【元良親王】 (もとよししんのう)
わびぬれば今はたおなじ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ
わびぬればいままたおなじなにわなるみをつくしてもあわんとぞおもう
「身をつくしても」・・・の、“みおつくし”は「澪標」。
船が通航する路を示すために水脈に立てた杭。 舟の水路標識ですね。
難波の港には「澪標」が沢山あって、それを「身を尽くす=わが身を捨てる」に掛けた。
逢うことができず侘しい思い・・・のこの作者は陽成天皇の第一皇子。
身を尽くしても逢いたいお相手は、京極御息所=藤原時平の息女。褒子(宇多天皇后)。
第56代天皇は、清和天皇 次いで(57)陽成天皇 (58)光孝天皇(59)宇多天皇・・・
ですから、陽成天皇の皇子さま、が宇多天皇の御息所に横恋慕・・・ですから・・・
二人の秘密事が露見して詠じたのがこの和歌であり・・・道ならぬ危険な恋・・・
ちょっと・・・棄てばち気味・・・・で絶望的な響きすらあり、・・・・・
恋に身を焼く狂おしさ・・的な感じがホノメイテマス。
スキャンダラスな噂は飛ぶように伝播されて・・・
どうせ、露見した今となっては・・・気の塞ぐ毎日を送っているのだから
難波の澪標が示す行く先なんか知らぬ!・・・どうとでもなれ!
たとえ、この身の破滅であっても・・・お逢いしたい!!
・・・・泣きの涙で嘆いたのであります。
勿論、【難波の澪標】は安全な航行の為のもの・・・・
この恋は水杭を頼りとしても・・・たどり着けるかどうかわからない・・・
けれど、どうしても逢いに行きたい!!
と、逆説的に語ったのですネ。
藤原氏の権勢によって、次期天皇が決められている?・・・様な時代であり、
前にも述べましたが、事実、基経の差し金で、御乱行の天子と決めつけられ、
御元服後、直ちに 廃位させられたのが父君、陽成天皇ですから、
元良親王殿下も御血筋であられたのでありましょうか・・・・
感情の激しさに同質のものを見る向きもあります。
難波つながりで、伊勢(先回登場)の激しさとも一脈通じるものがあるので、
定家は伊勢と元良親王とを対比させ、百人一首に選んだのでしょう。
親王殿下のお味方をすれば、
本当は理不尽にも権勢家の邪魔が入って、純愛を遂げられなかったのかも・・・・・