御丁寧な礼状と、記念品が送られてきました。
ブックカバーとしおりです
7月のみたま祭に際して、雪洞(ぼんぼり)のきごう【揮毫】をさせていただいた、その記念だそうです。
誠に申し訳ない限りですが、公から私に還れば、誠に有り難き極みです。
此の度の伊勢神宮式年遷宮遷御の儀特別奉拝をさせていただいた
その御報告を英霊の皆様に捧げ、お楽しみいただきたく描いたのです。
雪洞(ぼんぼり)の揮毫絵
残念ながら阿倍総理大臣の参拝は見送られました。
誠に遺憾、英霊のみな様はさぞかし痛嘆されているに違いありません。
ここに、小堀桂一郎先生のご文章を掲載させていただきます。
竹駒神社社報「すいとく」に連載されたコラム“時評「正眼・心眼」”からの抜粋です。
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【八月の感慨】
暦を繰って、今日から八月、
と意識する度に決まって込上げてくるのが、
昭和二十年の八月、
殊にその十五日正午の先帝陛下によるいはゆる
玉音放送の記憶である。
それは本年で満六十五年を経た昔の話なのであるから、
本誌の読者の方々も、あの日についての直接の記憶を
お持ちにならない方が大半であり、
又戦中派の老人の繰言を聞かされるのか、
との不快を感じる方も多いかもしれない。
然し如何に世人から疎まれようとも、
此だけは何度でも反復して口に、筆にして
なるべく多くの人の認識に訴へておきたいと思ふ
重大な情報が以下に述べる一事なので、
どうか御諒解を頂きたい。
あの歴史的記念日に放送された昭和天皇の詔勅は普通
「終戦の詔書」と呼ばれてゐる事、周知の通りであるが、
それは、連合側四箇国共同のポツダム宣言を受諾し、
戦争終結の手続に入れ、との御命令を
聖慮を以て政府に下し給うた旨を国民に宣べられたものである。
決してこの日を以て戦争が終わった
との安堵の感を告げられたりしたものではない。
だから、詔書の呼名は、慣例通りでよいとしても、
この日を以て終戦記念日と考へるのは大きな誤りである。
日清戦争と日露戦争では
戦火の終息=休戦と
講和条約の締結=終戦
とが同じ年のうちの事であり、
第一次世界戦争の時でさへも、
ドイツの降伏による休戦の翌年に既にヴェルサイユでの平和条約が成立しているのだが、
大東亜戦争の場合、
休戦から昭和二十七年四月二十八日の平和条約発効までに六年八箇月を費やしてゐる。
そしてその歳月の間、
主敵国であったアメリカと日本との間には依然として戦争は継続してゐた。
火力による戦闘は日本軍の全面的武装解除により最早生じ得なかったが、
軍事占領といふ形での米国軍による追撃戦は、
抵抗力を全く失ってゐた日本国に対して実に苛酷な形で続けられてゐたのである。
昭和二十年九月から二十七年四月までの我が国の歴史を理解するに当たって、
それは占領といふ形での戦争下であった、
と、この大前提を忘れてかかると是亦大きな誤りを犯すことになる。
そして現にこの誤謬によって歪められた現代史の考察はあげて数え切れない。
占領期間は戦争中であった、その事の見落としと同じくらゐに広く流布している誤認が、
日本の敗北が無条件降伏であったとの思ひこみである。
ポツダム宣言の受諾による休戦とは、この宣言の提示した条件に同意した上での戦闘停止だったのであって、
その結果があの年の九月二日、休戦協定調印といふ国際法上の条約として結実した。
此は少しも恥づることのない立派な外交的決着だった。
現代史、殊に戦後史について、何らかの判断を述べる人の言葉が基本的に正しいかどうか、
この事を見定めるのに至って便利な、リトマス試験紙の様に簡便な判定基準が右に挙げた二つ項目である。
真の終戦は占領の終了を以て成就した事への知識が有るか否か、無条件降伏といふ占領軍の宣伝を盲信してゐる面がないかどうか、戦後史を語る言説の真贋はこの試薬で簡単に識別できる。
読者諸氏も心当たりの論説を何か一つ取り上げて試してみては如何だろう。
(平成二十二年八月)
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