2014年11月02日

魅惑の菱田春草 K 究極の癒し 【雀に鴉】


【雀に鴉】

明治43年作
六曲一双屏風
第10回巽画会絵画展覧会出品 
2等銀賞第1席、宮内庁買い上げ





  suzume1.jpg

  左隻


     karasu1.jpg

     右隻
  



明治天皇様が春草をお好きであられた事は有名で、
巷の人々はまだ春草の真価が分からず、
朦朧派のお兄さん・・
くらいにしか意識もしていない折、
既に、明治天皇は各所で開かれる展覧会に於いて
春草の真価を明確に享受されておられ、
御気に入られて度々お買い上げになられました。


春草は明治44年9月、満37歳の誕生日を前にして他界、
明治天皇は翌明治45年7月に崩御されましたので
晩年を同時に過ごしていたことになります。


が、明治大帝は

先立った春草の才能を惜しみ、
遺族に弔意を表し、さらに数点の遺作をお買い上げになって
後、その為に春草作品の値が暴騰したのですが、
春草本人はそのような栄誉にあずかったことも知らず
ホントに苦しみの中で他界してしまうのです。


目が見えなくなって
命まで危ぶまれてから・・それこそ必死の制作に
体調と相談しながら明け暮れてきた訳ですから、

誰でもそうであるように、人の痛みを
痛切に体感しながらの制作であったことでしょう。


それゆえに・・・・・晩年の傑作には、
抜き差しならないぎりぎりのバランスを保ちながら・・
も、・・・しみじみとした哀惜
深々とした思いやり・・・といったものが
強く感じられます。

この【雀に鴉】はその典型。

御在位45年の間殆ど未曽有の歴史の波に翻弄され
日本が国としてのぎりぎりの瀬戸際まで押しやられ
国家存亡という文字通りの苦難を御体験され
堂々とそれを乗り越えられた明治大帝の
晩年の御心には・・・・
平安、安らぎ、安寧・・・を
御求めになるお気持ちが強かった事でありましょう


“四方の海みなはらからと思う世になど波風の立ち騒ぐらむ”

この御製の大御心のまま、
しかし、
御日常にはせめて、平穏な日々を求めておられた、
に違いないのです。


この【雀に鴉】の屏風を座右に飾って居られたことに
そのような御心のあり様も拝察されて参ります。

写真では明確には出ていませんが
背景には仄明るい茜色が施されており

実際に肉眼で見なければ分らない程度の
控え目な茜彩色が、ごくありふれた日常の景を彩っています。

カラスにスズメ・・・
ボタンや富士山ではなく、六曲の屏風として
相当な大作に、枯れ木・・すずめ・・からす・・
いわばマイナーなるモチーフを持って来て
その背景にアカネをほんの僅かに添える非凡さ・・・


絶句してしまうほどの名作が
明治大帝のお手元に寄せられていたのでした。








       suzume2.jpg




     karasu2.jpg






posted by 絵師天山 at 11:51| Comment(4) | 菱田春草
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