【素性法師】 (そせいほうし)
今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
いまこんといいしばかりにながつきのありあけのつきをまちいでつるかな

長月は陰暦九月のこと、夜が長いので長月という。
有明の月、は、暁を迎えてもまだ残る朝の月。
そのうち来る・・・・じきに帰ってくる、と言われて
うかうかと日を過ごしているうちに、長月に入ってしまった。
待っているうちに月が出てしまいましたよ。
と言うより、待ち人は現れないで月が出てしまいました・・・
・・・軽い洒脱を重々しく表現したのが
≪月を待ちいでつるかな≫ という、不思議な言葉になったらしい。
作者は、桓武天皇の皇子で臣下に下った父を持つ、
僧正遍照(そうじょうへんじょう、前出魅惑の百人一首K) ・・・・・の子。
つまり、桓武天皇の血を引いた、天皇のひ孫、に当たられる方。
生没年ははっきりしていませんが、
在原業平と共に屏風に書いた和歌を献上する、など
三十六歌仙のお一人で名歌秀歌を残し、立派に活躍したことが知られています。
すぐに来ると言うのであなたを待っていたのに
待ってもいない有明の月が出てきちゃいました・・・・・
と。
・・・これが一夜のことである、という説もあるらしいのですが、
長く待たされてる方が意味が深まることから、
毎夜毎夜待たされているうちに、秋も更けて・・・
とうとう九月の有明の月がでるまでに、待ち明かしてしまいました。
と解釈されるのだとか。
有明の月がでるのは、月末の頃が多いので、
とにかく・・・待たされちまいましたねーーー、と、
そう、深刻ではないにせよ、嘆いているわけです。
陰暦は月の満ち欠けに拠るコヨミ、ですから、
現在の太陽暦よりも現実生活にとても適合していて、
例えば満月の次は十六夜、次が、十七夜・・・
しだいに月の出は、だんだん遅くなる。
だから毎月の後半となると月が沈むころはもう、明るくなってしまい、
月がいつ居なくなったのか・・・・わからなくなる。
でも、朝方に残っている月を特に愛で、
名残惜しさをこめて有明の月と特別に言い表したのですね。
人待ちの末に月が現れた・・・・実に風流ですねえ・・・
月雪花と共に暮らしてきた日本人の感性は、この暦から生まれたのか・・・
あるいは、繊細なる感性ゆえにこの暦が生まれたのか・・
現代人からすると、今日は何月何日何曜日・・と
毎日そこに気付いているのが当たり前でしょうが、
昔の日本人は別にそれほど日常に追われてばかりいたのではないらしく
月の満ち欠けと共に、大体の日時を感じて、暮らしていたので・・・
ノンビリ、楽しく・・・・
その方がよっぽどシアワセ!