2014年07月11日

魅惑の百人一首 23


  【大江千里】 (おおえせんり)

月見れば千々にものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど

   つきみればちじにものこそかなしけれわがみひとつのあきにはあらねど





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秋の月を仰いで何かしら悲哀というか、哀愁というか、感傷的になるのは

乙女心だけではないでしょう。

自分ひとりに来た秋ではないけれど・・・・とわざわざコトワル必要はない?

かも知れませんが、・・・・しかしホントは

『私だけに来たような気がしている』 ことこそ、大切な感覚なのです。

だからこそ秋は哀しい。

作者大江千里は、漢学者で、白楽天の詩から想を得ている様ですが、

きっかけは漢詩でも、古来日本人でなければ表せない様な日本の心・・・

として詠じているところが凄い。

≪秋月の悲哀≫がよくわかるのは、日本人だけの心情と言っても良いんです。

千々にものこそ悲しけれ・・・・この千々が良く効いています。

和歌でなければ表現しえない哀愁ですね。

大江千里は、在原業平の甥であり、宇多天皇に句題和歌を詠進するなど、

立派な業績をのこした学生歌人(がくしょうかじん)であります。




暦について以前にも少し述べましたが、

昔の日本人は月を仰いで今日が何日かを視覚的に感じて暮らしていました。

月の満ち欠けによる暦(こよみ)のほうが、現実生活に合っているのです。

文字通り目に見えるコヨミ・・・・

新月が三日月となり・・・だんだん太って上弦の月から満月へ・・・

この流れが、一か月の月の推移ですから、

新月の時は月末かあるいは、月の始め・・・・・満月は中旬

満月を過ぎてしまえば月の出がどんどん遅くなるので、

夜遅く下弦の月が出ていても寝てしまっているから解らない・・・

故に月の出ない晩は月末が近いことを意味している。

月が居る居ない、そして、痩せてるか満月か・・・その姿で

今日は大体何日なのか、感じられるわけですね。

一年は365日なので陰暦で暮らすと日数が余ってしまい

ある年は、二月が二回続いたり、四月が繰り返されたりしないと

辻褄が合わず、合理からすると、全然おかしな暦なんだが・・・

人間の営み、何でもない暮らしの連続には実によくマッチした暦なのであります。

何でも、理屈に合えば良いようだが・・・・それだけじゃあ、ツマラン!

事細かく厳密に今日は何月何日何曜日!!と、詳らかにしなくとも別に支障を来さない暮らし

こそ・・・・本当は、望ましい生活なのではないでしょうか・・・・?

秋の名月の頃は、殊に、何月の何日であろうと、とにかく哀愁に溢れるほど美しいのだから!











posted by 絵師天山 at 05:00| Comment(3) | 百人一首
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