2014年11月18日

【歴史の真実】22 憲法作り直しの必然


平成二十四年に書かれた東京大学名誉教授小堀桂一郎先生の“時評「正眼・心眼」”
【憲法作り直しの必然性】から一部抜粋させていただきました。



・・・・五月三日は国民の祝日の一つとしての憲法記念日である。現行の日本国憲法が制定・公布されたのは昭和二十一年の十一月三日で、翌二十二年の五月の此の日に新憲法として施行された。
その事を記念し、国民の祝日として二十三年に制定されたのがこの記念日である。

施行以来65年を経過したこの憲法を、今や言葉通りに祝う気持でこの日を迎える人は、ほんの一握りの共和制思想の持主でしかないだろう。あとの大多数の人々は、少しでも早く廃棄か改正か、方式はともかく、現在のものに替へて新たに主権国家の現実にふさはしい真の憲法を自主的に作り直さなければ、国民の明日の安全を保障できないという焦燥感に駆られてゐる。

そして有力な政党が揃って四月の末に独自の新憲法草案を公表すると言う所にまで事態は迫ってきた。

どうしてその様な事態になったのか、その問いを、現行憲法の公布と施行とを日常生活の中に生じた身近の事件として経験してゐる世代の一人として受け止めて考へてみると、答えは実は簡単である。

この憲法の公布は筆者の中学初年級の時の事であるが、中学生の子供にとってさへも、この憲法の成立事情のいかがはしさは、誰に教えられなくとも直観的に認識出来た。
それは米国占領軍の要求を受け、その監視の下に、大日本帝国憲法を排除する形で採択を強制されたものだといふ実情が隠し様もなく見えてゐたからである。


この憲法は日本占領の連合国軍総司令部が立案し、日本国政府に押し付けた占領基本方針の法制化以外のものではなかったから、占領継続中は法文と国政の現実との間に辻褄が合ってゐた。
然し、昭和27年4月28日に日本と連合国との間の講和条約が法的効力を発生し、我が国が独立国としての国家主権を回復した途端に、憲法と我が国のあるべき姿との間に実に多くの矛盾が生じてくることが忽ちのうちに明らかになった。

日本の国柄を示す詞として国体という語が用ゐられてきた事はよく知られてゐると思うが、この語に相当する単語を英語の語彙の中に探してみると、それは「憲法」と言う単語と同じものになる。
これは面白い暗合であるが、さうなると、元来同じ概念であるべき憲法と国体とが、日本国憲法の場合には同義どころか全く矛盾そのもので、
憲法は日本国の国体とは全く相容れないアメリカ合衆国の国是を日米戦争の敗戦国としての日本に押しかぶせたものだといふ構造が、事あるごとに露呈されて来た。


この不協和を何とか調整するために、やむを得ず採られた便法が建前と本音の使い分けという姑息な手口である。この態度は社会の各局面に生ずる憲法への抵触や撞着の事例を、あれは建前なのだかえらまあ仕方がないとして目を瞑って見逃しておくといふごまかしを日常化させてしまう事態を招いた。

かうした対処を、法解釈の柔軟性として評価する向もあるけれども、それはやはり国民の倫理に悪影響を与える偽善である。建前と本音の使い分けという世間通用の悪習を奨励している元凶が現憲法であるとは、深刻な皮肉である

(平成二十四年五月)





posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(0) | 歴史の真実
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