2018年11月26日

貴乃花親方

大相撲九州場所。
終わって見れば予想だにしなかった小結貴景勝の優勝!
弱冠22歳、芦屋生まれのボンボン?
・・・・様なのに
小さい時からスパルタの父に仕込まれて、
貴乃花部屋に入門。
貴乃花親方の薫陶を得て
此の度の驚きの結果が生まれた!


相撲界を追われる様に引退した貴乃花親方

引退直後に愛弟子が番狂わせの優勝・・・・・

これはつまり、番狂わせではなく
当然起こるべくして起きた大どんでん返し・・・
だと、私は思うのです。


由緒ある主要資産の一等地をさっさと売り払い
従業員の首を撥ねまくって赤字会社が黒字に転じる・・・
そりゃあ、当たり前のこと・・・で
詐欺師をわざわざ外国から連れてこなくても
誰でも出来る・・・・


詐欺氏のお財布になり下がった日産

・・・・と同じく

横綱も大関も休場、・・・だから小結が優勝しても当然・・・
なのか?・・・というと決してそうではなく

同じ次元で語る事は出来ないかも知れませんが
日本の国の病巣という観点からすれば
全く同じ根っ子を感じるのは
私ばかりではなさそう・・・・




以前、小さくないのに小錦というしこ名の外国人力士が
入幕早々、大横綱千代の富士を力任せに土俵外に、文字通り、ふっ飛ばして以来、

傍若無人、力任せ、体力勝負、の外人関取に
大相撲そのものが乗っ取られ、
結果だけ手段を選ばずに追い求める風潮に
拍車がかかって、相撲ファン不在の土俵が
何年も続いた・・・


そこへ、救世主のように現れ
君臨したのが貴乃花でありました。
彼は身を以って国技を国技たらしめた・・・


不世出の名横綱ではありましたけれど
現役引退後はまたぞろ
傍若無人、力任せ、体力勝負、の外人関取の天下に・・


いつの時代でも
根本の病巣に気がつかない凡人が多いので
その時にしか通用しない社会風潮に流される。


日産も外国人連れてこなくてはやってられないほど
腐りきっていた・・・のかも知れない。
が、・・・
貴乃花を追い出すことを是とする風潮が
相撲界にあったのかも知れない。
が、・・・・・了見違いも甚だしい。


結果よりも
内在する“必然的な普遍性”を大切にするのが
日本人の美徳。
実は日本人でなくてもその方が人としては幸せ・・・ですが


つい、人は誰でも、結果を優先してしまい易い
長期的な展望より目先の結果に囚われる

囚われた結果、一時はそれで良いけれど
時と共に、
幸せからは・・・遠ざかる・・・・


貴乃花親方の愛弟子、貴景勝の優勝は、
ホントに大切にしなければならないこと
こそ、が最優先であることを
体で覚えさせられた人、が幸せになった・・・・・
のであります。



NHKは大相撲解説者に貴乃花親方を加える!
という英断をしてこそ国営放送と言えるでしょう。
エヌエイチケーと書いて北京放送東京支部と読む?
のではダメ・・・・です。




posted by 絵師天山 at 17:30| Comment(0) | 日本ならでは

2018年11月13日

【あはれをかしの物語】個展



          IMG_4370.JPG

           【源氏物語小屏風】


平成30年12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選美術画廊にて
【あはれをかしの物語】個展

12月8日午後二時からは、ギャラリートーク。
特別ゲスト、平野啓子氏をお招きして竹取物語を語っていただく予定です。
平野さんは平成の語り部。“かたりすと”としてご活躍されています。




           photo_2_3.jpg




              p1030520_2.jpg


日本の語り芸術を高める会 会長
大阪芸術大学芸術学部放送学科教授
武蔵野大学非常勤講師
(日本文化研究/朗読・語り・舞台演出)
警察大学講師(話し方)、
日本語大賞審査員・・・・等々、多方面のご活躍!!




            33竹取.jpg

この【かぐや姫】の作品を公演で使っていただいたのがきっかけで、知遇を得まして、
つい先日も「語り」生活三十周年記念公演、を拝見したばかり・・・・・


日本の語り芸術を高める会の記念公演
起〜ki〜語りの初心にかえる
と題され、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、
太宰治の「カチカチ山」・・・・
聞き惚れる・・・という表現が一番近い内容でした!




ギャラリートークにお越し願ったのは
竹取物語の語り公演を聞かせてもらった故。
この方なら、是非ぜひ!!と・・・・




SEIZA★no,86 2018誌の巻頭随筆で平野さんはこう語っておられます。
                    
     「語り」での出会いーかぐや姫のらぶれたぁ   
               平野啓子



「読みたい人!」と先生が教室でみんなに向って問いかける。私は勢いよく手をあげる。古文の授業の『竹取物語』。大空から天人がこの世のものと思えない清らかな装束を着てかぐや姫を迎えに来る幻想的かつ緊迫感のある場面だった。天人たちの中に王と思われる人がいる。わたしは雰囲気を一心に声に集中させた。ムードたっぷりに、はい!「その中に王とおぼしき人・・・」すると、この瞬間、教室内がざわついた。「王を『玉』と読んだ」とクラスメートたちがクスクス笑っている。そこへわたしの斜め前の男子が「確かに王は玉だよな」と声を高くして言ったのをきっかけに、大爆笑が起こりしばらく止まらなかった。恥ずかしさで全身がかーっと熱くなった。全体に美しく不思議な生死観も感じる大好きな物語だった。わたしは玉と思い込んでいたのだ。優れた立派な貴人への美称なのだと、だのにこんなに笑われて、「ぎょく」と読めばまだよかったかも知れないのに、「たま」と言ってしまったのだ。

 
 と、このような思い出を持つわたしは、今「語り」を生業とし、その『竹取物語』を上演作品の主要演目にしている。国立劇場をはじめさまざまな劇場で、浜離宮恩賜庭園の屋外で、そして海外でも!
 日本最古の物語文学である。かぐや姫がいよいよ月に帰る、感情が煮詰まった後半に和歌が登場。また、意外に知られていないが、最後に富士山が描かれている。帝は姫からもらった不老不死の薬と手紙を天に一番近い山で焼く。そして、「その山を、ふじの山とはなづけける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ、言ひ伝へたる」で物語が締めくくられるのだ。

 
 もともと趣味で朗読を始め、もっと上手になりたいと思ったとき、鎌田弥惠(かまたみつえ)師と出会い、「語り」の世界に入った。名作文学を全文暗誦する「語り」は、たとえ誰が書いた文章であっても、その言葉を自分の心に刻み込み、自分の表現として声に出す。


 平成26年度に文化庁文化交流使として日本の「語り」を紹介するためにドイツ、トルコに派遣していただき、計八か所で上演した。かぐや姫が天に帰る別れのシーンでは、多くの外国人たちが心を動かされている様子だった。「語り」は国境を越えにくいジャンルと言われていたが、紀憂に終わった。

 上演後、日本語がどのように聴こえているのかを客席の外国人に聞くと、どちらの国でも、「音楽のようだ」と言われた。音節のほとんどが子音+母音でできている日本語は、ゆっくり話すと確かに音楽のように聴こえるのだろう。今でもわたしはあの『玉』の部分になると、毎回背筋がピンとして緊張する。間違えないように、祈るように丁寧に口にする。いっそう音楽的なのではないか。
 
 それにしても、かぐや姫が帝に最後に書いた手紙といったらいったいなんだ。「今はとて天の羽衣着る折りぞ君をあはれと思い出でける」・・・羽衣を着て月に帰る今こそあなたを愛しく慕わしく思う・・・なんて、最高の憧れの女人から今生の別れにこんなことを言われたら、もう帝の心に永遠に残り、かわいそうに帝はきっと他の女に恋ができなくなるのではないか。

 
 和歌や短歌は、主語や登場人物の固有名詞がぼかされていることが多くて、最近とみに心惹かれる。かぐや姫の和歌だって、もし、うっかりどこかに落としてしまい誰かに見られても「え、わたしのことじゃありません」と姫はすぐに否定できる。メールで送ろうが、流出しようが、誰が誰に向けて書いたかなんて本人同士のみが知る。便利だ。自分の想いをわずかな語数で表して相手に送ろうとする時に、必死に語彙を探る。なかなか見つからなくて、辞書を引き始める。先人の歌を紐解いたりもする。ピタリと当てはまる言い回しになった時に、送信ボタンを押して相手に想いを届ける。もし、気に入ってもらえたら、改めて手書きで書いて渡す。恋人が相手の場合は、そういう時間がすべて、いとしき恋の時間だ。

 
 今も昔も変わらない、人の心模様。それが、それぞれの時代の言葉で描かれ現代のわたしたちに届いている。母語はその国の文化の土台だと高名な先生がおっしゃっていた。歴史、宗教の違うそれぞれの国で培われた感性、習慣の中ではぐくまれた、コミュニケーションの大部分を占める言葉。「語り」に携わっている限り、言葉に触れる素敵な時間を過ごす人生である。今年は、わたしの語り生活三十周年になる。




      

            IMG_4209.JPG

             【竹取物語絵巻】天人降下




         IMG_4163.JPG 

             【竹取物語絵巻】かぐや姫誕生





「語り」楽しみです!
          




           
posted by 絵師天山 at 09:00| Comment(1) | あはれをかしの物語展

2018年11月12日

【あはれをかしの物語】個展

12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊
【あはれをかしの物語】個展出品作品より





IMG_4252.JPG

【故郷】




        IMG_4253.JPG


        IMG_4254.JPG

         部分図

“うさぎ追いしかの山 小ブナ釣りしかの川 夢は今も巡りて・・・・・・”
うす霞む青空、紫色の山並み、山桜の白、そして緑。
春の里山は淡やいだ色彩の共演、名ドラマ・・・・・・






         IMG_4262.JPG

           【秋映】

神々しいまでの紅葉、写しだす山湖の名水。
繰り返し描いてきたテーマであり、紫色にけぶるみちのくの深い秋を想います。






           IMG_4268.JPG

            【ゆく蛍】

どうかするとたいそう暑い日もある初夏の宵。
谷間を埋め尽くす合歓の花房もしっとり湿って、はんなりと蛍火に浮かび上がる・・・・
“くれがたき 夏の日ぐらし ながむれば そのこととなく ものぞ哀しき”




          IMG_4271.JPG 

          部分図





           IMG_4288.JPG 

             【源氏物語・花散里】

様々な心労が続き、世の中をもの憂くばかり思われる光の君。
御忍びで出かけた中川のほとり、かつての恋人が弾く琴の音に魅かれ邸を望むけれど、答えはなく、
いつも優しく大らかに迎え入れてくれる花散里をなつかしく思うのでした。












posted by 絵師天山 at 22:16| Comment(4) | あはれをかしの物語展

2018年11月11日

【あはれをかしの物語】個展

12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊
【あはれをかしの物語】個展出品作品より





IMG_4120.JPG

【朔日】(ついたち)

けじめの日、元日・・・ツイタチ・・・に昇る日輪は、襟を正す思い。
背筋が伸びる様です






         IMG_4128.JPG

          【山湖の名月】

四季のうち、秋が一番好き。今年は殊にそう・・・・紅葉も良いが、盛りを過ぎ雪を待つころも良いですねぇ





          IMG_4122.JPG

           【錦織】

紅葉の有様は、錦の織物のよう・・・・・ホントに





           IMG_4249.JPG

            【狆曳き女官】

宮中の奥座敷でも鳴き声一つもらさない為に、貴人のペットとして愛されて来た犬、狆。
専任の女官も大切にされ、他の従者には無い特権さえありましたが、相応に当然、誰からも(犬からも)好かれる女性でなければ務まらなかった様です。




           IMG_4251.JPG





           IMG_4123.JPG

            【三日月】

仄かな月の光に、川面がうっすらと浮かび上がります・・・・




posted by 絵師天山 at 00:07| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月08日

【あはれをかしの物語】個展

12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊
【あはれをかしの物語】個展出品作品より





IMG_4228.JPG

【不二山】

かぐや姫を月の世界に連れ戻してしまった天人達が、ご褒美にくれた“不死の妙薬”。
かぐや姫が居ない世界で不死になっても仕方がない、天に一番近いところで燃やしてしまいなさい、と
御門はおおせになり勅命を受けたもののふ共が、その頂で妙薬を焼いたのでその山を不二山と名付け、
転じて富士山と言う。
つまり、実に古き良き御名前であります。





          IMG_4149.JPG

          【雛】(ひいな)

江戸時代中期〜後期、今に伝わる極めつきの美しい雛人形が造られました。都大路の地場産業として栄えたのでしょう。そもそもは、女の子の無事な生育を願い、身代わり=カタシロとして人形を川に流す、
のが本来の役目。
美々しく飾りたて子孫まで家宝として伝えたりしてはマズイわけですが、日本人はそこにさらなる愛惜を感じて、後世に残るほどの優美な雛を生み出すことを誇りとして来たのだと思います。
          




           IMG_4150.JPG



           IMG_4151.JPG

           雛の部分





          IMG_4256.JPG

          【羽音】

嵯峨野の床しい景観は広沢池あたりで一つのピークに達します。
伊勢の新斎宮を伴って、かの六条の御息所が仮住まいしたのはこのあたり?
時の流れが静止してしまった様な静寂。
殊にむし暑い夏に訪れると、鳥たちの羽音が翠の中にやさしく響き渡るのです。




          IMG_4258.JPG

          部分図





          IMG_4136.JPG

          【天の河】

月を眺めるほどの広い場所ではなく、樹間より覗く銀河も麗しい。













posted by 絵師天山 at 23:40| Comment(0) | あはれをかしの物語展

【あはれをかしの物語】個展

12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊
【あはれをかしの物語】個展出品作品より


          IMG_4316.JPG

          【かぐや姫昇天】

月の世界に還る、というのはいったいどういうこと?
米軍月駐留部隊に参加?・・・・・まさか
昇天し、星座に成りました、というのがコチラ。
額縁にも天の川を描き入れてみました。





         IMG_4296.JPG

         【天神様】

菅原道真公程、理不尽な扱いをされた高官は居ません。
群を抜く知性と教養に溢れた非の打ちどころなき人物でありましたが、
藤原一門でなかったのが唯一の欠点。
妬みを買い左遷!
都を想いつつ大宰府にて客死。
その直後から宮中を狙いすましたような天災が打ち続く・・・・

タタリじゃーー!

こう言う場合、怨霊の祟りを鎮めるには、神様に昇格戴くのが常道。
平将門もそうだった・・・・今では学問の神様としてそれはそれは
尊崇される偉い神様ですね。





         IMG_4140.JPG

         【秋霜】

紅葉は北の国から、高い山から降りてくる、
山地の鮮烈なる赤い紅葉は、このナナカマドが主役
それは真紅に、・・・・
晴れ渡る日よりも風が凪いで霧がかった様な日がキレイ





         IMG_4287.JPG

         【池の面の月】

伊勢物語、西の対より・・・
深く心に残る、もう今は会えない人・・
彼女はヤンゴトナイ世界に行ってしまった・・・
懐かしさのあまり逢瀬を重ねた屋敷を訪れてみたものの・・・
池の面に映る半月のみ仄かに揺れて・・・

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして





         IMG_4145.JPG

         【蝉しぐれ】

濃き翠の中のウルサイほどの蝉しぐれの静寂




         IMG_4143.JPG

         【汀】

水際に佇む白鷺は、じっと、動かない・・・と思ったら
そーーっと足を差し出す、
ゆっくりと、前へ、そして、また動かない・・・
哲学者みたい、だが、エサ探してるだけだよ。





         IMG_4138.JPG

         【月下を行く】

月明かりの淡き光芒のなか、番いの白い鳥が、音もなく・・・どこかへ














posted by 絵師天山 at 00:07| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月07日

【あはれをかしの物語】ー高橋天山日本画展ー

平成30年、12月5日〜10日 個展を開催いたします。
      於・・日本橋三越本店6階特選画廊
      8日午後二時からはギャラリートークショー
      【語リスト】平野啓子さんのライブ
      竹取物語を語って下さいます!




     IMG_4198.JPG

     竹取物語絵巻部分、
    

 ・・・・御心をたがひに慰め給ふほどに三年ばかりありて春のはじめよりかぐや姫 月のおもしろく出たるを見て常よりも物思ひたるさまなり。“いかで月を見ではあらん”とて猶、月出づれば出でゐつつなげき思へり。夕やみには物思はぬ気色なり、月の程に成りぬれば うちなげきなどす。


月の世界に還ることが近づくにつれ、月を仰いでは打ち嘆くばかり・・・・・


 かぐや姫の物語は、竹取の翁が大金持ちになることや、五人の貴公子が、それぞれの難題に立ち向かって悉くブザマな失敗に終わる事、迎えに来た月世界の天人達に人間の圧力・武力は全く通じず成すすべもなかった事。など、現実のシャバを生き抜く、いわば庶民サイドから見た描き方が多く、それに比べるとかぐや姫の魅力に天皇さえ我を忘れてしまう、とか人間世界の秩序を慮ったかぐや姫に却って周囲がいさめられたりする、とか不死の妙薬を焼いてしまった山が不死山=富士山の名のはじまりだった、などの事はあまり印象に残らない。つまり庶民感覚からすれば、やんごとなきあたりの「普通の我々には関わりのない部分?」は、あまり省みられず、むしろ現実生活の実感から伺える事柄の方がこの物語を走らせ続けて来た様に思えます。
 なにしろ奈良時代から平成の御世まで千数百年もの間語り継がれ、漠然とであっても“かぐや姫”を知らぬ人は今日無いくらい超有名な物語。

 この物語を絵巻にする考えは以前からあり、先人の作例を参考としつつ勿論人気の所以は庶民性にあるけれども、その本質は“やんごとない賢きあたり”に根差していて、大げさに言えば、宇宙の摂理を見て取れるからこそ、時代を越えて残されて来た、という視点を重視して試作することにしました。
 今の時代に常識とされることでも、不変ではあり得ない。それを思えば、長大な時の流れに呑み込まれてしまわぬよう、真髄を成すであろう普遍性に重きを与えること。絵画の魅力は、ここにありましょう。

 そして源氏物語。千年以上すたれることなく輝きを失わぬ理由は、人情の本質が全く変わっていないから、であり、常識を超越しているからであり、理屈では計れないからであり、“もののあはれ”と総称する普遍性が満載されているからであります。
 【あはれをかしの物語】群。その行間から感じ取る映像。例え現実には見えないモノであっても、見えないからこそ、描きだす面白さがあり、そこに私なりの工夫があり、さらに共感という普遍性が生まれれば誠に幸いであります。


      ★






posted by 絵師天山 at 00:02| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月03日

三越特選画廊4回目の個展


年末12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊にて個展を開催します。
【あはれをかしの物語】ー高橋天山日本画展ー
・・・・・・この場では4回目の個展


竹取物語絵巻、春秋遊楽図、竹取、遊魂・和泉式部、
月明・紫式部、夢中落花・小野小町、源氏物語小屏風、
かぐや姫、掛け軸・不二山、・・・・
他6号20点、寸松庵色紙20点、の小品を含め50点の展示。


竹取物語絵巻は10メートルに迫る、長さ。・・・・・
冒頭の竹林から、昇天のシーンまで、

      

     IMG_4156.JPG




     IMG_4157.JPG




     IMG_4165.JPG




     IMG_4166.JPG




     IMG_4168.JPG




     IMG_4169.JPG




50点揃えるのに苦心していた御蔭で、ブログ?どころではありませんでしたが、漸く完成。
今は、図録が出来るのを待っているところです。


例年なら、11月3日は、明治神宮へご参拝するのが通例でしたが、
今年は、個展開催を御報告に伊勢神宮へ、英虞湾の宿で英気を養い
次いで吉野山の紅葉を愛で、吉野神宮へ詣で、後醍醐天皇にも御報告。
牡丹鍋に舌鼓・・・・


日本橋三越本店からのごあいさつ、に、


このたび、日本橋三越本店では「あはれをかしの物語・高橋天山日本画展」を開催致します。
1953年、東京に生まれた高橋氏は、東京造形大に学んだ後、院展の風景画の巨匠、故・今野忠一に師事しました。洋画から転じた独自の人物画、風景画で頭角を現し、1999年には院展同人に推挙されました。
2008年には天山と号を改め、一貫して、あはれをかし
な日本古来の優美な物語世界を追求しています。
2014年には、古事記に題を採った「日本神代絵巻」を、式年遷宮で湧く伊勢神宮へ奉納するなど、その活躍はますます悠久の時空を超えた広がりを見せています。
本展では、院展出品作、源氏物語屏風、竹取物語絵巻をはじめ、大作から小品まで約50点で、近年の集大成ともいえる壮大な雅の世界を展開いたします。なにとぞ御高覧賜りたくご案内申し上げます。




と、
ここ十数年、雅の世界を追い求めてきた、還暦を過ぎた稔り?としての50点であります。
御高覧お待ちしています!








posted by 絵師天山 at 23:23| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月01日

靖国の精神史


読書の秋、著者謹呈をいただいて、
表題の本 【靖国の精神史】 
なる新刊本(PHP新書・小堀桂一郎著)を読了。
久しぶりのブログ更新にはこの新刊本のお話から・・・・



     あ小堀.jpg



まず、前文より
              

十九世紀中葉は、東アジアにおける国際関係の激動期だった。
この激しい嵐の風浪に翻弄されながらも、辛うじて国民国家としての自立と国際環境への適応を全うし得た明治の日本にとって、その適応に払った犠牲の記念碑のごとき東京招魂社が、国家的公共性を本質とする宗教施設となったのは、当然のことだった。
しかし、それから百年の二十世紀中葉になると、世界中で国民国家という存在自体が、その神聖不可侵を自明の前提とし得るような環境ではなくなっていた。勢い、靖国神社という宗教施設もまた、国家的公共性という基盤を自明のものとしてそこに安住することは難しい、と見る見方が生じてきた。
そのような難しい時代の到来に直面して、ここで改めて考えておきたいのは、靖国神社という聖なる施設を成立せしめている国民の精神的な根拠は、そもそも何なのか、ということである。この設問に今一度重ねて考察を施し、靖国の思想とでも呼ぶべき一系の理念体系に、日本人の精神史という深い脈絡の中での然るべき位置づけを試みる、という作業が要請される。
本書はその試みのとりあえずの一つの報告書であるが、如上の設問に本書を以ってどの程度まで答え得ているか、結果は偏に読者諸賢の御判定に俟つより他はない。

・・・・・・・・とあり、

靖国神社の御創建時の呼称、東京招魂社が、現在の九段坂上に建立された明治二年から数え、来年六月には、満百五十年、という節目。正にタイムリー。
発刊の意義は大いにありましょう。

今年の春季例大祭での小堀新宮司のご挨拶に、【戦後】という意識すら急速に無くなりつつある現代にあってこの神社を守り続けてゆく模索を真摯に始めようと・・・、との抱負?懸念?・・・も、もっともなことで、終戦後の昭和二十一年から始まった占領政策の迫害は、国家によって保護されてきた靖国神社を単立の一宗教法人として経営・保全されるより他無い存在に貶め、さらなる理不尽な外圧をも加えられて、総理大臣の靖国参拝は公人としては違憲だが私人ならば容認される、などという愚かしい屁理屈さえ生まれたのは、靖国神社への執拗な敵意を日本人の中に見出し育成するという情報宣伝工作が見事に成功したほんの一例に過ぎません。

小堀新宮司は、伊勢神宮に長くご奉仕された方で、先頃、奇禍のため退任されたのは実に惜しい事でした、
今日ご紹介する新刊【靖国の精神史】の著者は小堀桂一郎先生でありますが、小堀宮司とはたまたま、苗字が同じだけの関係だそうです。


第一章 英霊祭祀の原型理念
第二章 守護神崇敬の源流
第三章 国家意識の形成ー遡及的考察
第四章 国家意識の熟成ー内発的要因
第五章 歴史の記憶ーその蓄積と再生


靖国神社という聖なる施設を成立せしめている国民の精神的な根拠は、そもそも何なのか、・・・

靖国の思想とでも呼ぶべき一系の理念体系に、・・・・・

日本人の精神史という深い脈絡の中での然るべき位置づけを試みる・・・・


それはそれは、水も漏らさぬあらゆる方向性を完備した体系化。驚きの全五章!!


是非ご一読を!











posted by 絵師天山 at 23:37| Comment(0) | 日本ならでは