【清原深養父】 (きよはらのふかやぶ)
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいずこ(く)に月宿るらむ
なつのよはまだよいながらあけぬるをくものいずこ(く)につきやどるらん

才女、清小納言の曽祖父(ひいおじい)さま。
ひ孫の名声に隠れてますけれど・・・
この作者清原深養父は、
月はいったいどこへ行っちゃった? と、
夏の夜がすぐに明けてしまい、出ていた筈の月がどこかへ消えてしまった、
のを、驚き、嘆じた、のでありましょう。
月に見とれつつ夜更かしし、わずかにまどろんでいる間に白み始め、いつの間にか月の姿も失せてしまった・・・
前書に
「月のおもしろかりける夜、あかつきかたによめる」、とあり
観月の余韻が残っているのに明るくなって消えてしまったあの月は
いったいどのあたりに宿っているのかしら・・・・?! と、
まるで思い人が不意に消えてしまったかの様に詠嘆しているのですね。
名月と言えば中秋。
しかし秋の月ばかりではなく、つい夜更かししてしまう夏の夜、
まだ宵の内と思っている間に、登り入る月は行くへも定まらぬうち
空の方が白けて見えなくなる。
そんな儚い美しさですよ・・・・と表現した感性は
見事というしかありません。
清小納言の明快なる審美的断定のルーツは
このあたりからの遺伝?でしょうか・・・
清原深養父の恋歌には
“虫のごとこゑにたててはなかねども涙のみこそ下にながるれ”
とか・・・
“今ははや恋ひ死なましをあひ見むとたのめしことぞ命なりける”
などがあり、かなりの純情ぶり。
感傷的で、おセンチ・・・
繊細なガラスの神経だったのかも? ・・・
でなければ “雲のいずこに月やどるらむ” などと
名唱し得ないのかもしれません。