【坂上是則】(さかのうえのこれのり)
朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
あさぼらけありあけのつきとみるまでによしののさとにふれるしらゆき

実に美しい詠唱ですね・・・
古今集、冬の部に
「やまとの国にまかりける時に、
雪の降りけるを見て詠める」
として、この歌が見えます。
有明の月の光と見まがうまでに降り敷いた雪は
おそらく・・・・薄雪あるいは淡雪・・・
でありましょう。
なぜならば・・・
古今集の配列ではこの歌の
前に、貫之の・・・・
“冬ごもり思いかけぬを木の間より
花と見るまで雪ぞふりける”
後に、よみ人知らずの・・・
“消えぬがうへに又もふりしけ春がすみ
立ちなばみゆきまれにこそ見め”
がある、・・・・ので、
両者の間に置かれた位置関係から、
もう春も近づく気配が感じられる雪、
つまり薄雪、淡雪・・・・
と言う事になるからです。
吉野は桜の名所。
数え切れない程沢山歌に詠まれた名所であります。
満開の様子を霞に例えたり雪に例えたりする場合も多く、
古来、吉野という地名を耳にしただけで心が揺さぶられる、
・・・・のは、私ばかりではありません。
有明の月に照らされて?
花びらが舞い散るような気配で、
春遠からずの淡雪が降りしきる・・・・
のですから、凄絶なまでの美しさ・・・
絵になるなー!!!
私の大好きな絶唱であります。
坂上是則(さかのうえのこれのり)は、坂上田村麿の後裔で宇多天皇、醍醐天皇時代の歌人であり蹴鞠の名人として知られており、三十六歌仙のひとり。
御先祖、坂上田村麿(たむらまろ) は武官。
大伴家と共に代々天皇家にお仕えした軍人の代表格。
征夷大将軍となり、蝦夷征伐で勲功を立て、
優れた武人として尊崇され伝説とまでなりました。
菅原道真が文人の、
坂上田村麿が武人のシンボル!・・・・である、
とまで称揚されたのであります。
その子孫坂上是則は・・・・
延喜5年(905年)3月2日、
宮中の仁寿殿において醍醐天皇の御前で蹴鞠が行われ、
そのとき206回まで蹴り続けて
一度も落とさなかったので、
天皇はことのほか称賛して褒美を与えた
・・・・文武両道とはこの人の事ですね!
こういう人とお友達になると絶対楽しい!
人生が豊かに・・・・・・