2018年12月16日

あはれをかしの物語展


この度の個展は、無事終了しました。
沢山の方々が御来場、御高覧下さり、誠に有り難いことです。


殊に8日のギャラリートークは盛況、
さすがに平野啓子さまのフアン・・・・
大勢ご参加下さり、重ねて有り難い事でした。





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小堀桂一郎先生も駆けつけて下さり、
賑やかな会場でした、
かたりすと・平野啓子さんの名人芸を観た方は大感激!!
かぐや姫が降臨してきたみたい・・・・・でした。



詳報はおいおいに・・・お伝えします・・・








posted by 絵師天山 at 14:51| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年12月05日

あはれ・をかしの物語展


  【竹取】




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この作品は竹取と題して、第69回春の院展に出品しました。
50号のMサイズ。すこし長い四角です。
竹林の闇に光が射す気配と
月の揺り籠に抱かれている産まれたてのかぐや姫様


はげ!?

頭の毛は
生まれたたての赤ちゃんはたいてい解らないくらい薄い
禿げてはいないけれど、
ごく稀に黒々した赤ん坊も居ないではありませんが
こんなに立派なはげ・・・は・・・


月の世界から地球の竹林にイキナリ顕れて
三ヶ月で成人する・・・
つまり、人間よりも美しいが人間では・・・ない・・・
宇宙人みたい、だから、始めは毛が無い方が可愛い?
と思ったので、・・・こう、描きました。


産着も工夫して、
亀甲紋様の地に向い蝶の丸紋・・・
とし、・・・立体感をわざと無視。
新月の細い月の輪に産着を纏った姫を
上手く嵌めようと・・・・



竹林の重厚な暗さは、より神秘感を深める様に・・・・


元光る竹なむ一筋ありける
三寸ばかりなる人
いと美しうてゐたり
この稚子
麗はしき事世になく
屋の内は暗き処なく光満ちたり・・・・

心地悪しく苦しき時も
この子を見れば苦しき事もやみぬ
腹立たしき事も慰みけり・・・



御存じ竹取物語冒頭、
かぐや姫の生い立ちであります。





posted by 絵師天山 at 10:00| Comment(1) | あはれをかしの物語展

2018年12月04日

あはれ・をかしの物語展

展示最終チェック・・・・




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照明、配置、高さ、間隔・・・・
それぞれに会場を盛り上げ・・・・


いよいよ明日開幕です!

【あはれをかしの物語】高橋天山日本画展

日本橋三越本店6階特選画廊
12月5日〜10日
8日午後二時よりギャラリートーク
語り部 かたりすと 平野啓子氏が竹取物語を語って下さいます。


御来場お待ちしております。




posted by 絵師天山 at 15:51| Comment(0) | あはれをかしの物語展

あはれ・をかしの物語展

平成30年12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選美術画廊にて
【あはれをかしの物語】個展





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          【末摘花】



紅花の古名は、末摘花、すえつむはな・・・・と読みます。
紅藍、ベニアイ・・・とも呼び、久礼奈為、・・・・と書いて
クレナイ・・・と読む。万葉仮名ですね。


末摘む花、と呼ぶのは源氏物語に出てくるくらいの昔。
クレナイ・・、と呼ぶのは、もう、どのくらい前か分からないくらい昔から・・・

紅色の美しさに圧倒された女性が命名した・・・
のではないかと、思うのです。

超欲しィ!!!・・・
クレナイ?・・・・
の・・・


久礼奈為という漢字を当てたのはそんな昔じゃあなく
漢の文字が移入されて
従来のヤマト言葉に字を当てたら
・・・・こう、なった。


ホントに美しい。
画家として、この美しい色が出せなきゃ!?
・・・・・・出せれば大したものだが、
相当する絵の具は無く、
近い感じの色味を出すのさえ難しい。


輝くような、ほのめくような、澄き透るような紅色。

山形県の特産物です・・・、
紅花の畑もキレイ。7月1日に必ず一輪咲く。
これは実に不思議、広ーーーい畑を探すと
必ず気の早い一輪咲きに出会う。

咲き始めは黄色だが、日ごとに紅色に近づく
殊に花の芯から紅がにじみ出したような
朱に染まる黄色を楽しめる
ガクや葉に棘があって触れるとチクチク痛い
それを我慢して花を摘み取って紅モチに加工・・・


紅モチに加工するのには
大変な熟練の技と手間がかかり
出来あがった紅モチは
同じ重さの金よりもズット高値がつく。

大量の紅モチが無いと
紅染めは出来ない・・・・、一反の生地を染めるのに・・・

畑で種蒔きする所から、反物に染め上がるまで
それはそれは・・・深く長い道のり。


紅モチを溶かし出した溶液を頂いたことがあって
少し濁った紅色の半透明の液体・・・
それを、
胡粉の地塗り・・・美しい白さに溢れた、
真っ白な画面に塗ってみた・・・
塗り重ねるごとに紅色が濃くなってゆく
が、乾いて後、何日か経つと
紅色が黄褐色にトーンダウンして行く。
綺麗とは言い難い・・・・


紅染めの衣装は古来
日光には当ててはいけない・・・・・モノ


陽に当てると紅色が消えてなくなる・・・・

あああーーー
紅の御衣装は
深窓のお姫様のみに与えられた特権だった・・
外出する必要のない人・・・だけのモノ・・・

パンピーにとって
それはそれは残念な、・・・貴重な、
この世で最高の・・・・美しい色・・・・


なのに、末摘花と呼ぶ。

末に摘み取るほどオヘチャ・・・?

簡単に言えば、

ブスには誰も声を掛けない
・・・女性の美醜を語れば、
末代まで祟られるのに・・・
ブス!と言わずに、末摘花・・・
と言い換えたのは、日本人の美意識。
思いやり・・・


しかも、ホンモノの末摘花は、
実は
最高の色彩の元ですから・・・・・!!!


もののあはれ、ここに極まる。







posted by 絵師天山 at 01:00| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年12月03日

あはれをかしの物語展

平成30年12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊
【あはれ・をかしの物語 高橋天山 日本画展】開催
12月8日午後二時よりギャラリートーク
特別ゲスト、語り部 かたりすと 平野啓子氏 による竹取物語を上演します




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          【源氏物語・紫の上】




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          【同、部分】





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          【娘道成寺】



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          【同、部分】





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          【羽衣】





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          【源氏物語・須磨】





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          【源氏物語・明石】





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          【源氏物語・花散里】





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          【出雲の阿国】



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          【同、部分】





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          【かぞえうた】







posted by 絵師天山 at 01:00| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年12月02日

消費税完全撤廃!!!

現在8パーセント税率の消費税。
来年は10パーセントに上がる!

おフランスあたりでならとうに反対デモが湧きあがり
ストライキに及ぶ・・・・くらいの事であるにもかかわらず。

日本人はマジメですから、
しょうがないなーー
いやだなー・・・・と心底思っても
・・・でも行動にはなかなか移らない・・・・


まあ、町内会の清掃だって
トン汁がついても、やめとこー、
明日は早いし、近所の人に遭わないよう
今日は静かに暮らそう・・・・
草取りも嫌だし、あの人と出くわすのも面倒だし・・・

NHKの受信料払わない方法もある!!
・・・・?・・・らしいけれど
面と向かって強硬に拒否るのは嫌だし
さりとて、十重二十重に払わざるを得ないような仕組みに
はむかうのも面倒だし
御近所の手前もあり・・・・
ここは、我慢して払ってた方が無難・・・・

えっ!!スマホにも一律受信料課すの!!!・???

えーーーーーっ!!


くそ!!!

それでも行動には移らない・・・・


消費税は・・・

必須のモノへの課税だから公平だな・・・
まして近代国家の常識・・・・だし。
北欧なんか30パーセント?とか・・・・
つまりは、現代人の義務。
つまり、

“撤廃するなんて、言っちゃいけない!”



・・・・・まあ、町内会のお掃除欠席も問題だが、

NHK受信料半ば強制徴収されても
文句の一つも言えないのはもっと問題だし・・・


所得税で取られるよりは消費税で取られた方が良い、
という思い込みに洗脳されているのは

実は、もっと、ズットずっと大問題なんです
!!!!



冷え切った内需、
終わり無きデフレスパイラル・・・
それを挽回するのに
外国人招致・・・
外国人の持ち込む小銭をアテにするだけの愚策。
治安も乱れるのに・・・

賢い人ほど金を使わない時代に・・・

すべて消費税に掛かってます。

世界を金で牛耳っているのは
人口の0,001パーセントにも満たない
ごくごく一部の富裕層・・・というのを良く聞きますが
まあ当たらずとも遠からず。なんでしょうが・・・

弱肉強食

という残酷なルールがまかり通る、世の中は、幸せじゃありません。

買いたいものをとことん我慢する・・・なんて・・・・・
だめだよ、それじゃあ・・・・
金力で牛耳ろうとする連中の成すがまま
・・・・・











posted by 絵師天山 at 15:00| Comment(1) | 歴史の真実

2018年12月01日

あはれをかしの物語展

竹取物語絵巻の表装が出来上がって
この度の個展出品作品の柱となります。
表具は、岐阜の“ゑ絹”さん


シンプルで上品な仕立てにしていただきました。その全貌をお見せしましょう。
勿論、映像で満足されない方は、会場にお運びください。




          
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今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひいでける

逢ことも涙にうかぶ我が身には死なぬくすりも何にかはせむ

御文、不死の薬、並べて火を付けて燃やすべきよし、うけたまはりて
つはものども山へ登りけるよりなん その山をふじの山とは名づけける・・・・・






          


posted by 絵師天山 at 23:28| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月26日

貴乃花親方

大相撲九州場所。
終わって見れば予想だにしなかった小結貴景勝の優勝!
弱冠22歳、芦屋生まれのボンボン?
・・・・様なのに
小さい時からスパルタの父に仕込まれて、
貴乃花部屋に入門。
貴乃花親方の薫陶を得て
此の度の驚きの結果が生まれた!


相撲界を追われる様に引退した貴乃花親方

引退直後に愛弟子が番狂わせの優勝・・・・・

これはつまり、番狂わせではなく
当然起こるべくして起きた大どんでん返し・・・
だと、私は思うのです。


由緒ある主要資産の一等地をさっさと売り払い
従業員の首を撥ねまくって赤字会社が黒字に転じる・・・
そりゃあ、当たり前のこと・・・で
詐欺師をわざわざ外国から連れてこなくても
誰でも出来る・・・・


詐欺氏のお財布になり下がった日産

・・・・と同じく

横綱も大関も休場、・・・だから小結が優勝しても当然・・・
なのか?・・・というと決してそうではなく

同じ次元で語る事は出来ないかも知れませんが
日本の国の病巣という観点からすれば
全く同じ根っ子を感じるのは
私ばかりではなさそう・・・・




以前、小さくないのに小錦というしこ名の外国人力士が
入幕早々、大横綱千代の富士を力任せに土俵外に、文字通り、ふっ飛ばして以来、

傍若無人、力任せ、体力勝負、の外人関取に
大相撲そのものが乗っ取られ、
結果だけ手段を選ばずに追い求める風潮に
拍車がかかって、相撲ファン不在の土俵が
何年も続いた・・・


そこへ、救世主のように現れ
君臨したのが貴乃花でありました。
彼は身を以って国技を国技たらしめた・・・


不世出の名横綱ではありましたけれど
現役引退後はまたぞろ
傍若無人、力任せ、体力勝負、の外人関取の天下に・・


いつの時代でも
根本の病巣に気がつかない凡人が多いので
その時にしか通用しない社会風潮に流される。


日産も外国人連れてこなくてはやってられないほど
腐りきっていた・・・のかも知れない。
が、・・・
貴乃花を追い出すことを是とする風潮が
相撲界にあったのかも知れない。
が、・・・・・了見違いも甚だしい。


結果よりも
内在する“必然的な普遍性”を大切にするのが
日本人の美徳。
実は日本人でなくてもその方が人としては幸せ・・・ですが


つい、人は誰でも、結果を優先してしまい易い
長期的な展望より目先の結果に囚われる

囚われた結果、一時はそれで良いけれど
時と共に、
幸せからは・・・遠ざかる・・・・


貴乃花親方の愛弟子、貴景勝の優勝は、
ホントに大切にしなければならないこと
こそ、が最優先であることを
体で覚えさせられた人、が幸せになった・・・・・
のであります。



NHKは大相撲解説者に貴乃花親方を加える!
という英断をしてこそ国営放送と言えるでしょう。
エヌエイチケーと書いて北京放送東京支部と読む?
のではダメ・・・・です。




posted by 絵師天山 at 17:30| Comment(0) | 日本ならでは

2018年11月13日

【あはれをかしの物語】個展



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           【源氏物語小屏風】


平成30年12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選美術画廊にて
【あはれをかしの物語】個展

12月8日午後二時からは、ギャラリートーク。
特別ゲスト、平野啓子氏をお招きして竹取物語を語っていただく予定です。
平野さんは平成の語り部。“かたりすと”としてご活躍されています。




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日本の語り芸術を高める会 会長
大阪芸術大学芸術学部放送学科教授
武蔵野大学非常勤講師
(日本文化研究/朗読・語り・舞台演出)
警察大学講師(話し方)、
日本語大賞審査員・・・・等々、多方面のご活躍!!




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この【かぐや姫】の作品を公演で使っていただいたのがきっかけで、知遇を得まして、
つい先日も「語り」生活三十周年記念公演、を拝見したばかり・・・・・


日本の語り芸術を高める会の記念公演
起〜ki〜語りの初心にかえる
と題され、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、
太宰治の「カチカチ山」・・・・
聞き惚れる・・・という表現が一番近い内容でした!




ギャラリートークにお越し願ったのは
竹取物語の語り公演を聞かせてもらった故。
この方なら、是非ぜひ!!と・・・・




SEIZA★no,86 2018誌の巻頭随筆で平野さんはこう語っておられます。
                    
     「語り」での出会いーかぐや姫のらぶれたぁ   
               平野啓子



「読みたい人!」と先生が教室でみんなに向って問いかける。私は勢いよく手をあげる。古文の授業の『竹取物語』。大空から天人がこの世のものと思えない清らかな装束を着てかぐや姫を迎えに来る幻想的かつ緊迫感のある場面だった。天人たちの中に王と思われる人がいる。わたしは雰囲気を一心に声に集中させた。ムードたっぷりに、はい!「その中に王とおぼしき人・・・」すると、この瞬間、教室内がざわついた。「王を『玉』と読んだ」とクラスメートたちがクスクス笑っている。そこへわたしの斜め前の男子が「確かに王は玉だよな」と声を高くして言ったのをきっかけに、大爆笑が起こりしばらく止まらなかった。恥ずかしさで全身がかーっと熱くなった。全体に美しく不思議な生死観も感じる大好きな物語だった。わたしは玉と思い込んでいたのだ。優れた立派な貴人への美称なのだと、だのにこんなに笑われて、「ぎょく」と読めばまだよかったかも知れないのに、「たま」と言ってしまったのだ。

 
 と、このような思い出を持つわたしは、今「語り」を生業とし、その『竹取物語』を上演作品の主要演目にしている。国立劇場をはじめさまざまな劇場で、浜離宮恩賜庭園の屋外で、そして海外でも!
 日本最古の物語文学である。かぐや姫がいよいよ月に帰る、感情が煮詰まった後半に和歌が登場。また、意外に知られていないが、最後に富士山が描かれている。帝は姫からもらった不老不死の薬と手紙を天に一番近い山で焼く。そして、「その山を、ふじの山とはなづけける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ、言ひ伝へたる」で物語が締めくくられるのだ。

 
 もともと趣味で朗読を始め、もっと上手になりたいと思ったとき、鎌田弥惠(かまたみつえ)師と出会い、「語り」の世界に入った。名作文学を全文暗誦する「語り」は、たとえ誰が書いた文章であっても、その言葉を自分の心に刻み込み、自分の表現として声に出す。


 平成26年度に文化庁文化交流使として日本の「語り」を紹介するためにドイツ、トルコに派遣していただき、計八か所で上演した。かぐや姫が天に帰る別れのシーンでは、多くの外国人たちが心を動かされている様子だった。「語り」は国境を越えにくいジャンルと言われていたが、紀憂に終わった。

 上演後、日本語がどのように聴こえているのかを客席の外国人に聞くと、どちらの国でも、「音楽のようだ」と言われた。音節のほとんどが子音+母音でできている日本語は、ゆっくり話すと確かに音楽のように聴こえるのだろう。今でもわたしはあの『玉』の部分になると、毎回背筋がピンとして緊張する。間違えないように、祈るように丁寧に口にする。いっそう音楽的なのではないか。
 
 それにしても、かぐや姫が帝に最後に書いた手紙といったらいったいなんだ。「今はとて天の羽衣着る折りぞ君をあはれと思い出でける」・・・羽衣を着て月に帰る今こそあなたを愛しく慕わしく思う・・・なんて、最高の憧れの女人から今生の別れにこんなことを言われたら、もう帝の心に永遠に残り、かわいそうに帝はきっと他の女に恋ができなくなるのではないか。

 
 和歌や短歌は、主語や登場人物の固有名詞がぼかされていることが多くて、最近とみに心惹かれる。かぐや姫の和歌だって、もし、うっかりどこかに落としてしまい誰かに見られても「え、わたしのことじゃありません」と姫はすぐに否定できる。メールで送ろうが、流出しようが、誰が誰に向けて書いたかなんて本人同士のみが知る。便利だ。自分の想いをわずかな語数で表して相手に送ろうとする時に、必死に語彙を探る。なかなか見つからなくて、辞書を引き始める。先人の歌を紐解いたりもする。ピタリと当てはまる言い回しになった時に、送信ボタンを押して相手に想いを届ける。もし、気に入ってもらえたら、改めて手書きで書いて渡す。恋人が相手の場合は、そういう時間がすべて、いとしき恋の時間だ。

 
 今も昔も変わらない、人の心模様。それが、それぞれの時代の言葉で描かれ現代のわたしたちに届いている。母語はその国の文化の土台だと高名な先生がおっしゃっていた。歴史、宗教の違うそれぞれの国で培われた感性、習慣の中ではぐくまれた、コミュニケーションの大部分を占める言葉。「語り」に携わっている限り、言葉に触れる素敵な時間を過ごす人生である。今年は、わたしの語り生活三十周年になる。




      

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             【竹取物語絵巻】天人降下




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             【竹取物語絵巻】かぐや姫誕生





「語り」楽しみです!
          




           
posted by 絵師天山 at 09:00| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月12日

【あはれをかしの物語】個展

12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊
【あはれをかしの物語】個展出品作品より





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【故郷】




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         部分図

“うさぎ追いしかの山 小ブナ釣りしかの川 夢は今も巡りて・・・・・・”
うす霞む青空、紫色の山並み、山桜の白、そして緑。
春の里山は淡やいだ色彩の共演、名ドラマ・・・・・・






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           【秋映】

神々しいまでの紅葉、写しだす山湖の名水。
繰り返し描いてきたテーマであり、紫色にけぶるみちのくの深い秋を想います。






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            【ゆく蛍】

どうかするとたいそう暑い日もある初夏の宵。
谷間を埋め尽くす合歓の花房もしっとり湿って、はんなりと蛍火に浮かび上がる・・・・
“くれがたき 夏の日ぐらし ながむれば そのこととなく ものぞ哀しき”




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          部分図





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             【源氏物語・花散里】

様々な心労が続き、世の中をもの憂くばかり思われる光の君。
御忍びで出かけた中川のほとり、かつての恋人が弾く琴の音に魅かれ邸を望むけれど、答えはなく、
いつも優しく大らかに迎え入れてくれる花散里をなつかしく思うのでした。












posted by 絵師天山 at 22:16| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月11日

【あはれをかしの物語】個展

12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊
【あはれをかしの物語】個展出品作品より





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【朔日】(ついたち)

けじめの日、元日・・・ツイタチ・・・に昇る日輪は、襟を正す思い。
背筋が伸びる様です






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          【山湖の名月】

四季のうち、秋が一番好き。今年は殊にそう・・・・紅葉も良いが、盛りを過ぎ雪を待つころも良いですねぇ





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           【錦織】

紅葉の有様は、錦の織物のよう・・・・・ホントに





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            【狆曳き女官】

宮中の奥座敷でも鳴き声一つもらさない為に、貴人のペットとして愛されて来た犬、狆。
専任の女官も大切にされ、他の従者には無い特権さえありましたが、相応に当然、誰からも(犬からも)好かれる女性でなければ務まらなかった様です。




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            【三日月】

仄かな月の光に、川面がうっすらと浮かび上がります・・・・




posted by 絵師天山 at 00:07| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月08日

【あはれをかしの物語】個展

12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊
【あはれをかしの物語】個展出品作品より





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【不二山】

かぐや姫を月の世界に連れ戻してしまった天人達が、ご褒美にくれた“不死の妙薬”。
かぐや姫が居ない世界で不死になっても仕方がない、天に一番近いところで燃やしてしまいなさい、と
御門はおおせになり勅命を受けたもののふ共が、その頂で妙薬を焼いたのでその山を不二山と名付け、
転じて富士山と言う。
つまり、実に古き良き御名前であります。





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          【雛】(ひいな)

江戸時代中期〜後期、今に伝わる極めつきの美しい雛人形が造られました。都大路の地場産業として栄えたのでしょう。そもそもは、女の子の無事な生育を願い、身代わり=カタシロとして人形を川に流す、
のが本来の役目。
美々しく飾りたて子孫まで家宝として伝えたりしてはマズイわけですが、日本人はそこにさらなる愛惜を感じて、後世に残るほどの優美な雛を生み出すことを誇りとして来たのだと思います。
          




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           雛の部分





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          【羽音】

嵯峨野の床しい景観は広沢池あたりで一つのピークに達します。
伊勢の新斎宮を伴って、かの六条の御息所が仮住まいしたのはこのあたり?
時の流れが静止してしまった様な静寂。
殊にむし暑い夏に訪れると、鳥たちの羽音が翠の中にやさしく響き渡るのです。




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          部分図





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          【天の河】

月を眺めるほどの広い場所ではなく、樹間より覗く銀河も麗しい。













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【あはれをかしの物語】個展

12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊
【あはれをかしの物語】個展出品作品より


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          【かぐや姫昇天】

月の世界に還る、というのはいったいどういうこと?
米軍月駐留部隊に参加?・・・・・まさか
昇天し、星座に成りました、というのがコチラ。
額縁にも天の川を描き入れてみました。





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         【天神様】

菅原道真公程、理不尽な扱いをされた高官は居ません。
群を抜く知性と教養に溢れた非の打ちどころなき人物でありましたが、
藤原一門でなかったのが唯一の欠点。
妬みを買い左遷!
都を想いつつ大宰府にて客死。
その直後から宮中を狙いすましたような天災が打ち続く・・・・

タタリじゃーー!

こう言う場合、怨霊の祟りを鎮めるには、神様に昇格戴くのが常道。
平将門もそうだった・・・・今では学問の神様としてそれはそれは
尊崇される偉い神様ですね。





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         【秋霜】

紅葉は北の国から、高い山から降りてくる、
山地の鮮烈なる赤い紅葉は、このナナカマドが主役
それは真紅に、・・・・
晴れ渡る日よりも風が凪いで霧がかった様な日がキレイ





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         【池の面の月】

伊勢物語、西の対より・・・
深く心に残る、もう今は会えない人・・
彼女はヤンゴトナイ世界に行ってしまった・・・
懐かしさのあまり逢瀬を重ねた屋敷を訪れてみたものの・・・
池の面に映る半月のみ仄かに揺れて・・・

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして





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         【蝉しぐれ】

濃き翠の中のウルサイほどの蝉しぐれの静寂




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         【汀】

水際に佇む白鷺は、じっと、動かない・・・と思ったら
そーーっと足を差し出す、
ゆっくりと、前へ、そして、また動かない・・・
哲学者みたい、だが、エサ探してるだけだよ。





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         【月下を行く】

月明かりの淡き光芒のなか、番いの白い鳥が、音もなく・・・どこかへ














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2018年11月07日

【あはれをかしの物語】ー高橋天山日本画展ー

平成30年、12月5日〜10日 個展を開催いたします。
      於・・日本橋三越本店6階特選画廊
      8日午後二時からはギャラリートークショー
      【語リスト】平野啓子さんのライブ
      竹取物語を語って下さいます!




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     竹取物語絵巻部分、
    

 ・・・・御心をたがひに慰め給ふほどに三年ばかりありて春のはじめよりかぐや姫 月のおもしろく出たるを見て常よりも物思ひたるさまなり。“いかで月を見ではあらん”とて猶、月出づれば出でゐつつなげき思へり。夕やみには物思はぬ気色なり、月の程に成りぬれば うちなげきなどす。


月の世界に還ることが近づくにつれ、月を仰いでは打ち嘆くばかり・・・・・


 かぐや姫の物語は、竹取の翁が大金持ちになることや、五人の貴公子が、それぞれの難題に立ち向かって悉くブザマな失敗に終わる事、迎えに来た月世界の天人達に人間の圧力・武力は全く通じず成すすべもなかった事。など、現実のシャバを生き抜く、いわば庶民サイドから見た描き方が多く、それに比べるとかぐや姫の魅力に天皇さえ我を忘れてしまう、とか人間世界の秩序を慮ったかぐや姫に却って周囲がいさめられたりする、とか不死の妙薬を焼いてしまった山が不死山=富士山の名のはじまりだった、などの事はあまり印象に残らない。つまり庶民感覚からすれば、やんごとなきあたりの「普通の我々には関わりのない部分?」は、あまり省みられず、むしろ現実生活の実感から伺える事柄の方がこの物語を走らせ続けて来た様に思えます。
 なにしろ奈良時代から平成の御世まで千数百年もの間語り継がれ、漠然とであっても“かぐや姫”を知らぬ人は今日無いくらい超有名な物語。

 この物語を絵巻にする考えは以前からあり、先人の作例を参考としつつ勿論人気の所以は庶民性にあるけれども、その本質は“やんごとない賢きあたり”に根差していて、大げさに言えば、宇宙の摂理を見て取れるからこそ、時代を越えて残されて来た、という視点を重視して試作することにしました。
 今の時代に常識とされることでも、不変ではあり得ない。それを思えば、長大な時の流れに呑み込まれてしまわぬよう、真髄を成すであろう普遍性に重きを与えること。絵画の魅力は、ここにありましょう。

 そして源氏物語。千年以上すたれることなく輝きを失わぬ理由は、人情の本質が全く変わっていないから、であり、常識を超越しているからであり、理屈では計れないからであり、“もののあはれ”と総称する普遍性が満載されているからであります。
 【あはれをかしの物語】群。その行間から感じ取る映像。例え現実には見えないモノであっても、見えないからこそ、描きだす面白さがあり、そこに私なりの工夫があり、さらに共感という普遍性が生まれれば誠に幸いであります。


      ★






posted by 絵師天山 at 00:02| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月03日

三越特選画廊4回目の個展


年末12月5日〜10日
日本橋三越本店6階特選画廊にて個展を開催します。
【あはれをかしの物語】ー高橋天山日本画展ー
・・・・・・この場では4回目の個展


竹取物語絵巻、春秋遊楽図、竹取、遊魂・和泉式部、
月明・紫式部、夢中落花・小野小町、源氏物語小屏風、
かぐや姫、掛け軸・不二山、・・・・
他6号20点、寸松庵色紙20点、の小品を含め50点の展示。


竹取物語絵巻は10メートルに迫る、長さ。・・・・・
冒頭の竹林から、昇天のシーンまで、

      

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50点揃えるのに苦心していた御蔭で、ブログ?どころではありませんでしたが、漸く完成。
今は、図録が出来るのを待っているところです。


例年なら、11月3日は、明治神宮へご参拝するのが通例でしたが、
今年は、個展開催を御報告に伊勢神宮へ、英虞湾の宿で英気を養い
次いで吉野山の紅葉を愛で、吉野神宮へ詣で、後醍醐天皇にも御報告。
牡丹鍋に舌鼓・・・・


日本橋三越本店からのごあいさつ、に、


このたび、日本橋三越本店では「あはれをかしの物語・高橋天山日本画展」を開催致します。
1953年、東京に生まれた高橋氏は、東京造形大に学んだ後、院展の風景画の巨匠、故・今野忠一に師事しました。洋画から転じた独自の人物画、風景画で頭角を現し、1999年には院展同人に推挙されました。
2008年には天山と号を改め、一貫して、あはれをかし
な日本古来の優美な物語世界を追求しています。
2014年には、古事記に題を採った「日本神代絵巻」を、式年遷宮で湧く伊勢神宮へ奉納するなど、その活躍はますます悠久の時空を超えた広がりを見せています。
本展では、院展出品作、源氏物語屏風、竹取物語絵巻をはじめ、大作から小品まで約50点で、近年の集大成ともいえる壮大な雅の世界を展開いたします。なにとぞ御高覧賜りたくご案内申し上げます。




と、
ここ十数年、雅の世界を追い求めてきた、還暦を過ぎた稔り?としての50点であります。
御高覧お待ちしています!








posted by 絵師天山 at 23:23| Comment(0) | あはれをかしの物語展

2018年11月01日

靖国の精神史


読書の秋、著者謹呈をいただいて、
表題の本 【靖国の精神史】 
なる新刊本(PHP新書・小堀桂一郎著)を読了。
久しぶりのブログ更新にはこの新刊本のお話から・・・・



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まず、前文より
              

十九世紀中葉は、東アジアにおける国際関係の激動期だった。
この激しい嵐の風浪に翻弄されながらも、辛うじて国民国家としての自立と国際環境への適応を全うし得た明治の日本にとって、その適応に払った犠牲の記念碑のごとき東京招魂社が、国家的公共性を本質とする宗教施設となったのは、当然のことだった。
しかし、それから百年の二十世紀中葉になると、世界中で国民国家という存在自体が、その神聖不可侵を自明の前提とし得るような環境ではなくなっていた。勢い、靖国神社という宗教施設もまた、国家的公共性という基盤を自明のものとしてそこに安住することは難しい、と見る見方が生じてきた。
そのような難しい時代の到来に直面して、ここで改めて考えておきたいのは、靖国神社という聖なる施設を成立せしめている国民の精神的な根拠は、そもそも何なのか、ということである。この設問に今一度重ねて考察を施し、靖国の思想とでも呼ぶべき一系の理念体系に、日本人の精神史という深い脈絡の中での然るべき位置づけを試みる、という作業が要請される。
本書はその試みのとりあえずの一つの報告書であるが、如上の設問に本書を以ってどの程度まで答え得ているか、結果は偏に読者諸賢の御判定に俟つより他はない。

・・・・・・・・とあり、

靖国神社の御創建時の呼称、東京招魂社が、現在の九段坂上に建立された明治二年から数え、来年六月には、満百五十年、という節目。正にタイムリー。
発刊の意義は大いにありましょう。

今年の春季例大祭での小堀新宮司のご挨拶に、【戦後】という意識すら急速に無くなりつつある現代にあってこの神社を守り続けてゆく模索を真摯に始めようと・・・、との抱負?懸念?・・・も、もっともなことで、終戦後の昭和二十一年から始まった占領政策の迫害は、国家によって保護されてきた靖国神社を単立の一宗教法人として経営・保全されるより他無い存在に貶め、さらなる理不尽な外圧をも加えられて、総理大臣の靖国参拝は公人としては違憲だが私人ならば容認される、などという愚かしい屁理屈さえ生まれたのは、靖国神社への執拗な敵意を日本人の中に見出し育成するという情報宣伝工作が見事に成功したほんの一例に過ぎません。

小堀新宮司は、伊勢神宮に長くご奉仕された方で、先頃、奇禍のため退任されたのは実に惜しい事でした、
今日ご紹介する新刊【靖国の精神史】の著者は小堀桂一郎先生でありますが、小堀宮司とはたまたま、苗字が同じだけの関係だそうです。


第一章 英霊祭祀の原型理念
第二章 守護神崇敬の源流
第三章 国家意識の形成ー遡及的考察
第四章 国家意識の熟成ー内発的要因
第五章 歴史の記憶ーその蓄積と再生


靖国神社という聖なる施設を成立せしめている国民の精神的な根拠は、そもそも何なのか、・・・

靖国の思想とでも呼ぶべき一系の理念体系に、・・・・・

日本人の精神史という深い脈絡の中での然るべき位置づけを試みる・・・・


それはそれは、水も漏らさぬあらゆる方向性を完備した体系化。驚きの全五章!!


是非ご一読を!











posted by 絵師天山 at 23:37| Comment(0) | 日本ならでは

2018年07月06日

岸 昭夫 名人


まあ、騙されたと思って、ユーチューブで
岸昭夫名人の動画をご覧ください!


東北は山形県最上地方。
母なる大河最上川の名勝“最上峡芭蕉ライン観光”

江戸の昔、かの松尾芭蕉が奥の細道紀行の折、
最上峡を船で下って、酒田へ出た、
・・・さみだれをあつめてはやし最上川・・・・


先日所要があって、山形、秋田へ出張、
以前はちょいちょい写生取材の為に、全国あちらこちらへ
出かけたのですが、60歳を超えるあたりからは、
もっぱら古典を読みふけり、
有職故実などに凝り始め・・・
富士山以外は積極的に出歩かなくなっておりましたが
仕事などで訪れた地がどこも素敵で、幾度訪ねても
折り折に面白みがあり、スケッチする程でもないが
興味はソソラレル・・・・という日々。

が、今回の東北の旅は、緑イッパイ!

そして特別に旅情を慰めてくれたのが
この岸昭夫大名人唄うところの【最上川舟唄】でありました。



ヨーイさのマカショ
えーンやこらマーカセー・・・





「岸昭夫」の画像検索結果 140×161 - blf.co.jp.URL

肖像権などありますので、岸昭夫名人の素顔はご自身で検索、動画は必ず観て下さい!!ね!!





陸奥=みちのく、またの名を『奥の細道』、
都会の初夏は、コチラではまだ春の装い・・だったり・・・


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ブナが主役の森もまだ木の芽どき・・・
雪解けの水が清冽・・・・・


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それはそれは、見ごたえ満載




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この瀧は、鳥海山からの厖大なる水から生まれています・・・

その水域には特別豊かなな植生が広がる・・・
これは桂の大木の芽吹き・・・


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鳥海山は、秋田県と山形県をマタガル東北随一の名峰。
日本海側にせり出している独立峰なので、四季の変化が強烈。
特に冬は断固たる厳しさ・・・・・


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山頂へは簡単に行けないが、夏スキーなど楽しむには八合目の鉾立(ほこだて)まで車で行ける。
なんと!日本海に沈む夕日と東から昇る月とを同時に眺めることができます。



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日本海に沈む夕日は水面を染め尽くす・・・
忘れられない、印象・・


山形県中央に聳える名峰【月山】もすぐそこに見える・・・し


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それはそれは素晴らしい景観なので、

三泊五日の香港なんかまるで問題外!!
ワイハー論外!!!
個人の感想です・・・


その他、秋田では
レオナルド藤田の超大作やら
ユーゲニズムの岡田謙三とか、
・・昔懐かしい巨匠達と久しぶりの再会。、
さらに、秋田蘭画の小田野尚武や、佐竹の殿様の力作を拝見。
尺八縦物の軸で、鏑木清方の美人画は白眉でした。


尚武のパトロンだった佐竹公は、実に研究熱心で、技法書までしたためておられ、
殿様業そっちのけで絵を描いていたらしい・・・
殿様だけあって、おおらかな、欲しがらない作風は見事でした。



酒田の山居倉庫では享保雛の名品が飾られて・・・・。


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秋田美人、庄内美人、の言葉が
未だ実態として全国レベルであるのは
この地域の人々の文化への憧れの強さの現れ・・・

京都宮廷文化への憧敬そのもの、

つまりは日本ならでは・・・・・








     
posted by 絵師天山 at 10:55| Comment(0) | 日本ならでは

2018年05月29日

センター



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衣紋道高倉流 
仙石宗久氏による
【月替わり十二の十二単】
という現代装束界のビックイベントについて是非述べておきたいと思います

早くも櫻の散り始めた去る3月28日、
明治神宮参集殿に於いて開催されましたこの
【月替わり十二の十二単】
十二単を月毎にコーディネートして、豪華絢爛、
12人の美女に十二通りの装束を着せ、一同に会す、という
めったに見ることが出来ない大イベント!

信頼のおける友人からお誘いを受け
有りがたく鑑賞して参りました。


それはもう、世界ダントツ一位の衣装美を誇る十二単
このところ、ズット院展出品画に欠かせないモチーフとしている私のこととて、
絵の参考にもなるし、大好きだし、綺麗だし・・・美人揃いだし・・・
何も云う事はありませんで、大、大、大満足!


年末の三越での個展を予定している今年は
例年になく忙しく、慌ただしく過ごし、
ブログを書く余裕さえ無く暮らしてしまいましたが、
これは書いて置かねばと、ようやく筆を・・・・




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主催者は、学校法人 国際文化学園、
渋谷の神泉駅のそば、毎年コチラでもイベントが行われ
これまでにも幾度かお邪魔して、楽しませていただいておりましたが、
こんな贅沢な演出は初めてで、見事にショーアップされており
今回の会場が芽吹きの神苑、明治神宮参集殿であり、
明治大帝陛下に御挨拶申し上げた後に
うっとりと半日を過ごしたのであります。
多くの方にも知っていただきたい魅力を満載。
日本衣装美の極み、ここに集う感あり、
まざまざと日本伝統文化の深さを目の当たりにする思いでありました。


★★★


十二単を十二か月に掛け、気軽に楽しめるように配慮されており
仙石先生の解り易い解説を聞きながら、季節ごとの装いが完成されてゆきます。


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十二単の単(ひとえ)というのは、
もともと肌着だった衣(きぬ)。
単(ひとえ)の上にさらに衣を8枚重ねると
【八つ単】(やつひとえ)
10枚で【十単】(とおひとえ)
12枚で【十二単】(じゅうにひとえ)、
・・・・というわけですが、
いわゆる十二単(ひとえ)は
単(ひとえ)、の上に
五衣(いつつぎぬ)
打衣(うちぎぬ)、
表着(うわぎ)、
唐衣(からぎぬ)
を重ね着して・・・・八枚。
12枚ではないのに十二単と総称するのは、
社会通念故の俗称。
言い易いし通りが良いから・・・・・

実際、古い文献などには十二単という言葉は全く出てこない。
平家物語、源平盛衰記、“壇ノ浦の戦いの段”、建礼門院徳子さまが入水されたときに
≪弥生の末のことなので藤がさねの十二単であった・・・≫
とあるのが、古典にでてくる初見、・・・というのが定説であります。


時代により、着付けの仕方に違いがあったり
20枚以上も着重ねて、妍を競いあったり、
長い歴史の間には様々と変遷してきたが、
常に天皇を中心とする皇室、朝廷・・・がその発信源でありました。
そして、言うまでもなく、
世界に冠たる衣装美の極致・・・であり続けている。

手前みそでも何でもなく、
事実上のダントツ、トップの衣装美!!!!。



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あまり、知られてはおりませんが
実は、十二単より上のグレードもあり、
それは、【物具装束】(もののぐしょうぞく)
と呼ばれる十二単の豪華版!!
重要な儀式に
五節の舞などで用いられた事が分かっています。
が、
十二単、ジュウニヒトエ・・・の方が
何倍も楽しい響き!!



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さらに、男性の束帯となるともっと華麗豪華!!
オシドリの雌雄を見る如く、
男性の装束の方がゴージャス・・・
なんですが、
画像をご覧になるかぎり、
そんなこと・・・・知りませんよねぇ、




いずれにせよ、「お方」様・・・達の
・・・・着せられる人のことを「お方」と呼ぶ・・・
のなんと美しいこと・・・
12か月だから舞台に並ぶと
6,7月がセンターに・・・・

ずいぶんと鼻の下が伸びる筆者でありました。







posted by 絵師天山 at 15:23| Comment(0) | 装束 

2018年05月22日

画格

絵画にも格があり、
それらしき体裁を整えてあっても
風格・・・といった、内容の深さ高さが無いと
少しの間に飽きてしまったり
飽きるまでもなく興味が湧かなかったり・・
絵画に限られたことではないのですが、
絵の魅力を追いかけている者としては
【画格】ということはとても大切なことであります。


写実というポピュリズムに陥っている現代の美術家達は
悠久の日本歴史が生み出した数々の所産に目を背けているので
底の浅い西欧風に囚われたまま、未だ解放されていないからであり
残念な事ですが、もう少し時が必要らしく
写実は必須アイテムだが同時にもっと必須であるものがある・・・ことに気が付くには
人としての成熟がこれまた必須の様です。


芸術系大学の入学試験にデッサンを課すのは当たり前でしたが
此の度、東京芸術大学油絵科ではそれを廃止したようで、
画期的ではありますが、日本画科の先生方が呆れて大反対しているのは当然で
いったい何を以って選別の具とするのか?
という議論が巻き起こっているようです。


戦後70年を超え、平成の御代が終わろうとする今
もはや戦後という概念すら無くなってゆくであろう未来に
美術家は何を目指すべきなのか、難しい処に来ています。



温故知新がその道標であることはいつの時代でも同じこと。


しかし、現代の価値観で古きを尋ねていてはだめで
普遍なる価値観に立って古きを尋ね新しきを知らなければならない・・・


普遍性と言うのは、常識とも違うし通念でもない。

いかなる時代、いかなる地域、どのような世代、民族、国家・・
にせよ、必ず共感されるべきもの・・・・こそ普遍性であり、

視覚芸術に限っても普遍性が根幹に無ければそれは
泡沫・・・要らないもの、無駄、愚かな独りよがり・・・・なので、

写実よりも大切なのがこの普遍性を求める勉強・・・


明確にその事を認識している人があまりにも少ないので
このままではどうにもイカン!・・とは感じているけれど
どうしたら良いのかが分からない、
とりあえず写実の弊害を排除してみるとしましょう・・・
というのが、写実力の有る無しに拠っての入学選別を止めた今回の東京芸大油絵科の方針。


しかし反対する側も明確なる普遍性を求める心が成熟していないので
ヘ理屈に対するヘ理屈・・・・・らしい・・・・

知人のお嬢さんがメデタク東京芸大油絵科に入学・・・デッサンの経験が浅いこのお嬢さんは驚きと共に喜んだのは勿論だが、新学期が過ぎ写実力養成はどうしたら良いの?と戸惑う日々が、遂に父親を通じて私に質問・・・・・・笑えない現実が・・・




今年は季節の移ろいが早く桜もボタンもあっという間に散りました。
薫風香る初夏の気配に大相撲夏場所・・・
いつもの様に筆者も楽しんでおりますが、
中日を過ぎ、早くも勝ち越しの力士が名乗りを挙げはじめ
だんだん面白くなってきたのに
またぞろ、白鳳の馬鹿ものが呆れるような仕儀で面白さに水を差した。
相手は元大関、琴奨菊、・・勝ち星は上がらなくなったものの
元気でありまだまだ若さを十分保ち、ガブリ寄りの名人として大いに観客を魅了している、・・・勝ち越しのかかった白鳳は
突進名人に要らざる【待った!】・・・をかけた挙句
フライングとも言える出し抜いての立ち合いを見せ、
あわてて受けざるを得なくなった琴奨菊はタイミングをずらされて敢え無く敗退。
勝ち誇った白鳳は相変わらず、賞金をこれ見よがしにガバット獲ると
大威張りで勝ち名乗り!!・・・・・

ここまでの興味はこれで一気に冷え切って、ドッチラケ・・・・
40回の優勝を誇る大横綱が、相手力士の突進を敬遠して
要らざる【待った】をした挙句、格下を出し抜くが如き立会いで圧倒し、
勝ち名乗りを堂々と受けて大威張りで賞金を受け取る・・・
どっちが格下なのか・・・・いやはや・・・・

普遍なる相撲道、はここにはカケラもないのであります!!!!

聞けば、日本人に成るべく帰化することを反対していた父親が他界したのでいよいよ
日本に帰化し、親方となって部屋を持ち、それも銀座に白鳳部屋を建設して
ウインドー越しに稽古の様子がよく見えるような新しいスタイルの相撲部屋にするとか・・・・

あほか!!
そんなものイラン!
悠久の歴史のなかに築かれて来た普遍なる力士道への追求にこそ人は感動する、のであり
部屋が銀座に有るからじゃないぞ、ましてガラス越しに見たいからじゃないわい!!
ばかもの!


・・・・・・・ということで、
勝ち負けだけに価値があると実証し続けているあほ横綱!オマエこそ格下だぁ・・・・フアンの楽しみを奪うな!!!!!









画格の高さを示す内容こそ【普遍性の追求】であろうと
私は思うのであります。








posted by 絵師天山 at 12:54| Comment(0) | 日本画の真髄

2018年01月01日

聖徳記念絵画館 その7


あけましておめでとうございます

平成の御代に入って早30年・・・

戊戌(つちのといぬ)の本年は、
ちょうど明治150年に当たります!!!



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          松岡映丘筆、明治天皇像



明治元年3月、
明治天皇が天地の神々にお誓いになった

【五箇条御誓文】第一項は



広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ



この公論の【公】は、正に明治という画期的な時代を象徴する言葉でした。

つまり明治以前は長い間【公】のない【私】に終始した時代だった訳で、
・・・・・それまで日本の国ではそれぞれの世界が士農工商という身分制度や藩と藩の区別というような、すべてが【私】の世界に分断されてそれを幕府が統括する体制であったのが、その垣根を取り払っていわば、お互いの心と心とが直接触れ合うことのできる世界になった、と言う喜びがこの【公】という一字にに込められていると思うのです。

それは国内だけにとどまらず鎖国という【私】からの脱皮でもあり・・・・。

ペリー来航以来否応なく、西欧諸国の東洋侵略に対して一刻も早く対抗できる力を身につける為に外来の文化を積極的に採り入れ、活気あふれる明治文化を生み出す原動力ともなりました。



残念なことに、朝鮮と清とは押し寄せる外来文化に何の反応も示さず、西欧諸国の東洋への侵略の意図についても全く関心を持とうともせず、清はアヘン戦争以来まるで闘志無く、朝鮮は清の顔色を伺うばかりであり
文字通り【私】に浸り続けたまま・・・・・


このままでは日本は自らを守ることも出来ないし東洋は自滅するばかり・・

それを打開するために先ず清に朝鮮を独立国として認めさせねばならない。
日清戦争を戦い、それを奇貨として満州と朝鮮半島を制圧し、日本に迫ろうとするロシアの侵略の魔手を排除するために東洋の運命を一身に背負って戦ったのが日露戦争であります・・・・


日清日露両戦役の奇跡的なる勝利は日本人が【私】から【公】に脱皮し得たからであり、
その中心に明治天皇がおわしましたからであり、
世界中の人々を驚嘆せしめ畏敬せしめ・・・
世界史上の奇蹟!!・・であり
明治とは誠に輝かしい稀有なる時代だったのです。






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          松岡映丘筆、明治天皇像



白人不敗の神話を打ちやぶり、大東亜戦争には敗れたものの、アジアの全ての植民地が西欧列強支配から解放され独立した事実は、東洋の植民地解放という名分が歴史を先導したことを証明しています。

そして今。
北朝鮮の核の脅威、中国による領海侵犯・・ロシア、
・・・・等々
日本は明治維新の時と同じようにその渦の中心に立たされ・・・晒され・・・ているのに、

・・・・【公】を忘れ・・・・










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2017年12月23日

聖徳記念絵画館 その6


     

      聖徳絵画館2.jpg 

      聖徳記念絵画館展示場


明治天皇の歌人としての卓越は良く知られています、

御生涯の御製の総数は九万三千三十二首!

これは勿論、和歌史上のダントツ最高記録で、
この93032首という数は、
作歌を仕事としている歌人でも
とても及び難い数であり、
我々の想像もつかないほど政務でお忙しい御生活の中でお作りになられた数であることを考えれば、ただ々々驚嘆するばかり・・・・


さらに驚くべきことに、ご生涯のうち最も御多忙であられた時期にお作りになったお歌が最も多い!!

年間最多の作歌数はナント7526首!
それが、日露戦争勃発の明治三十七年、で、
一日平均二十首以上!!!!!
専門歌人さえ脱帽するのも当然ですね。


その全ては明治天皇御製全集百十冊に収められ、
宮内庁侍従職の一室に門外不出の秘本として架蔵されてあります。

その中から八千九百三十六首の御製を選んで項目別に編纂した
【類纂新輯明治天皇御集】が平成二年に明治神宮から刊行されており、
今のところこの書が一般庶民の手にすることのできる最多の御製収録集。
もっと簡便な版本も多数あり、普及度も高いのは
御歌そのもののグレードの高さと人気度を証明しています。


御存じ、明治神宮のオミクジは、明治天皇両陛下の御製、
心の奥底に届く様な・・・・・
平易な語彙で表現されていて、
極めて解りやすく、心を打つお歌ばかり・・・



西行や藤原定家や・・・
歌仙とうたわれた歴史上の名歌人達も
明治天皇には及ばない・・・・?


明治天皇のご事績を絵画化する聖徳記念絵画館にしても、
偉大な名君顕彰を企図したものでありますが、
和歌はもっと身近に・・・
明治天皇を敬慕するには
・・・大変良いアイテムですね。


・・・教育勅語も素晴らしいものなんだが、
これを時代遅れとか、なんとか言って排除しようと
今だに反対している馬鹿者もあり、
ユダヤ・アングロサクソン支配に盲従させられた挙句
目先の利害しか考えられない様に躾けられて・・・
折角の日本の凄さを忘れ・・・
何をかイワンや・・・・こう言うアホにも
和歌であれば解りやすく、日本の日本たる素晴らしさを・・
ちょこっと、覗かせてやれば目が覚めて?!
・・・・和歌は非常に良い働きをするのではないか?
と、思います。




ここで御製をいくつか例示させていただきましょう。

先回にご紹介した伊勢神宮御親拝
明治24年、皇大神宮にて
【社頭祈世】と題された、


 

 とこしへに民やすかれといのるなる
       わがよをまもれ伊勢のおほかみ

 ちはやふる神ぞ知るらむ民のため
       世をやすかれと祈る心は



明治帝は明治元年に御年15歳ですから
この明治24年伊勢神宮御親拝は40歳直前・・・

明治27年は維新後初めての対外戦争として清国との戦い
幸いにして短期間で決着し28年年頭に


 よものうみ波をさまりてこの春は
        心のどかに花を見るかな





最大の国難日露戦争開戦前夜の時期に


 暁のねざめしづかに思ふかな
        わがまつりごといかがあらむと


 まつりごとただしき国といはれなむ
        百のつかさよちから尽くして




明治37年二月遂に開戦となってからは、詠まれる和歌の数も質もさらにグレードアップ!!




 いくさ人いかなる野辺にあかすらむ
        蚊の声しげくなれる夜頃を


 いたでおふ人のみとりに心せよ
        にはかに風のさむくなりぬる


 ともしびをさしかふるまで軍人(いくさびと)
        おこせしふみをよみ見つるかな


 はからずも夜をふかしけりくにのため
        身をすてたりし人をかぞへて

 年へなば国のちからとなりぬべき
        人をおほくも失ひにけり

 国をおもふ道にふたつはなかりけり  
        軍(いくさ)の場(には)にたつもたたぬも

 子らは皆軍のにはに出ではてて
        翁やひとり山田もるらむ



明治帝の御仁慈は国民全般のみならず敵国の将兵の上にも


 国のためあたなす仇はくだくとも
        いつくしむべき事な忘れそ




辛うじて勝利に終わった日露戦争後、戦後状況に如何に対応すべきかの深い御懸念が・・・


 戦のかちにほこりてむらぎもの
        心ゆるぶなわがいくさびと


 国のため心も身をもくだきつる
        人のいさををたづねもらすな

 萬代もふみのうへにぞのこさせむ
        国につくしし臣の子の名は

 国のためかばねさらししますらをの
        たままつるべき時近づきぬ

 靖国のやしろにいつくかがみこそ
        やまと心のひかりなりけれ



そして御晩年老熟期に・・・・



 目にみえぬ神にむかひてはぢざるは
        人の心のまことなりけり

 すすむ世を見るにつけても思ふかな
        わが国民のうへはいかにと

 ことのはのまことの道を月花の
        もてあそびとは思はざらなむ


至尊調・・・といわれる所以が・・・


 千万の民の力をあつめなば
        いかなる業もならむとぞ思ふ

 なりはいを楽しむ民のよろこびは
        やがてもおのがよろこびにして

 わが国は神のすゑなり神祭る
        昔のてぶり忘るなゆめ

 わがしれる野にも山にもしげらせよ
        神ながらなる道をしへぐさ

 たらちねの親のみまへにありと見し
        夢のをしくも覚めにけるかな


御感性の瑞々しさ・・・飾り氣の無さ・・・


 思ふことおもふがままに言ひいづる
        をさなごころやまことなるらむ

 むらぎもの心のかぎりつくしてむ
        わが思ふことなりもならずも

 いかならむことある時もうつせみの
        人の心よゆたかならなむ

 こころからそこなふことのなくもがな
        親のかたみとおもふこの身を



最後の御年の御製・・・に


 なすことのなくて終らば世に長き
        齢をたもつかひやなからむ




聖徳記念絵画館の列品に添えて、御製も併せて掲げてくだされば・・・と思うのですが。


この項終わりに

【春雨】と題された珠玉の御製を・・・




  春さめの音ききながら文机の
         上にねぶりのもよほされつつ


  しづかなる春の雨夜を歌ひとつ
         よまでふかすがをしくもあるかな

  春さめのしづかなる夜になりにけり
         すずりとりよせ歌やよままし







posted by 絵師天山 at 00:59| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年12月13日

聖徳記念絵画館 その5


神宮親謁(伊勢の神宮ご参拝)



     IMG_4570.JPG




時   明治2年3月12日(1869年4月23日)

所   内宮玉垣御門(皇大神宮)

奉納者  侯爵 池田仲博

画家   松岡映丘(まつおかえいきゅう)


明治2年3月12日、天皇は、京都から東京へお帰りの途中、伊勢の神宮に参拝され、御祭神に、天皇政治の復活と政治の刷新をご奉告、国運の発展をお祈りになりました、天皇の神宮ご参拝はこれが初めてのことで、天皇は、みずから祖先を尊ぶお志をお示しになりました。

絵は、玉垣御門を通り神前に参進される光景です。




作者 松岡映丘氏については、
当ブログでも再三取り上げ、
大和絵の復興に生涯を尽くした誠実なる画人、
柳田國男の弟・・・

播磨北部の神東郡田原村辻川(現在の兵庫県神崎郡福崎町辻川)の旧家・松岡家に産まれた。兄には医師の松岡鼎、医師で歌人・国文学者の井上通泰(松岡泰蔵)、民俗学者の柳田國男、海軍軍人で民族学者、言語学者の松岡静雄がおり、映丘は末子にあたる。他に3人の兄がいたが夭折し、成人したのは映丘を含め5人で、これが世にいう「松岡五兄弟」である。

幼少時に長兄の鼎に引き取られ、利根川べりの下総中部の布川町(現在の茨城県北相馬郡利根町)に移った。その時分より歴史画、特に武者絵を好み、日本画家を目指した。明治28年(1895年)、最初は狩野派の橋本雅邦に学んだが、鎧を描くのが大好きだった映丘には合わず半年ほどで通わなくなり、明治30年(1897年)に兄の友人田山花袋の紹介で、今度は住吉派(土佐派の分派)の山名貫義に入門する。そこで本格的に大和絵の歴史や技法、有職故実(朝廷・公家・武家の儀典礼式や年中行事など)を研究するようになる。

明治32年(1899年)に東京美術学校日本画科に入学し、ここでは川端玉章、寺崎広業らの指導を受ける。また在学中に小堀鞆音や梶田半古、吉川霊華らの「歴史風俗画会」に参加している。明治37年(1904年)に首席で卒業する。映丘の画号は在学中に兄井上通泰に付けられたもので、『日本書紀』「天岩戸再生の条」で美の形容して「映二丘二谷」から取られている[1]。翌年、神奈川県立高等女学校と当時併設されていた神奈川女子師範学校の教諭を務めた。明治41年(1908年)、東京美術学校教授の小堀鞆音の抜擢で同校助教授に就任する。1912年の第6回文展において「宇治の宮の姫君たち」が初入選すると、以後官展を舞台に活動した。

1916年には「金鈴社」の結成に参加。1920年に、大阪堺出身の門人で、大阪では島成園門下だった林静野と結婚。静野の画業はよくわかっていないが、夫に勝るとも劣らない作品が残っている。1921年には自ら「新興大和絵会」を創立し、大正・昭和にかけて大和絵の復興運動を展開した。この会は1931年には解散したが、『絵巻物講話』(中央美術社)や、編著『図録絵巻物小釈』(森江書店、1926年)を著し、1929年には『日本絵巻物集成』(雄山閣)や『日本風俗画大成』(全10巻・中央美術社、復刻国書刊行会)の編纂を行った。

1928年秋に昭和天皇御大典を奉祝した記念絵画を納めている。1929年、第10回帝展に出品した《平治の重盛》で帝国美術院賞を受けた。1930年に帝国美術院会員に選ばれた。

1935年の帝展の改組で画壇が大きく揺れ、映丘は長年勤めた母校東京美術学校を辞し、同年9月に門下を合わせ「国画院」を結成した。1937年には帝国芸術院会員となるが、1938年に死去。56歳没。墓所は多磨霊園。


と、ウィキにも詳しく・・・
混迷する現代の日本画家はこの人を当面の目標にすべきであるとさえ
・・・私は思っております。


先回に遠近法に囚われている、と言う様な話をしましたが、
この作品もごく浅く遠近法を取り入れています。
が、参進される有様を横から見ての表現ですから、
距離感は余り無い。
・・・従って説明的な遠近を感じないで済み
神域の雰囲気を壊さない。


先回の作品は天皇のお姿を描かない古法が守られている、
と申し上げましたが、
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を纏われた
明治天皇自らの御親拝を詳らかにする、という意味で
この場合は、しっかりとお姿が描きだされ

天蓋を持つ侍者が赤色である他は皆黒い装束
玉垣が幾重にも重なるその垂直性と水平性とを拮抗対比させた中に
赤と御袍の緋黄土色という画中最も強い色彩を置いて
鮮烈な印象を生もうとした作者の意匠は見事!

神宮の社そのものは描かず、鳥居をくぐり内垣に入る手前を舞台にすることで
今度は天皇は描いたが、御祭神の社は描かない、という最上の礼を尽くしているのです。


しかも万幕の白黒が縦じまの強い造形ですから
空を少し暗い色にして不安定にし、
画面上部の重さで下部の強い造形に負けない工夫が成されているので、
実に、さすがは映丘先生。
筆技の妙・・・・!!
全く大したもの・・・・なんですね。







posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年12月10日

聖徳記念絵画館 その4

 
 即位礼(ご即位の儀式)



      IMG_4567.JPG  




時   明治元年8月27日(1868年」10月12日)

所   紫宸殿(ししんでん)(京都御所内)

奉納者  京都市

画家   猪飼嘯谷(いかいしょうこく)



即位の儀式は、昔から唐の制度にならって行われてきましたが、天皇の政治が新しい方針の下に行われる時なので、衣服は我が国古来の服装を用いられ、式場も全く新しい様式に改められました。

天皇は、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着用され高御座(たかみくら)にお登りになり、即位のことを天地の神々にお告げになりました。

絵は、即位礼の光景です。 



この作者については、以下、

猪飼嘯谷 いかい-しょうこく
1881−1939 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治14年4月12日生まれ。谷口香嶠(こうきょう)に四条派をまなぶ。はじめ母校京都市美術工芸学校で,明治43年から大正14年までは京都絵画専門学校(現京都市立芸大)でおしえた。歴史画を中心に明治41年以降文展で活躍,帝展に出品せず,昭和12年新文展に無鑑査出品した。昭和14年6月16日死去。59歳。京都出身。本名は卯吉(うきち)。作品に「大正天皇大礼絵巻」。



・・・とあります様に、長命は得られなかったが、四条派ですから、伝統的アカデミックなる出自。
京都派の日本画家として、王道を歩んだことは間違いありません。「大正天皇大礼絵巻」の作者でもあり、御皇室への尊崇は人並はずれたものがあったことも確かです。


拡大してご覧になると良く分かりますが、伝統的大和絵の手法。
精細、緻密、堅実、・・・・
テーマは即位礼ですから、明治天皇の御事績の中でもエポックなる出来事、
それに相応しいとされたのがこの作者、猪飼嘯谷先生だったのでしょう。


当然テーマに相応しいとされた作者が、御事績それぞれの担当と認定されて、制作に励む訳ですから、最重要なる儀式のシーンを描く人!としてこの人以外には居なかった?のかも知れません。

何れにせよ、手がたい熟練の手腕は、大したもので、
若干・・・遠近法に囚われてしまった!
という惜しいところもあるにせよ、この温厚さは十二分に頷ける。



遠近法は、所謂、送り・・・
コチラが近い方で、あちらは遠い方・・・
と、視点の遠近を描き分けることによって
より写真的真実に近づくので、解り易い。
が、解りやすいのと、美しさとは別物ですから、
絵画の魅力を発揮させるにはこの遠近法に囚われない
ということが重要なファクターになる。


けれども、先回も申し上げましたが時代は
西洋化の大波が押し寄せ、大和絵の大家も
時の要請は看過し得ない、・・・・
こう言うテーマは、
遠近法から超越して、所謂【吹き抜け屋台】式に描くと
超面白くなるんだが・・・・残念、
御時世という波には抗えなかったのでありましょう。



それでも基本は伝統的大和絵の手法ですから、
明暗とか立体感とか、写真的写実からは解き放たれている分だけマシ。

衣装美、・・・装束の華麗さは、
立体も平面で捕らえる・・・・という
大和絵の手法ならでは

陛下のお姿を隠して殆ど描かない・・というのも
古法に従っており、理に適っています。


後出の他作品には、陛下の御影を露出させて描いた場面もありますが、
即位礼という性質上、玉体は見えない様に描くのは当然の事。


平成の御代になった折の、今上陛下の即位礼では、
ナント!総理大臣が燕尾服で高御座の前に立ち、
有象無象の政治家を従えて、万歳ナド・・・していましたが、
燕尾服も間違っていますし、
そもそも総理大臣風情が高御座の前に立つこと自体驚きの不作法。
・・・・・なのであり、
いかに現代とはいえ、古式を知らないのにも程がある・・・
と言う事は、知っておかなければならないでしょう。
明治帝は鎌倉幕府以来手放されていた実権を取り戻し
あらゆる点に於いて、日本の日本たる所以を取り戻そうと聖慮を尽くされたのであります。



この図は、その正当なる古式を十分に伝え、
紫宸殿に設えた高御座の布置、・・・居並ぶ、皇族、公卿、命婦女王
しかも正面からは描かない、・・・という当然しかるべき謙虚なる視点。
悠久の日本歴史そのものが儀式として表現されたかのような荘厳華麗・・・

畏れを知らぬ傍若無人とは、明らかに一線を画す
考え抜かれた構図であることは確かです。






posted by 絵師天山 at 11:39| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年09月10日

聖徳記念絵画館 その3


聖徳記念絵画館 その3は、この作品から。



      IMG_4565.JPG

       13 江戸開城談判(江戸城開け渡しの会談)


時   明治元年3月14日(1868年4月6日)

所    芝 田町鹿児島藩邸(東京)

奉納者  侯爵  西郷吉之助(さいごうきちのすけ)
      伯爵  勝 精(かつくわし)

画家   結城素明(ゆうきそめい)


明治元年3月初め、大総督熾仁親王(たるひとしんのう)の率いる官軍は、江戸城にせまり、総攻撃の態勢を整えましたが、旧幕臣もこれを迎え討つ準備を着々と進めておりました。幕軍の代表安房守勝義那(あわのかみ かつよしくに=海舟)はこれを憂え、戦いを起こさないよう努力、官軍の大総督参謀西郷吉之助(隆盛)と芝田町の鹿児島藩邸で会談しました。この結果、江戸城の開け渡しが決定し、江戸市民は戦災を免れることができました。
絵は、西郷と勝が会談する光景です。





何とまあ、陳腐な絵ではありませんか!
おぢさんとおぢさんが・・・・
すすけた畳の部屋で対面しているだけ・・・・
慎ましさと、緊張感・・は漂うものの、
これと言って見どころは無く、
上記の説明文が無ければ
何の事か分からず
大した魅力も有りはしません。


歴史的瞬間というのはこんな風に
ナンでもない感じなのかもしれませんが、
それにしても、
写真や動画、映像文化に慣れ親しんでしまった現代人からすると、
何だか・・・・つまらん



確かに、よーっく観れば、細部にわたって良く描き込まれては・・・いますが、
歴史的瞬間な割に、ドラマチックな様子がそれほど・・・
感じられない・・・

作者の結城素明(ゆうきそめい)という画家が
ヘタクソなのか??


ウィキペディアによれば・・・

結城素明
東京本所荒井町に、「池田屋」という酒屋を営んでいた森田周助の次男として生まれる。本名の貞松は勝海舟の命名という。10歳の頃、親類の結城彦太郎の養嗣子となる。明治24年(1891年)7月岡倉覚三(天心)の紹介で、川端玉章の天真画塾に入門する。玉章に学びながら明治25年(1892年)東京美術学校日本画科に入学。常に墨斗と手帖を携帯し、目にとまったものは何でも写生したという。
27年(1894年)1月、素明は玉章の内弟子となった平福百穂と知り合い意気投合、両者に後年まで絵画技法上の共通性はないが、終生無二の親友として交友する。明治33年(1900年)无声会を結成、1904年東京美術学校助教授、1916年金鈴社結成に加わる。文展に出品、1913年教授、1919年東京女子高等師範学校教授兼任、1923年から英独仏へ留学、1925年帝国美術院会員、1937年帝国芸術院会員、1944年従三位・勲二等瑞宝章受章、1945年東京美術学校名誉教授。
作品


つまり、地位、からしても、名声から言っても
当代一流と言うに相応しい御方。

しかも、当の勝海舟から名前まで戴いた・・・


だのに、平凡さはぬぐえない駄作・・?


写実的絵画としては良いところまで行っているのですが、
この程度の写真的リアリティでは物足りない、
確かに写真から受け止められる感じを越えてはいるのだけれど、
今一つ絵画の魅力が足りないのは、
時代相にも、その因が・・・・

聖徳記念絵画館が出来上がる前後の時代は
正に西欧化の大波が押し寄せてきた頃であり
かろうじて日露戦争を勝ち越して残るには残ったが、
疲弊と西欧化への願望とが渦巻いていた。

絵画の世界もしかり、
写真的写実こそこれからの主流!
そういう風潮が強烈だった。

写実に偏らず、
写意を優先し魅力化した伝統的大和絵すら
時代遅れの烙印を押されていたころ・・・

芸大の教授さえもが、写生帳を片時も離さない時代だったから
この作品は、和紙に岩絵の具で描かれているのに、
油絵的写実に留まってはばからない。


加えて、この壁画群の性質として、
画題が始めから他人によって選定されており
大方の構図、などにも自ずからある程度の制約があり
画家の自由自在なる創作性に委ねられる割合が少なかった

よって、後に芸術院会員にまで登りつめ
画家として大成功を納めた程の立派な先生も
制約を大真面目に受け止め、
ましてや、自分の名付け親の実像を描くのに
全力を振り絞って写実力のみを注いだ結果が
・・・この様に
少々陳腐と言わざるを得ない作品になった・・・・

芸術的価値と言うよりも、
記録的価値が優先してしまった典型例であります。


客観性が九分九厘を占め
主観性が殆ど見当たらないのは
時代の要請を真摯に受け止めたが故とも言えるのでしょう。



だがしかし、結城素明(ゆうきそめい)の
愚直なる?写実性の力量こそ
この壁画制作に無くてはならないものでもありました。






つづく
posted by 絵師天山 at 00:54| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年09月01日

聖徳記念絵画館 その2


明治神宮外苑に聖徳記念絵画館の建築が企画されたのは大正7年のこと、
設計図案を全国から公募で募り、
150通を超える応募のなかからコンペで一等当選図案が決定されました。
海外諸国に伍して近代国家に“矢を放つ如き速さ”で脱皮してしまった日本という国家の真骨頂がこの図案にも良く現れています。
日本人は、
法隆寺の木造建築の如き世界にも稀に見る建造物を
どれくらい前から建てて来たのか?
出雲大社から出土した遺構を見ても、
日本人の匠の技は正に至芸、石造りの西洋建築の典型を造るくらい、ごく普通のお手軽仕事・・・・
甚だ優秀なこの一等当選図案は、神宮の造営局でさらなる審議を重ねた上大正8年夏、設計図の決定案が確定され、次いで10月に基礎工事に着手、
その竣工は大正15年10月。



 

     聖徳絵画館3.jpg






     聖徳絵画館1.jpg





この建物は壁画館として構想されたもので、
掲げられる壁画の数や画題の選定は建物の建築より早く、
大正6年5月に選定委員会が組織され、
閑院宮戴仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)を総裁に戴き、
顧問金子堅太郎以下10人の委員が選定の審議に当たり、
大正10年1月には全80点の画題選定を終え
“考証図”と呼ばれる粗描の図案を制作
その本図それぞれの制作担当者を選ぶことに、・・・


“考証図”を作ったのは東京美術学校校長、正木直彦の推薦による五姓田芳柳。
それぞれの画題の趣旨説明文を作るのは池辺義象が担当。

80点の壁画が絵画館に収まるについて、造営局はその各作品の奉納者を募り、選定。
費用の負担者、画料を寄進してくれる個人、法人を求めた訳です。


壁画制作については調成委員と呼ぶ画家を複数委嘱、
絵画委員黒田清輝発議により、
日本画部では竹内栖鳳、山元春挙、川合玉堂、下村観山、小堀鞆音、横山大観の6人
洋画部では、岡田三郎助、和田英作、中村不折、長原孝太郎、藤島武二、小林萬伍の6人

とし、第一回の調成委員会を大正12年9月半ばに予定していたのが
関東大震災に見舞われ、延期。暮も押し迫った12月開催、
日本画洋画、共に40点という配合も決まり実際の揮毫者選定に入ることに・・

しかし、
翌13年、絵画委員として画家たちを統括するようは役割を担っていた黒田清輝が死去。

次いで14年春には、川合玉堂、下村観山、横山大観、の三人が絵画調成委員を辞退するという事態に・・・・


既に建物の建築は大正8年に始まっている・・・のに、
日本画の調成委員で東京在住の玉堂、観山、鞆音、大観の四人は、
絵画館の展示が専ら明治天皇の御事績を讃える壁画に限られていることを不満として、
工芸作品なども含めた幅の広い聖徳記念美術館とすべきであると建議。
しかし、建物自体が壁画館として設計され、建造も始まっている・・・
今更の目的変更は不可。
明治神宮奉賛会理事会のこの回答に不満を抱いてのマサカ!の辞退・・・・

小堀鞆音も他の三人と共に美術館化への建議を唱えたものの自己の建議が容れられないことを不本意としての辞退ははなはだ宜しくない・・・熱い“皇室に対する尊崇の気持ち”が彼を留めさせた。


まあ、良くあること?でしょうね。

一つの事業に向かう姿勢は、それぞれであり、
始めは熱心で冷めてしまう人もあれば、
その逆の人も居て、事情もそれぞれ、
黙して語らずの人もあれば、喚き散らすような無粋も・・・

まして関東大震災という未曽有の天譴があり
普通の生活すらおぼつかないような時期・・・

大観先生は、滅びかけた院展を再興し、
大正12年9月1日にようやく開催に漕ぎつけた!
と思うや否や2日には関東大震災に見舞われる・・・という憂き目を体験・・・

正にそのさなかの聖徳記念絵画館事業参加云々・・・。

ナンとも不本意であったのだと思います。


大観作品が加わって居れば・・・

タラ、レバ・・・は言っても仕方がない。

有力な画家の不参加は大事業にとっては一つの頓挫でありましたが、
結果残された小堀鞆音のさらなる自覚を促し、新たな人材のチャンスに繋がる訳です。




続く
posted by 絵師天山 at 11:03| Comment(0) | 聖徳記念絵画館