本居宣長が古事記を注釈する大著古事記伝を著わすにあたって、所信表明をした文章【直毘霊】が遺されておりその一部をご紹介したいと思います、若干言語表現が分かりづらいこともありましょうが、原文でお楽しみいただきましょう。日本は日本なのであって、外国の影響こそが要らざるものと・・・大切な本質論が説かれております。
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本居宣長著 古事記伝
一之巻
直毘霊(なほびのみたま)より
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・・・・古への大御世には、
道といふ言挙(ことあ)げもさらになかりき、
故れ古語(ふること)に、
あしはらの水穂の国は、
言挙げせぬ国といへり、
其はただ物にゆく道こそ有りけれ、
美知(みち)とは、此の記に味御路(うましみち)と書る如く
山路、野路、などの路に、御(み)てふ言を添えたるにて、
ただ物にゆく路ぞ、これをおきては、
上代に、道といふものはなかりしぞかし、
物のことわりあるべきすべ、萬(よろず)の教へごとをしも、
何の道 何くれの道といふことは、
異国(あだしくに)のさだなり、
異国(あだしくに)は、
天照大御神の御国にあらざるが故に、
定まれる主(きみ)なくして、狭蠅(さばえ)なす神
ところを得て、あらぶるによりて、
人心あしく、ならはし みだりがはしくして、
国をし取りつれば、
賤しき奴(やっこ)も、たちまち君ともなれば、
上とある人は、下なる人に奪はれじ とかまへ、
下なるは、上のひまをうかがひて、うばはむとはかりて、
かたみに仇(あた)みつつ、
古より国治まりがたくなも有りける、
其が中に、威力(いきほい)あり智(さと)り深くて、
人をなつけ、人の国を奪い取りて、
又人にうばはるまじき事量(ことばかり)をよくして、
しばし国をよく治めて、後の法(のり)ともなしたる人を、
もろこしには聖人とぞ云うなる、
たとへば、乱れたる世には、戦ひにならふゆゑに、
おのずから名将おほくいでくるが如く、
国の風俗あしくして、治まりがたきを、
あながちに治めむとするから、
世々にそのすべをさまざま思ひめぐらし、
為(し)ならひたるゆゑに、しか
かしこき人どももいできつるなりけり、
然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、
おのづからに奇(くす)しき徳(いきほい)あるものと思ふは、ひがごとなり、
さて其の聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる、
かかれば、からくににして道といふ物も、
其の旨(むね)をいはむれば、ただ人の国をうばはむがためと、
人に奪はるまじきかまへとの、二つにはすぎずなもある、
そもそも人の国を奪ひ取らむとはかるには、
よろづに心をくだき、身をくるしめつつ、
善きことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、
聖人はまことに善人めきて聞こえ、
又そのつくりおきつる道のさまも、
うるはしくよろづにたらひて、
めでたくは見ゆめれども、
まづ己(おのれ)からその道に背きて、君をほろぼし、
国をうばへるものにしあれば、
みないつはりにて、まことはよき人にあらず、
いともいとも悪しき人なりけり
もとよりしか穢悪(きたな)き心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、
後の人も、うはべこそ
たふとみしたがひがほにもてなすめれど、
まことは一人も守りつとむる人なければ、
国のたすけとなることもなく、其の名のみひろごりて、
つひに世に行はるることもなくて、
聖人の道は、ただいたづらに、
人をそしる世々の儒者(ずさ)どもの、
さへづりぐさとぞなれりける、
然るに儒者(ずさ)の、ただ六経などいふ書をのみとらへて、
彼国(かのくに)をしも、道正しき国ぞ、
といひののしるは、いたくたがへることなり、
かく道といふことを作りて正すは、
もと道の正しかぬが故のわざなるを、
かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ、
そも後の人此の道のままに行なはばこそあらめ、
さる人は、よよに一人だに有りがたきことは、
かの国の世々の史(ふみ)どもを見てもしるき物をや、
さてその道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、
仁義礼譲孝悌忠信などいふ、
こちたき名どもを、くさぐさ作り設けて、
人をきびしく教へおもむけむとぞすなる、
さるは後の世の法律を、先王の道にそむけりとて、
儒者(ずさ)はそしれども、
先王の道も、古の法律なるものをや、
また易(やく)などいふ物をさへ作りて、
いともこころ深げにいひなして、
天地の理をきはめつくしたりと思ふよ、
これは世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ
そもそも天地のことわりはしも、
すべて神の御所為(みしわざ)にして、
いともいとも妙(たへ)に奇(くす)しく、
霊(あや)しき物にしあれば、
さらに人のかぎりある智(さと)りもては、
測りがたきわざなるを、
いかでかよくきはめつくして知ることのあらむ、
然るに聖人のいへる言をば、何ごともただ理の至極(きはみ)と、
信(うけ)たふとみるをこそ愚かなれ
かくてその聖人どものしわざにならひて、
後々の人どもも、よろづのことを、
己がさとりもておしはかりごとするぞ、彼国のくせなる、
大御国の物学びせむ人、是をよく心得をりて、
ゆめから人の説になまどはされそ、
すべて彼の国は、事毎にあまりこまかに心を着(つけ)て、
かにかくに論(あげつら)ひさだむる故に、
なべて人の心さかしだち悪くなりて、
中々に事をししこらかしつつ、
いよよ国は治まりがたくのみゆくめり、
されば聖人の道は、国を治めむために作りて、
かへりて国を乱すたねともなる物ぞ、すべて何わざも、
大らかにして事足りぬることは、さてあるこそよけれ
故(か)れ皇国の古へは、
さる言痛(こちた)き教へも何もなかりしかど、
下が下までみだるることなく、
天下(あめがした)は穏やかに治まりて、
天津日嗣(あまつひつぎ)
いや遠長(とうなが)に伝はり来坐(きま)せり、
さればかの異国の名にならひていはば、
是れぞ上もなき優れたる大き道にして、
実は道あるが故に道てふ言なく、
道てふことなけれど、道ありしなりけり、
そをことごとしくいひあぐると、
然らぬとのけぢめを思へ、
言挙げせずとは、あだし国のごと、
こちたく言ひたつることなきを云ふなり、
譬(たとへ)ば才も何も、優れたる人は、
漢国(からくに)などは、道ともしきゆゑに、
かへりて道々しきことをのみ云ひあへるなり
儒者(ずさ)はここをえしらで、
皇国をしも、道なしとかろしむるよ、
儒者(ずさ)のえしらぬは、萬(よろず)に漢(から)を尊き物に思へる心は、
なほさも有りなむを、此方の物知り人さへに、是れをえさとらずて、かの道てふことある漢国をうらやみて、強ひてここにも道ありと、
あらぬことどもをいひつつ争ふは、
たとへば、
猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、
人の恥じて、おのれも毛はある物をといひて、
こまかなるをしひて求出(もとめいで)て見せて、
あらそふが如し、
毛は無きが貴きをえしらぬ、
痴れ者のしわざにあらずや・・・・・
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