見(みぶ の ただみ)の
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか”と
対にされて「歌合せ」に登場。
その優劣を公に問われたのですが、いずれ劣らぬ恋歌と感ぜられてなかなか勝負が決まりませんでした。


ここで、歌合(うたあわせ)について少し・・・

歌人を左右二組にわけ、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び及び文芸批評の会。
平安時代に始まり、記録にあるものとしては仁和元年(885年)の在民部卿家歌合が最古のものとされる。他に天徳4年(960年)の天徳内裏歌合、建久3年(1192年)の六百番歌合、建仁元年(1201年)の千五百番歌合などが名高い。基本的に「遊び」であるが、平安期には歌の優劣が出世にもかかわる重大事であったため今日行われるような気軽なものではない。また、時代が下るにつれて文学性が高くなり、前述のように「判詞」が文学論・歌論としての位置づけを持つようになった。・・・・・

詳細はウィキペディアへ・・・

優劣を競いあう歌合、盛んなころはそれは華々しい一大イベント!

この二人の対戦では判者の左大臣実頼が優劣を決めかねたくらい両者は拮抗。
上司大納言源高明に判じてもらおうとしましたが、やはり判じ得ず、秘かに天皇のご意見を伺うと、天皇も又、判を下すことが出来ず兼盛の歌を口ずさんでおられたので、実頼は天皇の御意は兼盛の作にある、と見て兼盛の勝ち!としたのです。


倒置法を用い明快に言い切った強い歌ですね。

院展の審査で何百という搬入作品を次から次へと拝見するのですが、時に非常に強い作品が出る。
他の作品を圧倒する強さが入選に有利に働くこともある。
余情とか深みには欠けるけれどコンペとなると強い方が評価されやすい場合もあるのです。



posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(0) | 百人一首
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