2014年06月19日

魅惑の春草 C


  

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   【黒き猫】 屏風作品





コチラも、菱田春草晩年の傑作。

柿の実りを、別に・・・食べたいはず・・もないのに・・

小さな黒猫が丸くなって、さりげなく仰ぎ見ている・・・

その背中には、今盛りなるシオンの花が・・・



何でもない、ちょっと田舎に行けば・・・今でも見られそうな景


とりたたて、目立つ設定もなく・・・・派手さから言えば

残念なくらい地味な・・・・あえて言うこともないくらいの

目立たなさ・・・・



大天才春草は、その目立たない設定をわざわざ六曲屏風という大画面に描いた。


六曲屏風一双ですから、・・・・・

幅も高さも【落葉】の屏風ほどではないが

・・これは、けっこうな大画面。



【落葉】同様、勿論・・・

どこそこの場所・・・・という説明はなく、

地面の説明すらない

ただ色彩を用いない空間=余白が大部分を占め・・・・

そして、紫苑の花と柿の木とに囲まれた黒い子猫が丸くなっているだけ。

しかしそれらも・・・個有色としての説明は殆どせず、

必要最低限の色彩に限定しています。



形態も色彩もこれくらい純化されたものはない・・くらいに・・・

余計な色もなければ余計な形もない。

要らざる事の一切を省略し

“面白いもの”だけで絵にしているのです。



しかし、シオンらしさ、柿の木らしさ、猫らしさ・・・・

現実のシオンでもなければ、柿の木でもなく、猫でもない・・・・が

そのものの“らしい姿”。それらしさ・・・・は最低限残されている。



【落葉】の屏風でも、始めは遠近感に捕らわれて、

説明としてのドハを描き入れたが

途中で地面の説明は要らざるものと気付き、

地面に散らされている紅葉を描くことで

地面の説明に代えたのです。

ドハを描いてしまった作品は途中放棄して

新たに描き直したのが、かの重要文化財指定となった代表作

【落葉】となったことは前にお話しましたね。






【落葉】ではまだ高い写実性を(限定的ではあるものの・・・)極度に利用しているけれども

コチラの 【黒き猫】では写実性すら省略しようとしている。

いらないものを悉く排除しようとする点においては、

この【黒き猫】屏風の方が“抜き差しならない厳しい作品”、と言えましょう。


つまり、この作品は、失明寸前の天才画家が昇りつめた

桁違いの、次元を異にするほどの高さ・・・を見せつけているのであります。


なんでもない、どこにでもありそうな日常を

とんでもない非日常の高みに昇華してしまったのでした。


これは落葉を描いた直後の作品であります。


拡大して見ると、柿の枝には一羽の小鳥が止まっていて・・

丸くなっている黒猫は、きっと、この鳥が目当てなんでしょうね・・・・




posted by 絵師天山 at 17:53| Comment(0) | 菱田春草
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