【三条右大臣】 (藤原定方)
名にし負わば逢坂山のさね葛人に知られでくる由もがな
なにしおわばおうさかやまのさねかずらひとにしられでくるよしもがな

「名にし負わば」、は、名を負い持っているならば。
「逢坂山」、は、逢う坂山。
「さね葛」、は、さ寝カズラ。
逢って寝る、という名を持つ逢う坂山のさねかずらを
手繰り寄せる様に、誰にも知られずにあなたの許に通う方法はないものでしょうか?
意味はこんなところ・・・・か、
「くる」は、繰る、で、来る、でもあり、男性が女性に贈った歌ですから
引き寄せると言うよりも、手繰れば女性の許へ辿り着く、
女性からすれば男性が通ってくる、という意味にもなる。
「さねかずら」と言う、つる性の植物を知らないと
歌の意味が実感として伝わりませんが、
蔓草(つるくさ)の一種であるこの植物は
春夏頃には、おおむね真っ直ぐに伸び、秋になると絡み合うようになる・・・
赤く美しい実が印象深い、上品な蔓草なのです。
季節の移ろいと共に変容するこの植物の特性と恋の成熟とがリンクしている訳ですね。
出典は後撰集(ごせんしゅう)。
「女のもとにつかはしける、三条右大臣」、と、前置きがあり
この和歌と共に、「さねかずら」も贈ったのでありましょう。
このツルで貴方をからめ取ってしまいたい・・と言う強烈なサインだったのかも!!
邸が三条にあった藤原定方は太政大臣、藤原高藤の息子で右大臣。
従弟の堤中納言兼輔(つつみちゅうなごんかねすけ)と共に、
醍醐天皇【延喜】の歌壇の中心となり、管絃も得意とした、中納言朝忠の父に当たります。
醍醐天皇の御代にはかの古今集が生まれ、以後500年に及ぶ勅撰集時代を拓いたのですから、
和歌の黄金期を招き入れた当事者の一人、という訳です。