【伊勢】
難波潟短き葦の節の間も逢はでこの世をすぐしてよとや
なにわがたみじかきあしのふしのまもあわでこのよをすぐしてよとや

ストレートな恋心を歌わせればこの方の右に出る者はちょっと見当たらない。
深い深い情念をゾクッとするほどの大胆さで直截に詠い上げる・・・・
伊勢とは、伊勢守(いせのかみ)藤原継蔭(つぐかげ)の息女のこと。
宇多天皇中宮、温子に仕え、始めは中宮の弟君、藤原仲平と契ったが、
後、宇多天皇の寵愛を得て皇子を産み伊勢の御(ご)とか
伊勢の御息所(みやすどころ)と、呼ばれました。
さらに、その後、宇多天皇の皇子敦慶親王(あつよししんのう)との間に中務(なかつかさ)
=女流歌人を産む・・・・
実に、華やかな恋の遍歴で知られています。
この歌は・・・
恋人のつれなさを恨んだニュアンス・・・・
恨めしい・・・・ああ、嘆かわしい・・・・どうして逢えないの・・・
もどかしい・・・・狂おしい・・・・逢わずにいられましょうや!!!
夢に託して婉曲に恋心を詠じた小野小町に比べてナントも大胆!
無防備とも言える感情の吐露・・・・激情家だった?
最初の恋人である仲平がくれたそっけない便りへの返事であったとされています。
若かったんだねーーー、
難波の芦は、当時の都人にとってよほど印象的な存在であったのでしょう。
海の広さに比べればモノの数にもはいらない、芦の節と節との間・・・
そんな僅かな取るに足らない短い間ほども逢ってはくれない・・・・なんて!!!
ひどい!! ホントにひどいわーーー!!!