だが、このわずか百首・・・・・!
という小窓を通して広大な世界を展望することができます。
この百首の向こうには、
古今集以下あらゆる勅撰和歌集の世界が広がって・・・
つまりそれは、平安時代の文化史そのものでありまして、
和歌と作者とで綴る平安朝の歴史絵巻と言っても良いでしょう。
日本文化を凝縮したテキスト。
百人一首に触れ、親しみ覚える内に
各歌に内包している古典文化に接し、
自然の景物季節感に触れ、変わらぬ人情に共感し
知らず知らずの内に日本人としての美意識が醸成されてしまう。
それは正に和歌の徳であり、和歌の力、とも言えましょう。
さて、今回で30回目
あとまだ70首もありますから、
ずいぶん先まで楽しめますね・・・・・
画像は勿論、天山書画作品です。
今回は、壬生忠岑(みぶのただみね)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【壬生忠岑】(みぶのただみね)
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
ありあけのつれなくみえしわかれよりあかつきばかりうきものはなし

有明の月は、夜が明けてもまだ残っている月。
陰暦では下旬の月です。
月がツレナイ?のか、相手の女性がツレナイのか・・・
この夜以来朝が来るのが恨めしい!!
と言うわけでしょうか。
いづれにせよあまりハッピーではなさそうな・・・
もっとも恋は成就してしまえば歌には成らず
実らぬ恋であればこそ恋歌が生まれるのかも知れません。
この後、どうなったのか?
どちらでも良い様だが・・・ちょっと気になります。
なぜか藤原定家はこの歌を称賛!
「これ程の歌ひとつ詠み出でたらむ、この世の思い出に侍るべし」
とまで言って、殆どの秀歌撰にこの和歌を選出。
定家は案外・・・野暮でモテなかったから??か??
“つれなし”は、連れなし。
連れがいない、という意味で、独りぽつんとしている様。
そこから転じて気が強く情薄く、何事にも平気で素知らぬ顔をしている様を言うのです。
現代はクダラン欧米化、国際化の御蔭で
カレンダーも太陽暦。
グリニッジ標準時・・・・・・。
世界のルールは白人が我先に決めつけた下品で不公平?
な時代ですが、昔の日本は、陰暦。
月の満ち欠けに合わせたトキの移ろいを楽しむのが当たり前だった。
月の有り様に添って日常を過ごす・・・
これは、風情を楽しむには大変良い規範でした。
潮の満ち引きも人の心の移ろいも
月の満ち欠けに深く起因している事は確かで
出産は満月に集中しているし
交通事故などが起こり易いのは新月か満月、
統計がはっきり示している。
人間生活の実情に合うのは断然陰暦なんであります!・・・
何でも定規にはめて合理合理とノタマウ契約社会は
実に窮屈。
しかも退屈!
作者壬生忠岑は、微官の為かどのような人であったか良く分かっていません。
古今集の撰者の一人であったのは間違いないのですが、
現世にトキメイテ居ない人は実力者であっても、とかく押しやられがち。
しかし、有明の月を“つれなし”とした処を見れば、
人生の機微に通じた風流人であったのは間違いなく、
案外野暮天?だった定家が称賛するのももっともな話・・・
出自など解らずとも作品がすべてを物語っているのですね。