2018年01月01日

聖徳記念絵画館 その7


あけましておめでとうございます

平成の御代に入って早30年・・・

戊戌(つちのといぬ)の本年は、
ちょうど明治150年に当たります!!!



          IMG_4617.JPG

          松岡映丘筆、明治天皇像



明治元年3月、
明治天皇が天地の神々にお誓いになった

【五箇条御誓文】第一項は



広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ



この公論の【公】は、正に明治という画期的な時代を象徴する言葉でした。

つまり明治以前は長い間【公】のない【私】に終始した時代だった訳で、
・・・・・それまで日本の国ではそれぞれの世界が士農工商という身分制度や藩と藩の区別というような、すべてが【私】の世界に分断されてそれを幕府が統括する体制であったのが、その垣根を取り払っていわば、お互いの心と心とが直接触れ合うことのできる世界になった、と言う喜びがこの【公】という一字にに込められていると思うのです。

それは国内だけにとどまらず鎖国という【私】からの脱皮でもあり・・・・。

ペリー来航以来否応なく、西欧諸国の東洋侵略に対して一刻も早く対抗できる力を身につける為に外来の文化を積極的に採り入れ、活気あふれる明治文化を生み出す原動力ともなりました。



残念なことに、朝鮮と清とは押し寄せる外来文化に何の反応も示さず、西欧諸国の東洋への侵略の意図についても全く関心を持とうともせず、清はアヘン戦争以来まるで闘志無く、朝鮮は清の顔色を伺うばかりであり
文字通り【私】に浸り続けたまま・・・・・


このままでは日本は自らを守ることも出来ないし東洋は自滅するばかり・・

それを打開するために先ず清に朝鮮を独立国として認めさせねばならない。
日清戦争を戦い、それを奇貨として満州と朝鮮半島を制圧し、日本に迫ろうとするロシアの侵略の魔手を排除するために東洋の運命を一身に背負って戦ったのが日露戦争であります・・・・


日清日露両戦役の奇跡的なる勝利は日本人が【私】から【公】に脱皮し得たからであり、
その中心に明治天皇がおわしましたからであり、
世界中の人々を驚嘆せしめ畏敬せしめ・・・
世界史上の奇蹟!!・・であり
明治とは誠に輝かしい稀有なる時代だったのです。






          IMG_4634.JPG
          松岡映丘筆、明治天皇像



白人不敗の神話を打ちやぶり、大東亜戦争には敗れたものの、アジアの全ての植民地が西欧列強支配から解放され独立した事実は、東洋の植民地解放という名分が歴史を先導したことを証明しています。

そして今。
北朝鮮の核の脅威、中国による領海侵犯・・ロシア、
・・・・等々
日本は明治維新の時と同じようにその渦の中心に立たされ・・・晒され・・・ているのに、

・・・・【公】を忘れ・・・・










posted by 絵師天山 at 23:25| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年12月23日

聖徳記念絵画館 その6


     

      聖徳絵画館2.jpg 

      聖徳記念絵画館展示場


明治天皇の歌人としての卓越は良く知られています、

御生涯の御製の総数は九万三千三十二首!

これは勿論、和歌史上のダントツ最高記録で、
この93032首という数は、
作歌を仕事としている歌人でも
とても及び難い数であり、
我々の想像もつかないほど政務でお忙しい御生活の中でお作りになられた数であることを考えれば、ただ々々驚嘆するばかり・・・・


さらに驚くべきことに、ご生涯のうち最も御多忙であられた時期にお作りになったお歌が最も多い!!

年間最多の作歌数はナント7526首!
それが、日露戦争勃発の明治三十七年、で、
一日平均二十首以上!!!!!
専門歌人さえ脱帽するのも当然ですね。


その全ては明治天皇御製全集百十冊に収められ、
宮内庁侍従職の一室に門外不出の秘本として架蔵されてあります。

その中から八千九百三十六首の御製を選んで項目別に編纂した
【類纂新輯明治天皇御集】が平成二年に明治神宮から刊行されており、
今のところこの書が一般庶民の手にすることのできる最多の御製収録集。
もっと簡便な版本も多数あり、普及度も高いのは
御歌そのもののグレードの高さと人気度を証明しています。


御存じ、明治神宮のオミクジは、明治天皇両陛下の御製、
心の奥底に届く様な・・・・・
平易な語彙で表現されていて、
極めて解りやすく、心を打つお歌ばかり・・・



西行や藤原定家や・・・
歌仙とうたわれた歴史上の名歌人達も
明治天皇には及ばない・・・・?


明治天皇のご事績を絵画化する聖徳記念絵画館にしても、
偉大な名君顕彰を企図したものでありますが、
和歌はもっと身近に・・・
明治天皇を敬慕するには
・・・大変良いアイテムですね。


・・・教育勅語も素晴らしいものなんだが、
これを時代遅れとか、なんとか言って排除しようと
今だに反対している馬鹿者もあり、
ユダヤ・アングロサクソン支配に盲従させられた挙句
目先の利害しか考えられない様に躾けられて・・・
折角の日本の凄さを忘れ・・・
何をかイワンや・・・・こう言うアホにも
和歌であれば解りやすく、日本の日本たる素晴らしさを・・
ちょこっと、覗かせてやれば目が覚めて?!
・・・・和歌は非常に良い働きをするのではないか?
と、思います。




ここで御製をいくつか例示させていただきましょう。

先回にご紹介した伊勢神宮御親拝
明治24年、皇大神宮にて
【社頭祈世】と題された、


 

 とこしへに民やすかれといのるなる
       わがよをまもれ伊勢のおほかみ

 ちはやふる神ぞ知るらむ民のため
       世をやすかれと祈る心は



明治帝は明治元年に御年15歳ですから
この明治24年伊勢神宮御親拝は40歳直前・・・

明治27年は維新後初めての対外戦争として清国との戦い
幸いにして短期間で決着し28年年頭に


 よものうみ波をさまりてこの春は
        心のどかに花を見るかな





最大の国難日露戦争開戦前夜の時期に


 暁のねざめしづかに思ふかな
        わがまつりごといかがあらむと


 まつりごとただしき国といはれなむ
        百のつかさよちから尽くして




明治37年二月遂に開戦となってからは、詠まれる和歌の数も質もさらにグレードアップ!!




 いくさ人いかなる野辺にあかすらむ
        蚊の声しげくなれる夜頃を


 いたでおふ人のみとりに心せよ
        にはかに風のさむくなりぬる


 ともしびをさしかふるまで軍人(いくさびと)
        おこせしふみをよみ見つるかな


 はからずも夜をふかしけりくにのため
        身をすてたりし人をかぞへて

 年へなば国のちからとなりぬべき
        人をおほくも失ひにけり

 国をおもふ道にふたつはなかりけり  
        軍(いくさ)の場(には)にたつもたたぬも

 子らは皆軍のにはに出ではてて
        翁やひとり山田もるらむ



明治帝の御仁慈は国民全般のみならず敵国の将兵の上にも


 国のためあたなす仇はくだくとも
        いつくしむべき事な忘れそ




辛うじて勝利に終わった日露戦争後、戦後状況に如何に対応すべきかの深い御懸念が・・・


 戦のかちにほこりてむらぎもの
        心ゆるぶなわがいくさびと


 国のため心も身をもくだきつる
        人のいさををたづねもらすな

 萬代もふみのうへにぞのこさせむ
        国につくしし臣の子の名は

 国のためかばねさらししますらをの
        たままつるべき時近づきぬ

 靖国のやしろにいつくかがみこそ
        やまと心のひかりなりけれ



そして御晩年老熟期に・・・・



 目にみえぬ神にむかひてはぢざるは
        人の心のまことなりけり

 すすむ世を見るにつけても思ふかな
        わが国民のうへはいかにと

 ことのはのまことの道を月花の
        もてあそびとは思はざらなむ


至尊調・・・といわれる所以が・・・


 千万の民の力をあつめなば
        いかなる業もならむとぞ思ふ

 なりはいを楽しむ民のよろこびは
        やがてもおのがよろこびにして

 わが国は神のすゑなり神祭る
        昔のてぶり忘るなゆめ

 わがしれる野にも山にもしげらせよ
        神ながらなる道をしへぐさ

 たらちねの親のみまへにありと見し
        夢のをしくも覚めにけるかな


御感性の瑞々しさ・・・飾り氣の無さ・・・


 思ふことおもふがままに言ひいづる
        をさなごころやまことなるらむ

 むらぎもの心のかぎりつくしてむ
        わが思ふことなりもならずも

 いかならむことある時もうつせみの
        人の心よゆたかならなむ

 こころからそこなふことのなくもがな
        親のかたみとおもふこの身を



最後の御年の御製・・・に


 なすことのなくて終らば世に長き
        齢をたもつかひやなからむ




聖徳記念絵画館の列品に添えて、御製も併せて掲げてくだされば・・・と思うのですが。


この項終わりに

【春雨】と題された珠玉の御製を・・・




  春さめの音ききながら文机の
         上にねぶりのもよほされつつ


  しづかなる春の雨夜を歌ひとつ
         よまでふかすがをしくもあるかな

  春さめのしづかなる夜になりにけり
         すずりとりよせ歌やよままし







posted by 絵師天山 at 00:59| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年12月13日

聖徳記念絵画館 その5


神宮親謁(伊勢の神宮ご参拝)



     IMG_4570.JPG




時   明治2年3月12日(1869年4月23日)

所   内宮玉垣御門(皇大神宮)

奉納者  侯爵 池田仲博

画家   松岡映丘(まつおかえいきゅう)


明治2年3月12日、天皇は、京都から東京へお帰りの途中、伊勢の神宮に参拝され、御祭神に、天皇政治の復活と政治の刷新をご奉告、国運の発展をお祈りになりました、天皇の神宮ご参拝はこれが初めてのことで、天皇は、みずから祖先を尊ぶお志をお示しになりました。

絵は、玉垣御門を通り神前に参進される光景です。




作者 松岡映丘氏については、
当ブログでも再三取り上げ、
大和絵の復興に生涯を尽くした誠実なる画人、
柳田國男の弟・・・

播磨北部の神東郡田原村辻川(現在の兵庫県神崎郡福崎町辻川)の旧家・松岡家に産まれた。兄には医師の松岡鼎、医師で歌人・国文学者の井上通泰(松岡泰蔵)、民俗学者の柳田國男、海軍軍人で民族学者、言語学者の松岡静雄がおり、映丘は末子にあたる。他に3人の兄がいたが夭折し、成人したのは映丘を含め5人で、これが世にいう「松岡五兄弟」である。

幼少時に長兄の鼎に引き取られ、利根川べりの下総中部の布川町(現在の茨城県北相馬郡利根町)に移った。その時分より歴史画、特に武者絵を好み、日本画家を目指した。明治28年(1895年)、最初は狩野派の橋本雅邦に学んだが、鎧を描くのが大好きだった映丘には合わず半年ほどで通わなくなり、明治30年(1897年)に兄の友人田山花袋の紹介で、今度は住吉派(土佐派の分派)の山名貫義に入門する。そこで本格的に大和絵の歴史や技法、有職故実(朝廷・公家・武家の儀典礼式や年中行事など)を研究するようになる。

明治32年(1899年)に東京美術学校日本画科に入学し、ここでは川端玉章、寺崎広業らの指導を受ける。また在学中に小堀鞆音や梶田半古、吉川霊華らの「歴史風俗画会」に参加している。明治37年(1904年)に首席で卒業する。映丘の画号は在学中に兄井上通泰に付けられたもので、『日本書紀』「天岩戸再生の条」で美の形容して「映二丘二谷」から取られている[1]。翌年、神奈川県立高等女学校と当時併設されていた神奈川女子師範学校の教諭を務めた。明治41年(1908年)、東京美術学校教授の小堀鞆音の抜擢で同校助教授に就任する。1912年の第6回文展において「宇治の宮の姫君たち」が初入選すると、以後官展を舞台に活動した。

1916年には「金鈴社」の結成に参加。1920年に、大阪堺出身の門人で、大阪では島成園門下だった林静野と結婚。静野の画業はよくわかっていないが、夫に勝るとも劣らない作品が残っている。1921年には自ら「新興大和絵会」を創立し、大正・昭和にかけて大和絵の復興運動を展開した。この会は1931年には解散したが、『絵巻物講話』(中央美術社)や、編著『図録絵巻物小釈』(森江書店、1926年)を著し、1929年には『日本絵巻物集成』(雄山閣)や『日本風俗画大成』(全10巻・中央美術社、復刻国書刊行会)の編纂を行った。

1928年秋に昭和天皇御大典を奉祝した記念絵画を納めている。1929年、第10回帝展に出品した《平治の重盛》で帝国美術院賞を受けた。1930年に帝国美術院会員に選ばれた。

1935年の帝展の改組で画壇が大きく揺れ、映丘は長年勤めた母校東京美術学校を辞し、同年9月に門下を合わせ「国画院」を結成した。1937年には帝国芸術院会員となるが、1938年に死去。56歳没。墓所は多磨霊園。


と、ウィキにも詳しく・・・
混迷する現代の日本画家はこの人を当面の目標にすべきであるとさえ
・・・私は思っております。


先回に遠近法に囚われている、と言う様な話をしましたが、
この作品もごく浅く遠近法を取り入れています。
が、参進される有様を横から見ての表現ですから、
距離感は余り無い。
・・・従って説明的な遠近を感じないで済み
神域の雰囲気を壊さない。


先回の作品は天皇のお姿を描かない古法が守られている、
と申し上げましたが、
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を纏われた
明治天皇自らの御親拝を詳らかにする、という意味で
この場合は、しっかりとお姿が描きだされ

天蓋を持つ侍者が赤色である他は皆黒い装束
玉垣が幾重にも重なるその垂直性と水平性とを拮抗対比させた中に
赤と御袍の緋黄土色という画中最も強い色彩を置いて
鮮烈な印象を生もうとした作者の意匠は見事!

神宮の社そのものは描かず、鳥居をくぐり内垣に入る手前を舞台にすることで
今度は天皇は描いたが、御祭神の社は描かない、という最上の礼を尽くしているのです。


しかも万幕の白黒が縦じまの強い造形ですから
空を少し暗い色にして不安定にし、
画面上部の重さで下部の強い造形に負けない工夫が成されているので、
実に、さすがは映丘先生。
筆技の妙・・・・!!
全く大したもの・・・・なんですね。







posted by 絵師天山 at 03:00| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年12月10日

聖徳記念絵画館 その4

 
 即位礼(ご即位の儀式)



      IMG_4567.JPG  




時   明治元年8月27日(1868年」10月12日)

所   紫宸殿(ししんでん)(京都御所内)

奉納者  京都市

画家   猪飼嘯谷(いかいしょうこく)



即位の儀式は、昔から唐の制度にならって行われてきましたが、天皇の政治が新しい方針の下に行われる時なので、衣服は我が国古来の服装を用いられ、式場も全く新しい様式に改められました。

天皇は、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着用され高御座(たかみくら)にお登りになり、即位のことを天地の神々にお告げになりました。

絵は、即位礼の光景です。 



この作者については、以下、

猪飼嘯谷 いかい-しょうこく
1881−1939 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治14年4月12日生まれ。谷口香嶠(こうきょう)に四条派をまなぶ。はじめ母校京都市美術工芸学校で,明治43年から大正14年までは京都絵画専門学校(現京都市立芸大)でおしえた。歴史画を中心に明治41年以降文展で活躍,帝展に出品せず,昭和12年新文展に無鑑査出品した。昭和14年6月16日死去。59歳。京都出身。本名は卯吉(うきち)。作品に「大正天皇大礼絵巻」。



・・・とあります様に、長命は得られなかったが、四条派ですから、伝統的アカデミックなる出自。
京都派の日本画家として、王道を歩んだことは間違いありません。「大正天皇大礼絵巻」の作者でもあり、御皇室への尊崇は人並はずれたものがあったことも確かです。


拡大してご覧になると良く分かりますが、伝統的大和絵の手法。
精細、緻密、堅実、・・・・
テーマは即位礼ですから、明治天皇の御事績の中でもエポックなる出来事、
それに相応しいとされたのがこの作者、猪飼嘯谷先生だったのでしょう。


当然テーマに相応しいとされた作者が、御事績それぞれの担当と認定されて、制作に励む訳ですから、最重要なる儀式のシーンを描く人!としてこの人以外には居なかった?のかも知れません。

何れにせよ、手がたい熟練の手腕は、大したもので、
若干・・・遠近法に囚われてしまった!
という惜しいところもあるにせよ、この温厚さは十二分に頷ける。



遠近法は、所謂、送り・・・
コチラが近い方で、あちらは遠い方・・・
と、視点の遠近を描き分けることによって
より写真的真実に近づくので、解り易い。
が、解りやすいのと、美しさとは別物ですから、
絵画の魅力を発揮させるにはこの遠近法に囚われない
ということが重要なファクターになる。


けれども、先回も申し上げましたが時代は
西洋化の大波が押し寄せ、大和絵の大家も
時の要請は看過し得ない、・・・・
こう言うテーマは、
遠近法から超越して、所謂【吹き抜け屋台】式に描くと
超面白くなるんだが・・・・残念、
御時世という波には抗えなかったのでありましょう。



それでも基本は伝統的大和絵の手法ですから、
明暗とか立体感とか、写真的写実からは解き放たれている分だけマシ。

衣装美、・・・装束の華麗さは、
立体も平面で捕らえる・・・・という
大和絵の手法ならでは

陛下のお姿を隠して殆ど描かない・・というのも
古法に従っており、理に適っています。


後出の他作品には、陛下の御影を露出させて描いた場面もありますが、
即位礼という性質上、玉体は見えない様に描くのは当然の事。


平成の御代になった折の、今上陛下の即位礼では、
ナント!総理大臣が燕尾服で高御座の前に立ち、
有象無象の政治家を従えて、万歳ナド・・・していましたが、
燕尾服も間違っていますし、
そもそも総理大臣風情が高御座の前に立つこと自体驚きの不作法。
・・・・・なのであり、
いかに現代とはいえ、古式を知らないのにも程がある・・・
と言う事は、知っておかなければならないでしょう。
明治帝は鎌倉幕府以来手放されていた実権を取り戻し
あらゆる点に於いて、日本の日本たる所以を取り戻そうと聖慮を尽くされたのであります。



この図は、その正当なる古式を十分に伝え、
紫宸殿に設えた高御座の布置、・・・居並ぶ、皇族、公卿、命婦女王
しかも正面からは描かない、・・・という当然しかるべき謙虚なる視点。
悠久の日本歴史そのものが儀式として表現されたかのような荘厳華麗・・・

畏れを知らぬ傍若無人とは、明らかに一線を画す
考え抜かれた構図であることは確かです。






posted by 絵師天山 at 11:39| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年09月10日

聖徳記念絵画館 その3


聖徳記念絵画館 その3は、この作品から。



      IMG_4565.JPG

       13 江戸開城談判(江戸城開け渡しの会談)


時   明治元年3月14日(1868年4月6日)

所    芝 田町鹿児島藩邸(東京)

奉納者  侯爵  西郷吉之助(さいごうきちのすけ)
      伯爵  勝 精(かつくわし)

画家   結城素明(ゆうきそめい)


明治元年3月初め、大総督熾仁親王(たるひとしんのう)の率いる官軍は、江戸城にせまり、総攻撃の態勢を整えましたが、旧幕臣もこれを迎え討つ準備を着々と進めておりました。幕軍の代表安房守勝義那(あわのかみ かつよしくに=海舟)はこれを憂え、戦いを起こさないよう努力、官軍の大総督参謀西郷吉之助(隆盛)と芝田町の鹿児島藩邸で会談しました。この結果、江戸城の開け渡しが決定し、江戸市民は戦災を免れることができました。
絵は、西郷と勝が会談する光景です。





何とまあ、陳腐な絵ではありませんか!
おぢさんとおぢさんが・・・・
すすけた畳の部屋で対面しているだけ・・・・
慎ましさと、緊張感・・は漂うものの、
これと言って見どころは無く、
上記の説明文が無ければ
何の事か分からず
大した魅力も有りはしません。


歴史的瞬間というのはこんな風に
ナンでもない感じなのかもしれませんが、
それにしても、
写真や動画、映像文化に慣れ親しんでしまった現代人からすると、
何だか・・・・つまらん



確かに、よーっく観れば、細部にわたって良く描き込まれては・・・いますが、
歴史的瞬間な割に、ドラマチックな様子がそれほど・・・
感じられない・・・

作者の結城素明(ゆうきそめい)という画家が
ヘタクソなのか??


ウィキペディアによれば・・・

結城素明
東京本所荒井町に、「池田屋」という酒屋を営んでいた森田周助の次男として生まれる。本名の貞松は勝海舟の命名という。10歳の頃、親類の結城彦太郎の養嗣子となる。明治24年(1891年)7月岡倉覚三(天心)の紹介で、川端玉章の天真画塾に入門する。玉章に学びながら明治25年(1892年)東京美術学校日本画科に入学。常に墨斗と手帖を携帯し、目にとまったものは何でも写生したという。
27年(1894年)1月、素明は玉章の内弟子となった平福百穂と知り合い意気投合、両者に後年まで絵画技法上の共通性はないが、終生無二の親友として交友する。明治33年(1900年)无声会を結成、1904年東京美術学校助教授、1916年金鈴社結成に加わる。文展に出品、1913年教授、1919年東京女子高等師範学校教授兼任、1923年から英独仏へ留学、1925年帝国美術院会員、1937年帝国芸術院会員、1944年従三位・勲二等瑞宝章受章、1945年東京美術学校名誉教授。
作品


つまり、地位、からしても、名声から言っても
当代一流と言うに相応しい御方。

しかも、当の勝海舟から名前まで戴いた・・・


だのに、平凡さはぬぐえない駄作・・?


写実的絵画としては良いところまで行っているのですが、
この程度の写真的リアリティでは物足りない、
確かに写真から受け止められる感じを越えてはいるのだけれど、
今一つ絵画の魅力が足りないのは、
時代相にも、その因が・・・・

聖徳記念絵画館が出来上がる前後の時代は
正に西欧化の大波が押し寄せてきた頃であり
かろうじて日露戦争を勝ち越して残るには残ったが、
疲弊と西欧化への願望とが渦巻いていた。

絵画の世界もしかり、
写真的写実こそこれからの主流!
そういう風潮が強烈だった。

写実に偏らず、
写意を優先し魅力化した伝統的大和絵すら
時代遅れの烙印を押されていたころ・・・

芸大の教授さえもが、写生帳を片時も離さない時代だったから
この作品は、和紙に岩絵の具で描かれているのに、
油絵的写実に留まってはばからない。


加えて、この壁画群の性質として、
画題が始めから他人によって選定されており
大方の構図、などにも自ずからある程度の制約があり
画家の自由自在なる創作性に委ねられる割合が少なかった

よって、後に芸術院会員にまで登りつめ
画家として大成功を納めた程の立派な先生も
制約を大真面目に受け止め、
ましてや、自分の名付け親の実像を描くのに
全力を振り絞って写実力のみを注いだ結果が
・・・この様に
少々陳腐と言わざるを得ない作品になった・・・・

芸術的価値と言うよりも、
記録的価値が優先してしまった典型例であります。


客観性が九分九厘を占め
主観性が殆ど見当たらないのは
時代の要請を真摯に受け止めたが故とも言えるのでしょう。



だがしかし、結城素明(ゆうきそめい)の
愚直なる?写実性の力量こそ
この壁画制作に無くてはならないものでもありました。






つづく
posted by 絵師天山 at 00:54| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年09月01日

聖徳記念絵画館 その2


明治神宮外苑に聖徳記念絵画館の建築が企画されたのは大正7年のこと、
設計図案を全国から公募で募り、
150通を超える応募のなかからコンペで一等当選図案が決定されました。
海外諸国に伍して近代国家に“矢を放つ如き速さ”で脱皮してしまった日本という国家の真骨頂がこの図案にも良く現れています。
日本人は、
法隆寺の木造建築の如き世界にも稀に見る建造物を
どれくらい前から建てて来たのか?
出雲大社から出土した遺構を見ても、
日本人の匠の技は正に至芸、石造りの西洋建築の典型を造るくらい、ごく普通のお手軽仕事・・・・
甚だ優秀なこの一等当選図案は、神宮の造営局でさらなる審議を重ねた上大正8年夏、設計図の決定案が確定され、次いで10月に基礎工事に着手、
その竣工は大正15年10月。



 

     聖徳絵画館3.jpg






     聖徳絵画館1.jpg





この建物は壁画館として構想されたもので、
掲げられる壁画の数や画題の選定は建物の建築より早く、
大正6年5月に選定委員会が組織され、
閑院宮戴仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)を総裁に戴き、
顧問金子堅太郎以下10人の委員が選定の審議に当たり、
大正10年1月には全80点の画題選定を終え
“考証図”と呼ばれる粗描の図案を制作
その本図それぞれの制作担当者を選ぶことに、・・・


“考証図”を作ったのは東京美術学校校長、正木直彦の推薦による五姓田芳柳。
それぞれの画題の趣旨説明文を作るのは池辺義象が担当。

80点の壁画が絵画館に収まるについて、造営局はその各作品の奉納者を募り、選定。
費用の負担者、画料を寄進してくれる個人、法人を求めた訳です。


壁画制作については調成委員と呼ぶ画家を複数委嘱、
絵画委員黒田清輝発議により、
日本画部では竹内栖鳳、山元春挙、川合玉堂、下村観山、小堀鞆音、横山大観の6人
洋画部では、岡田三郎助、和田英作、中村不折、長原孝太郎、藤島武二、小林萬伍の6人

とし、第一回の調成委員会を大正12年9月半ばに予定していたのが
関東大震災に見舞われ、延期。暮も押し迫った12月開催、
日本画洋画、共に40点という配合も決まり実際の揮毫者選定に入ることに・・

しかし、
翌13年、絵画委員として画家たちを統括するようは役割を担っていた黒田清輝が死去。

次いで14年春には、川合玉堂、下村観山、横山大観、の三人が絵画調成委員を辞退するという事態に・・・・


既に建物の建築は大正8年に始まっている・・・のに、
日本画の調成委員で東京在住の玉堂、観山、鞆音、大観の四人は、
絵画館の展示が専ら明治天皇の御事績を讃える壁画に限られていることを不満として、
工芸作品なども含めた幅の広い聖徳記念美術館とすべきであると建議。
しかし、建物自体が壁画館として設計され、建造も始まっている・・・
今更の目的変更は不可。
明治神宮奉賛会理事会のこの回答に不満を抱いてのマサカ!の辞退・・・・

小堀鞆音も他の三人と共に美術館化への建議を唱えたものの自己の建議が容れられないことを不本意としての辞退ははなはだ宜しくない・・・熱い“皇室に対する尊崇の気持ち”が彼を留めさせた。


まあ、良くあること?でしょうね。

一つの事業に向かう姿勢は、それぞれであり、
始めは熱心で冷めてしまう人もあれば、
その逆の人も居て、事情もそれぞれ、
黙して語らずの人もあれば、喚き散らすような無粋も・・・

まして関東大震災という未曽有の天譴があり
普通の生活すらおぼつかないような時期・・・

大観先生は、滅びかけた院展を再興し、
大正12年9月1日にようやく開催に漕ぎつけた!
と思うや否や2日には関東大震災に見舞われる・・・という憂き目を体験・・・

正にそのさなかの聖徳記念絵画館事業参加云々・・・。

ナンとも不本意であったのだと思います。


大観作品が加わって居れば・・・

タラ、レバ・・・は言っても仕方がない。

有力な画家の不参加は大事業にとっては一つの頓挫でありましたが、
結果残された小堀鞆音のさらなる自覚を促し、新たな人材のチャンスに繋がる訳です。




続く
posted by 絵師天山 at 11:03| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年08月31日

聖徳記念絵画館 その1


明治神宮外苑、青山から続く銀杏並木のその先、
視点の定まる所に聖徳記念絵画館はあります。

秋たけなわ、銀杏が黄金色に染まる頃、この有名な並木道を歩いたことがある方は多いはず、
ですが、遠近法の消失点にある中央奥の建物が絵画館であることを知る人は少なく、
神宮球場や国立競技場、ラグビー場、等々、外苑周辺の施設を利用する大勢の人々も、通りがかる沢山の人々も、その殆どは明治神宮外苑のシンボルこそ、この
聖徳記念絵画館だ!・・という事は知らない。

勿論、入ったこともなければ、関心を持ったこともなく、
そう言われれば、・・・そんな建物があったか??

まして聖徳記念絵画館の存在意味など知る由もないのが現代人一般の傾向でありましょう。

しかしながら、この聖徳記念絵画館には日本という特別な国のその特別である本当の意味が、込められているのです。




     250px-Seitokukinen_kaigakan01s1024.jpg



案内のパンフレットには・・・・

明治神宮外苑の中心的な建造物、聖徳記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后お二方の御事績を永く後世に伝えることを目的として建設され、建物の着工から全壁画の完成まで、約20年の歳月を費やしました。
館内には、延べ250メートルの壁面に、明治天皇・昭憲皇太后お二方bの御一代の御事績を描いた縦3メートル、横2,7メートルの絵画80枚が、年代順に展示されております。絵画はすべて、当代一流の画家が、史実に基づき、心血を注いで描きあげたものであり、いづれも、芸術的価値の高い歴史的史料であり、また世界に誇る文化財であります。これを巡覧すれば、御治世46年の間、国運発展の原動力となられた明治天皇・昭憲皇太后の御聖徳と、偉大な御事績を目のあたりに仰ぎ見ることができ、また驚くべき速さで近代国家へと発展しつつある明治期の躍進の姿を偲ぶことができます。


驚くべき速さ、・・早さばかりではなく驚異的な“質の高さ”・・で
日本という国家がユダヤ・アングロサクソン(=白人社会)の流儀を取り入れ、所謂
“近代国家”へと変貌したその本質は、明治天皇というリーダーを戴いた故であり、
今尚この絵画館はその事を雄弁に語り続けています。

明治時代という極めて困難な時代に明治天皇という稀有なる一大英傑を得たことが日本にとって、
引いては世界にとって、どれくらい重要であったか、・・・
現代人の多くは知る由もなく、
多くの国民がその事実に気付かない、・・・否、
気づこうともしないことこそが、今日のあらゆる混迷を生み出す元凶である、・・と言っても過言ではないでしょう。


歴史とは常に勝者が塗り替えるものであり、明治天皇のご事績を無視するところから始められた戦後が、混迷の坂道を転がり続けるのも当然かも知れません。


偶然に・・・タマタマ、困難な時代に英傑が現れたのか?
いえ、決してそうではなく、
難局を越えるべき時には、越えるべき必要を痛感し実行できる存在が相応に産まれ出る!!!
・・・のが日本という不思議な国家であります。

それはともかく、
11月3日を“文化の日”と制定し、
“明治節”とは言わなくなった。いや、言ってはいけなかった。

救国の英雄の誕生日を曖昧に塗りつぶし、
日本の日本たる所以から目を背ける様、
国家ぐるみで反国家を唱える摩訶不思議な時代相に不審すら感じない。
・・・どころか、“明治節”を唱えたがる方が誤っているという、
オカシナ国民性?が幅を利かせた。




 しかし、
この聖徳記念絵画館は静かに、
黙しつつ、
昨今の世相に反駁することもなく・・・
真実のみを伝えているのです。    
 



平成の絵師として、聖徳記念絵画館に掲げられている数々の作品を語り遺すことも無意味ではないでしょう。

新シリーズ・・・・どうぞお付き合いください。






日本画40点、油絵40点の構成。
一点が3メートル×2、7メートル、という大作。全80点!!!

見ごたえは充分!
絵画ならではの魅力に溢れています。
報道写真とか、動画とか、映像媒体では得られない味わいがあるのですね。


当代一流の画家達を動員。
・・・・・・なのに
横山大観の作品は??
・・・なぜ無いの?
・・・・・・・


語り始めはこのあたりから。






御存じの方も居られましょうが、
横山大観は水戸の生まれ、先祖代々勤皇の心篤く、
先の大戦では、自身の作品の売上金で
陸軍、海軍に戦闘機を献納するくらい愛国心の強い人だった!

終戦後戦犯に問われかねなかったところ、
色々と蔭から助けてくれる方があって、何とか免れた・・・が、
帝国技芸員などの公職は自ら降りた・・・


そういう画家です。

私の属する院展が今日まで続いているのは勿論創立者の代表とも言うべき
大観先生の御蔭。
日本画が滅びゆくかに見える世相であっても大観先生の偉大なる画業は
若い人にも共感され、今なお盲を啓く砦となっております。

つまり、
明治天皇の偉大なる御事績を絵画化する・・・という
聖徳記念絵画館の企画は、大観先生にとっても
願ってもない“させていただきたい仕事”であり
是非ぜひ参加したかった。




が、




つづく





posted by 絵師天山 at 11:56| Comment(0) | 聖徳記念絵画館

2017年07月11日

フェイクニュース



随分な暑さが続いて、梅雨もどこへやら・・・
人口密集の東京周辺はもう盛夏を待たずに、
世界一不愉快な暑さに満たされている??

・・・
こんなお話、するだに暑いけれど、
しかしホント、新聞テレビ、メディアの
呆れるばかりなフェイクニュースオンパレード、は
ケシカラン領域をとっくに超えて
もはや立派な犯罪。
歴史的に見ても度を超えた大犯罪であり、
国家的世界的に見ても、比類なき大犯罪クラス
・・・に達しています。

肝心なことは何一つ語らない
嘘ではないから・・と強弁するなどは
まあ、解りやすい類だが
解りにくいのは内在された外国の利益の為の沈黙。
そしてスリ替え。


肝心なことは言わないようにする為に
クダラン事を羅列しまくる・・・
“普遍性”さえ手前ミソなる“常識”で打ち砕く、

戦後70年、オブラートに包み込んだ平和を重ねるうちに
フェイクニュースしか垂れ流さないメディアに
常に翻弄されるだけ・・・・の日本人であふれてしまった。
にもかかわらず、洗脳はされてませんと言い張る人ばかり・・


喜んでいるのは日本を常に羨望のまなざしで凝視し
虎視淡々と、メシの種としての日本を殺さず生かさず
いつまでもオイシイとこだけは吸い続けたい外国勢。



『民事訴訟法231条』をご存じでしょうか?・・これは

日本のことではなく、中国共産党が生み出したシナの新法。

民事訴訟を抱える企業の責任者を出国禁止にする。
というトンデモナイ法律


シナに進出した外国企業が儲からなくなったとて撤退しようとしても、
シナ人従業員から待遇面などで訴えられれば、企業トップや部門責任者は出国出来なくなる。
早い話、シナからの撤退を考える企業へ、お上自ら!が嫌がらせし、お上自ら身ぐるみを剥がそうとする・・理不尽なるパワハラそのもの・・・・ヤクザの手法ですよね。いや、ヤクザだってこんな汚い真似はできない!

この悪法に合わせ、さらに「中国での就労許可を申請する外国人を三段階にランク付けする制度」も出来ました。


それは、外国人をランク付け、
A,ノーベル賞など国際的な受賞者、大企業の幹部、
B,大学卒業以上で、二年以上の実務経験がある外国企業の管理職や専門技術者。
C,その他。
A、Bランクに当たる人材をシナに送り込んだ企業が事業不振で撤退しようとしてもこの制度により、A、Bランク人材は足止め出来る・・・ので事実上撤退できなくなる。
といって、Cランク扱いになれば、政府が受け入れ拒否出来るし、居住地から追放することも出来る。つまるところシナのご都合だけに翻弄される・・・・・
まあ、大昔から、シナには人権などありませんから、
変わらない体質と言えば体質なんだが、
国内のシナ人だけがお気の毒・・・だったのが

外国人にも、及ぶ・・・・
グローバルを大声で説き、外国へのヤミクモナル接近を推奨し続けた
日本政府、日本企業、メディア
・・・・流された(洗脳されてない?)一般人


この事についてどう、説明するのですか?
少なくともNHKはゴールデンタイムに
特集を組んで、10週間連続でシナの真実を語り尽くさせていただきます!!
国際世論に問いましょうこの非道を!!!!皆さん良く聞いて下さい!!!
・・・・とやるべきでしょう。

それが国益だから。
誰がどう考えても、・・・・おかしいから、
実際、今でも一日本企業の温泉開発技術者6名が拘束されており
シナからの要請で出向いたに拘わらず、
「国家の安全を害する行為を行った」などの理由でスパイ容疑さえかけられたまま。


これはオカシイ!!と真っ先に
言うべきなのが・・・・・メディア。



ニュース解説とか時事問題番組とか
こんな重大事を話し合わずにいったい何を語る??
それが大問題なんです。

グローバルの御蔭で世界第二位の経済大国にのし上がったシナが
トランプはじめユダヤアングロサクソンによるナショナリズムへの回帰に恐れをなし、
・・・・悪あがきを始めた訳ですが、
巨大な泥船が傾き始めているにもかかわらず
ウカウカと日本政府、経団連の面々は相も変わらずシッポを振りつつ
シナへのご機嫌伺い・・・



文字通り命を捨てて日本を守った人々が居たことを
もっと真摯に語るべき、




          まつり.jpg




そして、
くたばれグローバル!
くたばれ新自由主義!!!
フェイクニュースやめろ!!!!


今年の靖国神社【みたままつり】は
7月13日〜16日
天山画のボンボリ絵は【夢・小野小町】です





         

        1夢小町.jpg










posted by 絵師天山 at 15:12| Comment(0) | 日本ならでは

2017年06月17日

言挙せず(ことあげせず)


       1w1.jpg
          


 
本居宣長著 
古事記伝一之巻 
直毘霊(なほびのみたま)より 




古への大御世には、道といふ言挙(ことあ)げもさらになかりき、


故れ古語(ふること)に、あしはらの水穂の国は、言挙げせぬ国といへり、

其はただ物にゆく道こそ有りけれ、

美知(みち)とは、此の記に味御路(うましみち)と書る如く山路、野路、などの路に、御(み)てふ言を添えたるにて、ただ物にゆく路ぞ、これをおきては、上代に、道といふものはなかりしぞかし、

物のことわりあるべきすべ、萬(よろず)の教へごとをしも、何の道くれの道といふことは、異国(あだしくに)のさだなり、

異国(あだしくに)は、天照大御神の御国にあらざるが故に、
定まれる主(きみ)なくして、狭蠅(さばえ)なす神 ところを得て、
あらぶるによりて、人心あしく、ならはし みだりがはしくして、
国をし取りつれば、賤しき奴(やっこ)も、たちまち君ともなれば、
上とある人は、下なる人に奪はれじ とかまへ、下なるは、
上のひまをうかがひて、うばはむとはかりて、かたみに仇(あた)みつつ、
古より国治まりがたくなも有りける、
  

其が中に、威力(いきほい)あり智(さと)り深くて、人をなつけ、
人の国を奪い取りて、又人にうばはるまじき事量(ことばかり)をよくして、
しばし国をよく治めて、後の法(のり)ともなしたる人を、
もろこしには聖人とぞ云うなる


たとへば、乱れたる世には、戦ひにならふゆゑに、
おのずから名将おほくいでくるが如く、
国の風俗あしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、
世々にそのすべをさまざま思ひめぐらし、為(し)ならひたるゆゑに、
しかかしこき人どももいできつるなりけり、

然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづからに奇(くす)しき徳(いきほい)あるものと思ふは、ひがごとなり、

さて其の聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる、

かかれば、からくににして道といふ物も、其の旨(むね)をいはむれば、ただ人の国をうばはむがためと、人に奪はるまじきかまへとの、二つにはすぎずなもある、

そもそも人の国を奪ひ取らむとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつつ、善きことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、聖人はまことに善人めきて聞こえ、又そのつくりおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづ己(おのれ)からその道に背きて、君をほろぼし、国をうばへるものにしあれば、みないつはりにて、まことはよき人にあらず、いともいとも悪しき人なりけり

もとよりしか穢悪(きたな)き心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、

 後の人も、うはべこそたふとみしたがひがほにもてなすめれど、まことは一人も守りつとむる人なければ、国のたすけとなることもなく、其の名のみひろごりて、つひに世に行はるることもなくて、聖人の道は、ただいたづらに、人をそしる世々の儒者(ずさ)どもの、さへづりぐさとぞなれりける、
  
然るに儒者(ずさ)の、ただ六経などいふ書をのみとらへて彼国(かのくに)をしも、道正しき国ぞ、といひののしるは、いたくたがへることなり、かく道といふことを作りて正すは、もと道の正しかぬが故のわざなるを、かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ、

 そも後の人此の道のままに行なはばこそあらめ、さる人は、よよに一人だに有りがたきことは、かの国の世々の史(ふみ)どもを見てもしるき物をや、

さてその道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、仁義礼譲孝悌忠信などいふ、こちたき名どもを、くさぐさ作り設けて、人をきびし教へおもむけむとぞすなるさるは後の世の法律を、先王の道にそむけりとて、儒者(ずさ)はそしれども、先王の道も、古の法律なるものをや、また易(やく)などいふ物をさへ作りて、いともこころ深げにいひなして、天地の理をきはめつくしたりと思ふよ、これは世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ

 そもそも天地のことわりはしも、すべて神の御所為(みしわざ)にして、いともいとも妙(たへ)に奇(くす)しく、霊(あや)しき物にしあれば、さらに人のかぎりある智(さと)りもては、測りがたきわざなるを、いかでかよくきはめつくして知ることのあらむ、然るに聖人のいへる言をば、何ごともただ理の至極(きはみ)と、信(うけ)たふとみるをこそ愚かなれ

かくてその聖人どものしわざにならひて、後々の人どもも、よろづのことを、己がさとりもておしはかりごとするぞ、彼国のくせなる、大御国の物学びせむ人、是をよく心得をりて、ゆめから人の説になまどはされそ、

すべて彼の国は、事毎にあまりこまかに心を着(つけ)て、かにかくに論(あげつら)ひさだむる故に、なべて人の心さかしだち悪くなりて、中々に事をししこらかしつつ、いよよ国は治まりがたくのみゆくめり、

されば聖人の道は、国を治めむために作りて、かへりて国を乱すたねともなる物ぞ、すべて何わざも、大らかにして事足りぬることは、さてあるこそよけれ

故(か)れ皇国の古へは、さる言痛(こちた)き教へも何もなかりしかど、下が下までみだるることなく、天下(あめがした)は穏やかに治まりて、天津日嗣(あまつひつぎ)いや遠長(とうなが)に伝はり来坐(きま)せり、


さればかの異国の名にならひていはば、是れぞ上もなき優れたる大き道にして、実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり、

そをことごとしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ、

言挙げせずとは、あだし国のごと、こちたく言ひたつることなきを云ふなり、

譬(たとへ)ば才も何も、優れたる人は、
漢国(からくに)などは、道ともしきゆゑに、かへりて道々しきことをのみ云ひあへるなり
儒者(ずさ)はここをえしらで、皇国をしも、道なしとかろしむるよ、儒者(ずさ)のえしらぬは、萬に漢を尊き物に思へる心は、なほさも有りなむを、此方の物知り人さへに、是れをえさとらずて、かの道てふことある漢国をうらやみて、強ひてここにも道ありと、あらぬことどもをいひつつ争ふは、たとへば、猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、人の恥じて、おのれも毛はある物をといひて、こまかなるをしひて求出(もとめいで)て見せて、あらそふが如し、




毛は無きが貴きをえしらぬ、痴れ者のしわざにあらずや・・・・・








posted by 絵師天山 at 10:39| Comment(0) | 日本ならでは

2017年05月13日

理想美術館13 歌川広重と葛飾北斎 続き


歌川広重と葛飾北斎 続き


        136209753422513112433_IMG.jpg




        hiroshige-ando1.jpg




        hakone.gif




        hiro_hara_02.jpg




        Hiroshige_nuit_de_neige_à_Kambara.JPG




        photo_10.jpg



夜逃げを重ねるたびに名前も変えていた北斎とは対照的で、出自も確かな、一方の・・・
歌川 広重(うたがわ ひろしげ)、
本名は安藤重右衛門。
江戸の定火消しの安藤家に生まれた惣領。
家督を継ぎ、その後、浮世絵師となった人。
今で言えば消防署長の御家柄・・かな??



私が習った時代は安藤広重(あんどう ひろしげ)と呼ばれていましたが、
安藤は本姓、広重は号であり、
両者を組み合わせて呼ぶのは?、
広重自身もそう名乗ったことはなさそう・・・・なので、
今では歌川広重。
歌川は浮世絵師の名前、
歌舞伎役者が市川とか中村とか名乗るような・・・


ついでに昔の有名人の名前について・・・ちょっと・・・

普通我々は、徳川家康、新田義貞、足利尊氏・・・等々
誰もが当たり前のにこう呼び習わしていますが、実は、
足利尊氏とか徳川家康とか書いてある当時の文献はどこにも無く
我々の時代になって、符牒の様な意味で、目印として
足利尊氏とか徳川家康と言うだけのことであって、
当時そういう呼び方は絶対にしなかった。
それは

明治4年に【壬申戸籍】が出来るまで、
家の名前と諱(いみな)とを直結することは許されなかったから・・・


足利と言うのは家の名前であって、
氏の名前ではありません。
尊氏と言うのは諱(いみな)ですから、
家の名前と諱とをくっつけて足利尊氏!
などというのは絶対無し!

例えば、北条家が出した鎌倉幕府の下し文くだしぶみというのが沢山あり、それには必ず執権の相模守平朝臣(さがみのかみたいらのあそん)とか武蔵守平朝臣(むさしのかみたいらのあそん)と、書きその下に【花押】がある。・・・北条某・・・というのはどこを探しても絶対に存在しない。

つまり、足利家の源尊氏、であり、徳川家の源家康であって、文書に出てくる場合、家康は江戸の内府とか、江戸大納言とか書かれ、正式文書では源家康、と表記される。
足利尊氏の場合も足利中納言とか、足利将軍とか鎌倉大納言、などというのは構わない。
家の名前と官職とを結び付けるのは有り。
だが、
徳川家康とか足利尊氏とは絶対言わない。


現在では氏の名前と家の名前とを混同していることに気付くことすらありません。

日本人が苗字と名前を持つ様になったのが、明治4年。
明治政府が政令を出して、
日本人はすべて苗字を一つ、名前一つにせよ、・・・
一番困ったのは、
苗字が今まで無かった大部分のお百姓さんたち。
・・・だからそれまでは、
西郷隆盛なんて言う名前は無かったので、
平朝臣隆盛と称した。
大久保利通は藤原朝臣利通、
大隈重信は菅原朝臣重信、
伊藤博文は越智宿禰博文。

・・・これらは偽物の系図からひねり出した・・・伊藤博文の家は足軽で身分が低いから大してお金が無い。そこで偽系図を作る時に安く済まそうということで、越智宿禰(おちのすくね)と言う様な氏姓をゲットした・・・・
越智宿禰は伊予国の名門だったが、後世には大した氏ではなくなっていたのです。

明治4年の壬申戸籍により、家名のある家はそのまま苗字とし、
そうでない大部分の人は結構良い加減に・・・、
あとは名前を一つ付ける事となって・・・・
今日に至り・・・・
それ以前は全然別だったことは全く知らない・・
知らされない・・為に、・・・・悲しいかな、
夫婦別姓??!!とかタワゴトをウソブクまでに堕落したのです!!

源頼朝の部下は全部源氏、とか、当然のように思われてますけれど、実は、
その殆どが平氏。・・・・8割くらいかな、・・・・
なのに平家物語=源平バトル・・・なんて
いとも簡単に歴史を歪曲してしまうのは、
戦後の教育の基本が間違っているから・・・・ですねぇ、
古事記さえ教えないんだから・・・全く腹立たしい!!!



話がまた脱線しましたが、
安藤広重、と言っていたのを歌川広重に統一したのは
別に壬申戸籍とは関係ないのですから、本当はどちらでも差し支えのないことと思います。
レッキとした定火消しの御家柄に生まれた安藤重右衛門様に、
立派な絵の才能が輝いていたことこそ
エポック!!!!・・であります。

しかし、そう考えると、
葛飾北斎という名前は、相当に怪しい・・・・・。
マジめちゃくちゃアヤシイ・・・が、
それも北斎らしいと言えば言えそう・・・・
なかなかのアヴァンギャルド!!!??だからねぇ・・・


90回以上も名前を変えた、とか言う説もあって、そんなこと誰がどうやって数えた??のか??超疑わしいが、それほど波乱万丈・・・・社会生活不適合者?!か?
どうしようもないくらいの目立ちたがりで、ヘンタイ?
絶対友達にはなりたくないタイプ・・・・
が、それが幸いして?ついに世界的名画を産んだのでした!
凄いねぇ・・・・・


歌川広重=安藤広重、はそういう破たんした所がなく
円満な知性の輝きをテライなく感じる。
非常に賢い構図。ここまでに用意周到、深く計算し尽くしているのに
そういう作為しました!的な厭味を全く感じさせない。
じつに巧緻な意匠なのに、大らかな平凡さでまとめ上げる!!
つまり名人!
だからヘンタイ北斎とは対照的。
この人はお友達になると・・・・きっと、良い事がある。


北斎の絵を飾っておくのは少々疲れる・・・良くも悪くも強烈に飛び込んでくるから・・・目を離せなくなるから・・・だが、
広重の絵は、優しく、癒してくれる、・・・ずっと長く飾っておきたくなる・・・目を離してもまたすぐに目をやりたくなる・・・・・


だから、私の理想とする美術館には北斎よりも広重を常設展示して、ごく、たまーーに北斎を出してくる、で、どっちも、良いなぁああ・・・・
それぞれがぁ・・・と悦に・・・入る、










posted by 絵師天山 at 00:54| Comment(0) | 理想美術館

2017年05月11日

理想美術館13 歌川広重と葛飾北斎


理想美術館13


       

        40.jpg




        hokusai049_main.jpg




江戸時代に隆盛だった浮世絵版画が
非常に安価でポピュラーだった為に
外国にも沢山流出し、
その好奇なるエキゾチシズムは世界中の人気を得、
引いては後期印象派の発祥を促した・・・
ゴッホやゴーギャン、モネなど
今日大巨匠とされて、
たいへんな大天才である彼らの創作力の基になった、
のは、・・・実に日本の浮世絵であった。


この位の事は
一般的教養を備えた方にとっての常識とされていますが、
これと同じことが現在も進行している事に気付く方は
案外少ないのではないかと思います。


それはジャパンアニメ。

スマホという媒体によって映像革命にさらなる拍車がかかり
驚くほど短期間に、強烈に、
進行し続けているのに合わせ、
写真、動画、映画、・・・画像
・・・あらゆるカメラによる写実が溢れ返っている為に、
理性的な現実描写に慣れきって、
(疲れてしまい・・・・)
却って抽象化された二次元画面に
興味をソソラレル!


抽象化されている方が感情移入し易い・・・・

浮世絵も現代のジャパンアニメも根は一つ。
現実通りに描いてあっても面白くは・・・ない、
スーパーマンやゴジラが現実に近づいて行くよりも
口さえ無いキティちゃんの方が何倍も楽しい!・・
キティちゃんは究極の抽象化だから・・・。
現実を元にしての・・大胆な作為、抽象化、造形化
・・・の方が断然ウケル!!


つまりそれは日本人の造形感覚が非常に高度なレベルにある事を示しているのです。
今も昔も・・・・自分達が思う以上に・・・・超ハイレベル!!!

いつか別のところで言った事がありますが、世界中にジャパンアニメランドを政府主導で作りまくる。外貨を堂々と稼ぐのにこれほど有効な手はありません!デズニーランドなんか(・・クソ喰らえ!)クダランコケオドシに過ぎないから向かうところ敵なし!いくらでも儲かる!!・・・・・

話が逸れましたが、
今日語ろうとしているのは浮世絵の巨頭
歌川広重と葛飾北斎。


熱射病で救急車のお世話になる人が続出したあの
東京都美術館で開催された伊藤若冲展、・・・
入場制限五時間待ち!!!!
これも現代人の病んだ姿を素直に投影した縮図でしたが
映像力という病魔に犯されヤミクモに写実力に餓えた人々が集合したに過ぎない。


これに比べ、
この二人の巨匠が遺した偉業は段違い平行棒!


そもそも伊藤若冲は京都の老舗のボンボン。
資産家だから・・食うに困るわけではなく、
ひたすら絵を楽しみとして長生きした人。
御物とされ名品とされているかの
動植綵絵(どうしょくさいえ)の連作は、
ある意で素晴らしい作品でしょうが
実はこの作品、
興味をそそられた万物に対する作者の確認報告書、
・・であって、
つまりカメラが存在しない当時の“図鑑のつもり”
by本人・・・

・・に過ぎない・・・・のですが、
並外れた描写力が、スマホを握りしめた現代人に大受けし、今日の人気を得たもの。

それに比べ、北斎などは貧乏人の小倅・・・
始終金に困って借金生活、行き詰まれば夜逃げして
名前を変えて、改めて暮しを立て直す・・・・
当れば少々の金にはなったが、90年間の生涯、
大半は食うや食わず・・・
貧しかったのに、・・にもかかわらず・・・
創作意欲は人の何万倍もあった・・・・・。


が、しかし。
見た通りに写実的に描く事に
大した魅力を感じないのが一般的日本人だった、から・・・
当時は金持ちのぼんぼんが描いた自己満足写実画より
貧乏人が必死になって生活の為に工夫に工夫を重ねた
創意の方がずっと面白いし、それなら金払ってやる・・
人が多かった、しかし大金は払えない・・・
だから廉価な版画媒体にした・・・・訳です。ねえ・・・

そして、世界を動かした!!!






      
        b.jpg





        hokusai_9_thum.jpg



        
        Fujimi_Fuji_view_field_in_the_Owari_province.jpg



最近小さい北斎美術館も開館し、
冨岳36景全作揃うことを自慢にする向きは昔からあり、
そう、欲しくもないけれど、・・・
著作権は切れているので、
上手に加工したヴィジュアルモノ・・・
を工夫し、作ってみたい。・・かな
世界一有名なのは神奈川沖・・・だが

もう少し上等な富士山だと良いけれど・・・
富士山そのものではない連作の面白さは確かに、ある!!

北斎はやはり肉筆モノの方が好きかなぁ・・・













この項、続く・・・








posted by 絵師天山 at 13:54| Comment(1) | 理想美術館

2017年04月18日

自転車翁


以前、
滋賀県知事が
共産党系及びかつての民主党、
現在の民進党系の支援を受けた
嘉田由紀子氏となり、時を得てさらに再選され、勢いづき、
新党まで立ち上げ、国政に及ぼうとしたときに
かの悪名高き 小沢一郎氏が、現れて・・・
自らの党を解党してまでこれにくっ付き、
後に共倒れしたことは
もう忘れられた人も、知らない人も多いのでしょうけれど
実はこれが、小沢一郎氏の鮮やかなる政治手腕!
本質を見極めての“ブレなさ加減”・・・は、さすが岩手県民!
勿論、支持者も全くブレていないのにいつも驚かされますが、
それこそ東北人の粘りとド根性。
しかも一片の言上げさへ無く・・・・

そこらへんの寄せ集め?
薄っぺらな?私みたいな
都会人とはデキが違います・・・ねぇ
????

常に攻撃の的であり続けている小沢一郎氏・・・・
今だにその政治的手腕は有効に働いているのだけれど
もうスッカリ外国の御都合に支配されたメディアは
小沢氏のオの字も出さなくなった。

戦後の日本を背負って断個立ち上がったあの
田中角栄氏を葬り去ったのが他でもない
結局、日本国民自身だった!!・・・のは、
残念、惜しみてもあまりある・・・・様に・・・・・

物事の表面しか見えない?見ようとしない?
一般人はそれはそれで幸せかもしれないが
やはりそれは、幼児性が抜けていないから・・・だし
まあ、良いように騙されているだけ・・・・ですねぇ。
本当の進歩は・・・ありえません・・・・

だが、このままで済まされるハズは・・・・



ここで御紹介するのは
滋賀県知事選挙での三選を嘉田由紀子氏に阻まれた
國松善次氏。

現在は琵琶湖一周、200キロの自転車旅を毎度満喫されている爺様?であられ
英霊にこたえる会、等々、多方面のご活躍は
“国益の本質”
・・・を分かりやすく教えて下さっています。

コチラは、四月1日発行≪やすくに≫誌、掲載文
どうぞ、ご一読を。





『自転車で全國護国神社の参拝を終えて』 國松善次

日本人が護国神社を知らない

 私の趣味にサイクリングがある。湖国と呼ばれる滋賀県に住んでいることから毎年自転車でびわ湖を一周している。一周は約200キロだが、「体力と気力」のテストを兼ねて欠かさず続けてきた。

 七十五歳になった時、何か記念になることをと近隣府県の護国神社を自転車で参拝し、戦没者の慰霊と世界平和を祈願することを始めた。近畿六県が終わると欲が出て、隣の北陸三県に、また旧東海道に沿って国道一号線を箱根の峠を越えて神奈川県に入った。流石に峠は厳しく、自転車を押しての山越えとなったが、神奈川県は戦災で竣工前に神社が焼失し、全国で唯一護国神社の無い県だった。そして東京に到着、年に何度も参拝する靖国神社であったが初めて自転車で参拝した。続いて関東各県、東北各県と足を延ばし、本州最北端は弘前城公園内の青森縣護国神社に参拝。また西は中国地方を山口県まで、四国や九州は鉄道で渡り、沖縄と北海道は飛行機で空港からのサイクリングとなった。三年四か月を要したが、全道府県の護国神社五十二社を自転車で無事参拝完了した。全行程4800キロの自転車の旅となった。この時頂いた御朱印を屏風に仕立て、それも日本列島の形にして、昨年滋賀県護国神社に完成した英霊顕彰館に奉納させて頂いた。

 護国神社は多くが県庁所在地にあったが、ナビのない自転車の旅ではその都度出会った人に場所を尋ねた。ところが八〜九割の人は護国神社を知らなかった。また駅の観光案内所でも尋ねたが地図に載って無かったり、知らないと言われたり、中には英霊が祀られている神社と云えば「イギリス人の霊をお祀りする神社ですか」と聞かれ大変驚いた。これでは英霊が泣いているのではと憤りを覚えた。これは戦後七十年という時間の経過で護国神社を忘れたのではない。戦後生まれはもとより戦後に学校へ入った人達も学校では勿論、家庭や地域社会で護国神社について教えられずに育ったに過ぎなかった。



戦歿者慰霊や遺骨収集は「福祉」か

 八月十五日は「戦没者を慰霊し平和を祈念する日」とされ、毎年この日には天皇皇后両陛下のご臨席のもと政府主催による「全国戦没者追悼式」が武道館で挙行される。これを所管するのは厚生労働省で、社会援護局が担当している。総理を筆頭に閣僚と衆参両院議長、最高裁判所長官の三種の長をはじめ衆参両国会議員や知事会、市長会、町村会、経済団体、労働団体などの代表、そして戦争で肉親を亡くしたご遺族の代表などが全国から出席し、盛大な式典が行われている。

 ところで、「戦歿者の慰霊は福祉」だろうか。

 そもそも「福祉」は生存する社会的弱者を互いに助け合う社会の仕組みである。しかも慰霊の対象は、病気や交通事故、或いは地震などの自然災害による死者ではない。国家と国民の為にと戦い生命を捧げられた方々である。


 従ってこの催しは「福祉」としてではなく文字通り「国防」の一環として実施されるべき行事ではないのか。本来これは防衛省が所管し、防衛大臣が天皇皇后両陛下をご先導して、両陛下ご臨席のもとに国家と国民を挙げて英霊に対し追悼と慰霊の誠を捧げ、平和を祈願する式典でなければならない。

 また、今年も戦没者の遺骨収集が行われる。この事業は厚生労働省が所管し、社会、援護局の仕事となっている。加えて学生や青年の有志と遺族会など民間ボランティアの協力の下に新組織で実施される。戦後70年が過ぎてなお海外はおろか、国内、それも国会や政府がある東京都の島で自衛隊が基地としてのみ利用している硫黄島が未だ完了していないという。

 これも戦没者の遺骨収集を「福祉」と捉えてきた弊害ではないのか。防衛省の所管とすれば当然防衛大臣の指揮下で災害救助と同様に訓練された自衛隊員が必要な機材をフルに駆使して効率的に作業を進められる。硫黄島であれば国内であり、堂々と自衛隊が作業を進められ、極めて短時間に完了出来ただろう。

 戦没者の慰霊や遺骨収集を「福祉」と捉えてきたのはそもそも占領軍の下や占領後の再出発時の苦肉の策だった筈。それが今日も是正されずに来たのは、国民皆がそれに慣れ、正常な感覚を麻痺させてきたからだ



今も続く「GHQ汚染

日本人は先の大戦を「太平洋戦争」と呼んでいる。しかし、日本人で太平洋戦争に参戦した人や太平洋戦争で戦死した人は一人もいない。それにも関われず、「太平洋戦争」と呼んでいるのは明らかにに占領軍が意図的に「大東亜戦争」の呼称を禁止し、アメリカ側から見た歴史の「太平洋戦争」と呼ばせたからだ。

現に私の世代は小学校で教科書の一部文言を墨で消された経験がある。
今その事実を調べると、単に歴史や社会の教科書だけではなく、国語や算数、理科、音楽などと驚くほど広範囲に墨で消されていた。日本が欧米列強の植民地支配に反抗し、アジアの解放や繁栄を目指すという「大東亜戦争」を認めたくなかったに違いない。


 彼らは敵国の歴史を消し、改造することの重要性を熟知していた。それだけに実に巧みな作戦と計画を準備していた。その最たるものに「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」や「30項目の報道制限」があり、加えて「極東国際軍事裁判」がある。

 何れにしも戦後七十年以上が経過した今も、占領軍が意図した日本改造作戦は生きているし、効果を発揮している。これは日本人が今もGHQの洗脳下にあり、マインドコントロールに罹ったままということである。
 
 また先の大戦で世界地図は大きく変わった。終戦直後の1945年10月の国連発足時、加盟国は僅かに51カ国であったが、今では193カ国という。実に4倍視覚に増えている。この新規加盟国は多くが先の大戦に欧米の植民地から独立した国々である。

歴史に「もし」は許されないが、日本が欧米列国の植民地支配に反抗し、大東亜戦争を闘わなければ、植民地から独立した国は殆ど無かったか、独立は大きく遅れたに違いない。当然世界地図も今とは大きく異なった筈。

 戦後の教育はそのことに触れていないし、触れることを監視しているのが戦勝国ではなく日本のマスコミや一部の政治家である。またそれを当然とするのが今の日本国民であもある。


 護國神社を学校で教えなかった背景に「神道指令」があるが、同時に「政教分離」がある。そもそも「政教分離」は政治と宗教を分離する原則であるが、戦後は憲法でこれを明記し、徹底して実行した。それも政治や行政の世界だけでなく、学校教育や社会教育の現場で「宗教」を教えない。宗教の意義や役割までも徹底して排除した不幸がある。これは「政教分離」の名の下に教育から宗教を排除する「教教分離」をしたのだった。
 そのお陰か慰霊が宗教的様式など無しに可能と考える日本人をそだててしまった。



靖國神社御親拝に思う

 遺族の多くは総理の靖國神社参拝を期待している。勿論総理だけの先輩を期待しているのではない。国家と国民の為にと自らの命と家庭と仕事、さらには己の人生を犠牲にした戦歿者に対し、国家としてまた国民の代表として礼儀を尽くしてほしいというのが素朴な気持ちである。これは遺族の願いであると共に英霊の率直な気持ちでもあろう。

 従ってこれは総理だけの役割でもなければ、特定の大臣の役割でもない。政治に関わる人、とりわけ国政を担う人すべてに課せられた役割であり、責務の一つの筈である。

 そこで思うことだが、国政を預かる人は参拝の日を問わずに、兎に角一年に一度は必ず靖国神社に参拝し、戦歿者を慰霊する共に世界平和を祈願する。それも各閣僚はもとより、衆参両院の議長や各国会議員は主義主張を問わず、また最高裁判所長官もその責任において参拝するべきである。これは戦死者に対する国家の礼儀であり、国政を預かる人の責務でもある筈だ。

 また各地方に於いても知事をはじめ各都道府県会議員や各市町村長、市町村議会議員が毎年護國神社の参拝を実行することである。
 
 勿論これに対しては一部の国や一部の国民、またマスコミの間に厳しい批判が起こるだろう。しかし、これは国家、国民のために命を捧げた人々に対する礼儀であり、世界の常識である。
また戦死者を靖國神社や護國神社の祭神としてお祀りすると国民に約束したのは紛れもなく我が国家である

 従って、たとえ激しい批判があっても二年三年と継続する。或いは総理か防衛大臣などが毎月の様に参拝すれば自ずと批判は収まり、必ず定着すると思われる。批判を気にし、行動を中止するから批判がまかり通ることになる。とにかく辛抱強くこれを実行し、継続することが最も近道となる筈だ。これがまた天皇陛下御親拝に繋がることは間違いないと今私は確信する。

 ともあれ色々と考えさせられる旅だった。





 






 
posted by 絵師天山 at 18:05| Comment(0) | 日本ならでは

2017年04月17日

日本人の劣化が止まらない




・・・・・・・

綿津見神(ワタツミのカミ)は、
上に大綿津見神(オホワタツミのカミ)ありて、
名義(ナノココロ)など其處(ソコ)に云(イエ)り、
又 御禊段(ミミソギのダン)に、底中上と、
三柱(ミツハシラ)綿津見神あり、
其は阿曇連(アヅミのムラジ)が祖神(オヤカミ)に坐(イマ)すよし、其處(ソコ)に見えて、姓氏録に阿曇宿禰(アヅミのスクネ)は、海神(ワタノカミ)
綿積豊玉彦神子穂高見命(ワタツミトヨタマヒコのカミのコ
ホダカミのミコト)の後也(ノチナリ)と あると、書紀 此の段に、海神豊玉彦(ワタツミトヨタマヒコ)とあるとを、合わせて見れば、此の綿津見神は、即ち彼の御禊の段のなりけり、

 
萬葉九【十八丁】浦嶋子を詠る歌に、
海若、神之宮乃、内隔之、細有殿爾(ワタツミのカミのミヤのウチノヘのタヘナルトノ二)云々
【此の歌、凡て此段の趣と似たることあり、考へ見るべし】


さて海神(ワタノカミ)の宮は、海の底にある國なり、
後の世のなまさかしき説(トキゴト)どもは、
古傳(イ二シヘのツタヘ)の趣にかなはず、


【佛書に龍宮と云る物あり、其の説(トケ)るさま、あやしきまでに此段にいとよく似たる處あり、故れ書紀の口決纂疏(クケツサンソ)などには、此海の神の宮を直(タダ)に龍宮とぞ云はれたる、佛書を信(タノ)める人は、然
主客の語の別(ワキ)まへだになく
て、彼 所謂龍宮を、主として云れたるなり、又漢籍にもをりをり、水神宮の事を云るありて、其 はたよく似たる故に、かにかくに此段は、異國書(イコクブミ)に依て、造れるものかと、疑ふ人あるなり、
されどそは、ただ異國書(イコクブミ)をのみ信(タノ)みて、皇國の古傳(イニシエのツタヘ)を信(ウケ)ざるものなり凡て皇國のは、其の書こそ後に出来つれ、其事は、神代より語り傳へ来つるままなればこよなく古きを、異國の説どもは、其書こそ、此方のよりやや先なれ、説る事は、己がさかしらのみ多くして、古へのままならねば、返りて皇國書(ミクニブミ)より遥かに後なり然れば此段の傳説(ツタヘゴト)は眞(マコト)なり本なり
佛書の龍宮は、此 綿津見神宮の事の、上代におのづから、天竺(てんじく)などにも、かたはし傳はりたるに、種々の事を造り加へて説たるものなり、又 漢(モロコシ)ぶみにも似たる事のあるも、然(シカリ)なり、

そもそも皇國は、萬國を御照し坐す、天津日大御神の本御國なれば、凡て萬の事も物も、みな皇國ぞ本にして主にして
、他國々(アダシクニグニ)へも、おのづからな流れ及びたるものにて、相似たることも、もとより多かるは、彼が吾に似たるにこそあれ、吾が彼に似たるには非ず
然るを世々の物知り人みな、此の元の本末をば得知らずして、ただ後に萬の事も物も、異國を学び、異國より来り、又物語書などに、異國の故事を取りて、作りかへたることのあるなどに倣ひて、萬の事もみな、異國を本と心得るから、神代の故事などをさへに、其の類かと疑ふは、良く異國書に惑へるものなり、
よしや本末はしばしおきぬ、
天地の中に人の形を始めて、山川草木、其餘(ソノホカ)の物も、皇國漢天竺と、大かた異なることなく、皆おのづから同じさまなれば、古への傳へ事なども、此方と彼方と、などかは同じきこともあらざらむ、同じきからに、必ず彼を学びたりと思ふは、いと愚かなり人の形も何物も、彼を学びて造らざれども、おのづから同じきにあらずや

さてまた近き代の、なまさかしき人の心には、水中に宮室などのあるべき理なし、と思ひとるから、かの龍宮などの説をも信(ウケ)ず、此の段の事をも、実は海底には非ずとして、或は薩摩の國近き一の嶋なりといひ、或は琉球國なりといひ、或は対馬なりなども云て、その證(シルシ)などをも、とりどりに云めれど、凡てさる類は、皆古傳に背(ソム)ける、例の儒者意の私事なり、さばかりさかしく、
漢めきて書かれたる書紀にすら、『内火々出見尊於籠中沈之干海』、また 『海底自有可怜小汀』、などあれば、海の底なることは、これらの語にても、しるきものをや】


・・・・・・・





これは、本居宣長翁の【古事記傳】
綿津見神への解説・・・

いわゆる海幸彦、山幸彦の神話

浦島太郎の物語・・・・?
乙姫伝説??

今や国家として亡びかねないほど疲弊したギリシャの神話に似てるのが
日本の神話・・・・・マネしたのかぁ・・・
とかウソブク!!???、バカものに読ませたい処・・・・

日本が世界の祖国
であるという事実認識などほぼ皆無・・・
茫然自失、朦朧とした現代人の、それでもなおさかしらなる語りを止めようとする慎みすらない
もっとも宜しくないトコロ・・・・・

自分が国家に属している人間の一人という本分すら解らなくなり
無二の国家に属している事が全ての源であることにさえ背を向け
民主主義だ、グローバルだ、ジェンダーフリーだ、・・・ロハスだ??
国境を超越し・・・等々の戯言にダマされて続けているだけなのに

己を語り、国家世界を語る、・・・
おこがましくも恥知らずな、ヨーロピアンレギュラーにたぶらかされた処からしか言葉も出ない・・ど厚かましいあほたれが、年金貰って長生きしてのうのうと暮らしているのが今の日本。

残念なのは、本居宣長公の示唆が心にしみるまで
半日も・・・かかってしまう私の頭脳・・・





posted by 絵師天山 at 16:26| Comment(0) | 古事記1300年

2017年03月11日

理想美術館12 “ガラクタだけのルーブル美術館”


およそ絵画の魅力は写実にあらず

写実に留まれば、それは、写真に近付くだけで
映像革命の嵐が吹き荒れて止まない今日
いくら人力で写真に迫ってみたところで
徒労に過ぎず、動画の足元にも及ばないし
御苦労さま・・・とネギラッテももらえない。

CGとか3Dとか4K・・?だったか・・?
ともかく次々に現れる、
数多のマヤカシモノの手練手管を用いれば
視覚的に人心を支配できるし
詐欺行為でも詐欺には見えない。・・・
無いことも有るといえるし、
アッタこともナカッタと言いきれる。
視覚を支配してしまえば
マインドコントロールなどいとも簡単!
映像の力は既に悪魔化している!!
と言っても決して言い過ぎではありません。

視覚によるインパクトは強烈なものがあり
誰しも最も・・・タブラカ・・されやすい分野。
・・・・だから。





東京芸術大学を頂点とした美大に入学するには
この写実力を鍛えないとマズイ。

石膏デッサンを代表格にした
写実力養成が必須の登竜門となる。

だから写実力があるほど周囲から一目置かれるし
世間も最も分かりやすい基準なので敬意を払う。


しかしこれほど映像の世界が果てしなく充実した今日
機械で出来るてしまう様な事を
人間の能力判定の基準にしてしまう
ことが・・・・果たして
宜しいのでしょうか???


・・・・
写実力は勿論必要だが
それだけでは『美』は生まれない、
という犯しがたい事実にこそ
目を向けるべき時代である、と言える。


写実する力が無ければ、意味不明
何描いてあるか分からなければ、人には伝わらない。
しかしだからといって写実するだけでは
理解し易くなるけれども・・・別に
美しくはならないのです。


“ビックリするのと美しさとは別物”であるように
解り易く丁寧に説明しただけでは
感情までは伝わらず
まして美しさが生ずる筈がない。


その事に気付くか気付かないかで
その人の人生も随分変わり
気付いた方が何倍も楽しく
幸せな筈なのに
ともすると、
写実力を養成した人ほど
写実にコダワリ、写実力を全ての規範に据える。

だから美大で優秀な成績である人ほど
写実から離れる事が出来ず
専門バカみたいになって、もまだ
写実の呪縛から逃れられない・・・ので

素人からは、妙に感心されたり??、
馬鹿にされたり!!
ともかく面倒くさいから放っておけ・・・扱いになる。

和歌や短歌で言えば分かりやすく
事実の説明を5・7・5でされても
31文字で短縮解説されても・・・
ソレだけじゃ全くつまらん!

言外の意味や観てきた様な映像が瞼に浮かぶ
かのような、省略、或いは誇張という
作為が加わらなければ・・・・
事実の羅列から、感動は生まれない・・・のと同じ。

つまり写実は必須の手段ではあるが
目標ではないし、
あくまでも一つの手段であって
もっと大事で
もっと必須な手段が他にもある。
沢山ある・・・・・無数にある・・・
・・・・・訳であります。



詰まる所、表題の如く

ルーブル美術館にはガラクタしか無い!


と言いきれる・・・・

美しくもないものを並べて美術館と称しているのは
単なる詐欺。・・・コケオドシと言うんだなぁ。


ルーブルに限らず、
美術館と称したガラクタの山・・・が、
多過ぎる。

美しい・・・
と言う事が、解らない。

思わず魅せられる、
と言う意味が受け取れない。

そんな人で溢れ返った世界は実に住みにくい・・・のですが。




理想美術館は絵の魅力満載、
絵でなければ表現出来ない、
魅惑される以外の何物もない、・・・
ただただ限りなくひたすら美しい・・・・存在。

でなければ・・・・・なりません。ねぇ


それはつまり、普遍なる【大和絵】の世界。




55春日.jpg

春日霊現記絵巻より、部分図












posted by 絵師天山 at 03:22| Comment(0) | 理想美術館

2017年03月09日

関根祥雪師逝く


観世流能楽師の関根祥六 (せきねしょうろく)師がお亡くなりになりました。
桜の便りより少し早い、二月下旬、86歳の生涯を閉じられたのです。



       image_12710458994.jpg






関根 祥六(せきね しょうろく、1930年(昭和5年)10月28日 - 2017年(平成29年)2月22日)は、
シテ方観世流能楽師。埼玉県越谷市(旧・南埼玉郡蒲生村)出身。

関根隆助の六男。兄関根直孝及び二十五世宗家観世左近に師事。

重要無形文化財「能楽」保持者(総合認定)。芸術祭優秀賞受賞。紫綬褒章受章。2002年日本芸術院賞受賞。2010年旭日小綬章受章。2016年観世流から、功績の顕著な能楽師にのみ許される「雪号」を授与され、祥雪を名乗っていた。

長男が関根祥人(2010年、50歳で急逝)。



大東亜戦争の最中、・・・
国を挙げての戦争であり
600年以上も続いてきた能の世界も逆風にさらされ
ひっそりと、表舞台からは遠ざかっていた訳ですが
観世流お家元や関係者も勿論各地へ疎開、
疎開先として自宅を提供したり、支援の手を差し伸べた
多くのフアンの御蔭で、命脈を繋ぎ、次なる
700年の歴史を刻むべく今日を迎え
観世流新能楽堂が銀座のビルの中に
移転新築、・・・正に本年、成されようとしている
このタイミングで祥雪師は逝かれたのでした。

観世流の大番頭と言われ
文字通り世阿弥の真髄を今日の世に投影し続けた
大名人であり能楽界の大黒柱であります。


ともかくお能は、日本の芸能の中心に位置しています。
歌舞伎役者も文楽の人も、舞踊家も・・・
邦楽関係者はすべからくお能を学ぶことが必須
基本中の基本だから。

源氏物語から想を得て、
歴史画というものに目覚め、近づこうと願っていた矢先、
お家元への真摯な支援者であった方の親族のお一人と昵懇となった私は
この方にお願いして関根祥雪先生(当時は祥六)をご紹介いただき
お能の手ほどきを戴くことができました。


お陰でどんなに役立ったことでしょう
凝縮した生身の、ホンモノの芸道をまのあたりにし
間近に感じ、学び、
真摯に歩む人にのみ与えられる
天恵を私にさえ授けて下さいました・・・
先生に近付けただけで
どんなに絵の道もすすんだことしょう・・・

限りない恩義を感じ、
何一つご恩を御返し出来ず、
このお別れを迎えてしまったのは残念無念であります。



忘れもしない初めてのお稽古は
正真正銘のマンツーマン!
正坐した先生に正対し、
その御発声を辿る・・・

全くの素人であった私は
先生の第一声の
その、あまりの美しさにボー然・・・全く
声が出ない。聞き惚れて・・・
あんたが謡うんだよ!
と・・・あきれられる始末・・・


必死の10分、・・が
・・・何倍にも感じる重圧・・・・・


プロの中のプロフェッショナルに
直々に学ぶという事が、どのくらい
凄いことなのか・・・・・・・その後も
たった15分くらいのお稽古だけで
汗だく・・・足はしびれ、ヨレヨレになって
帰り道で漸く我に返る・・・・あり様。
お稽古の或る日まで予習しまくり
15分でへとへとになり
帰ってまた復習・・・さらに予習


始めのうちは仕事に差し支えるくらいでしたが
先生の美しい声と仕舞とに魅せられて、
汗だくの楽しいこと・・・・ホントに・・・

道は違うけれども、文化に携わる御同業として
こちらの無礼は数知れずあったに違いないのに
先生は私への礼節は十二分に尽くして下さいました。


院展へも御高覧下さり
励まして戴きましたが、
雑談の中にも聞き捨ててしまうには惜しいお話が随所に・・・
午年のお生まれで、誠実一途。
直線まっしぐら・・・・の芸道、
しかもご年齢と共に円熟を極め・・・
生涯忘れる事はないであろう感動を
舞台で幾度も示して下さいました。

天鼓(てんこ)という演目がありますが
先生のそれは、もう、このままずーーーーーっと
仕舞を永遠に続けてもらいたいーーーーー!!
やめないでーーーーー!!!ください!!!!

どうか終わりませんよう!!!!

心底、そう思える程・・・・・・


御子息、祥人(よしと)氏もまた
それはそれは立派なシテ方でありましたが



    images.jpg


シナでの万博で、歌舞伎の玉三郎と京劇のメイランフアンと
楊貴妃を共演し・・・・帰国直後に急逝。
50歳、・・・正にこれから!!・・の、ご年齢でした
ホントにやさしい方なのに、舞台では・・・
善界(ぜがい)での天狗役、など正に強烈!
この世に天狗はホントに居るのだな!!
と心底思わせてくれる・・・・仏倒れの名手、
皇太子殿下の御学友・・・!。でもありました。


父として師匠として、
かけがえのない・・・
息子と弟子と同時に失った
祥雪先生の心情は察するに余りあるもので、
もう、・・・・お気の毒そのもの。
凡人には絶えられないようなこの逆境をも
お孫さん祥丸氏への期待へと塗り替えしつつ
新能楽堂の竣工を楽しみにしておられたと拝察するのです。


世阿弥以来700年。
彼も息子を早くに失って晩年は佐渡島に流され・・・逆境そのものであっただろうけれども
『初心忘れるべからず』・・・・・
日本文化の中核を成し・・・・以来700年



日本ならでは。
700年という年月を確かに
継承し続けた文化が歴然と存在し
その息吹を誰もが享受できる
不思議な不思議なこの国に
生かされている事を、改めて思うご葬儀でありました。

心より御冥福をお祈り申し上げます。







posted by 絵師天山 at 00:12| Comment(0) | 日本ならでは

2017年02月25日

特別展 【千年の至宝・春日大社】

現在上野の東京国立博物館平成館では
特別展【千年の至宝・春日大社】を開催中です。


奈良公園の最奥・・・春日大社として親しまれて来た
春日神宮の宝物を一同に開陳!!




      1春日.jpg





      4春日.jpg





      6春日.jpg





      8春日.jpg





      春日3.jpg





      2春日.jpg





      5春日.jpg





      7春日.jpg




文字通り千年を経た宝物群ですから
他の追随を許さない質であり数・・・。

なにしろ国宝、重文だけで千点を超える規模。


如何に横山大観でも春草でも
北斎でも円山応挙でも、
酒井抱一でも、等伯でも
探幽でも、・・・・
一人の天才が成し得る事は・・・
これに比べれば・・・
大したことはありません。

千年の日本民族の集大成ですからねぇ

春日神社への尊崇がこれら宝物を産み出し
粛々と伝来し続けたのであります。

勿論その奥には厳然たる皇室への尊崇がある。


美術品として最高峰に達しているというのは
こう言うモノの事を云うのであり、
錬金術とか売名とか
お話にならないようなクダラン
【カタリの美術もどき】・・・とは訳が違う。



さすがに年月を経ているので
汚れたりヤツレたりしているのは
致し方ありませんが、
それでもメインの【春日権現霊現記絵巻】などは
今上天皇のご即位を記念して十数年間をかけて
一巻づつ丁寧に修復され面目を一新。

まさに白眉!!!

これぞヨダレもの・・・・
是を観ずに絵を志すべからず!!

これこそ規範、大和絵の基準作品
つまりは絵の本の元の基・・・




と、言う訳で
筆者はゾッコン惚れこんで何度も観に行きました
もう一度会期中に・・・・!!!







       12春日.jpg





       14春日.jpg





        15春日.jpg





        13春日.jpg





        16春日.jpg





        17春日.jpg





        18春日.jpg





        19春日.jpg





        20春日.jpg





        21春日.jpg





        22春日.jpg





        23春日.jpg





        24春日.jpg





        25春日.jpg





        26春日.jpg





        27春日.jpg





        28春日.jpg





        29春日.jpg





        30春日.jpg







posted by 絵師天山 at 14:37| Comment(0) | 日本ならでは

2017年01月23日

横綱稀勢の里


稀勢の里が初優勝しました!!
場所前、大方の声は、
またぞろ、肝心なところで負ける・・
稀勢の里の優勝なんて永遠にあり得ない・・
などと、皮肉交じり予想・・でしたが
酉年になっての初場所
風が吹いた!!


結果は十四勝一敗の堂々たるもの。
二人の横綱と実力ある大関が休場だったけれど
それは稀勢の里の責任ではなく
先場所は三横綱さえ総なめにしての準優勝
しかも対白鳳戦三連勝中だった!
・・・し
年間最多勝利も得ていた、のであって
当然横綱昇格へとつながる成績

誰はばかることのない昇進!!

親でもないのにもらい泣きした相撲フアンは
数え切れないくらいでしょう。


確かに、今場所は初手から落ち着いていました。
磐石の勝利への意志を感じさせる立ち居振る舞いであり
筆者は秘かに、心地よく不安なく見ていられたのです。


その稀勢の里の実父が新聞社にたいしてコメントを出したのをみて
ここに掲載させていただきます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


 稀勢の里の父、萩原貞彦さん(71)は優勝を決めた瞬間を茨城県牛久市の実家で迎えた。野球少年だった長男が角界入りした後もアドバイスを送り続けた相撲好きの父は、大きな壁を乗り越えた自慢の息子へさらなる精進を期して、スポニチ本紙への手記に思いを込めた。

【写真】落ち着いた表情で仕切る稀勢の里





 まずは先代鳴戸親方に感謝しなければなりません。草葉の陰でさぞかし喜んでくれているのが目に浮かびます。厳しい教えと薫陶を受け、そのことをしっかり受けとめ精進してきました。本当にありがとうございました。

 今までの相撲人生を振り返ると順調過ぎるほど順調に来ていたと思います。周りからは幕内に入ってから伸びは鈍化し、足踏みが多かったのではないかという声が聞かれますが、関取以上は幕下以下に比べれば密度は濃く、また、三役以上はさらに密度が濃く大関ならばなおさらです。

 密度の度合いを幕下以下に置き換えれば幕内に入ってからの伸長率は決して鈍ったのではなく、一歩ずつではありますが順調に来たのではないかと思っています。


 よく引き合いに出ますが「上に上がるときは一気に上り詰めるもの」。歴代横綱の多くはそうであったという声が多いが「とんとん拍子の出世」はまれな例であると思います。

 また、現在本人を取り巻く環境は過去の環境とは比べようもないぐらい大変な時代ではないでしょうか。戦後復興のハングリーな日本と同じ環境のモンゴル勢と、相撲史上最強と思われる白鵬が君臨し、大いに盾になっています。そういう中で日本勢対外国勢という構図が出来上がり、日本代表として日本人ファンまた関係者の期待を一身に受け、中学を卒業して相撲しか知らない純粋培養の本人にすれば病気になるぐらいの重圧を感じていました。こういった環境の中で非常によくやったと思っています。私としては大関のままでケガなく病気にならない体づくりを第一に考え、好きな相撲を長くやってもらうのが念願でした。しかしそれではお世話になった人、世間が許してはくれません。

 現在の閉塞(へいそく)した時代、日本人としての気概に乏しくなった時代に伝統文化、様式美を具現化した相撲は、相撲を通じて礼儀、作法、道徳等の日本の良さを見直し、知らしめるという義務使命があるのではないでしょうか。

 また、上に上り詰めたときは自分もしくは家族のためということから手を離れて、国家のため日本の伝統文化に気概を持って伝承しなければなりません。

 さて、これからが大変です。今まで以上に稽古をこなし、自分を律し、より勉強して名実ともに誰からも模範になるような立派な人間になるよう努力しなければなりません。

 そういった意味で「おめでとう」と言うよりはこれからはなお一層頑張らなきゃいけないと思うと気の毒になったというのが本音です。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


相撲を知らない人の為に、・・・・
ちょこっと、解説しますと・・・・


師匠の鳴門親方は元、隆の里という横綱で
遅咲きで有名であり持病に苦しんで
60場所を費やして漸く横綱に成れた力士。
言わば苦労人の成功者ですね。
弟子には非常に厳しかった。

もう一人琴桜という、これ又
・・超遅咲きの横綱が居たが
この力士は皆が忘れかけたころ急激に強くなって
あれよあれよと言う間に昇進した為に
狂い咲き!などと揶揄されました。

が、稀勢の里は、師匠よりも
狂い咲き琴桜よりもずっとずっと
長く関取を続けて、七十場所以上を費やしての
横綱昇進なのであります。

年間六場所ですから、10年以上。

勝利への貪欲さ、だけではなく
力士としての品格を磨いてきた・・・ための
遅咲きであるが故に、親ならずともフアンは涙したのです。

白鳳を代表とする外国人力士は
国を離れ、見知らぬ外国で生計を立てねばならず
石にかじりついても!という
ハングリーさは並大抵ではありませんが
その分、相撲はスポーツではなく神事である
という本分をないがしろにする。

・・・というより、生理的に解らない、
と言ったほうがよろしい。
とにかく勝てば官軍。勝利にどん欲と言うより
手段を選ばない。
普通
上位者に対して、立会の張り手は、
禁じ手ではないものの、
力士の品格を知る人は決してやらない
いきなり問答無用の平手打ちにするんですから、
当然稀勢の里も、・・・・

下位力士に対して立会から変化する、
なんてバカものはまだ、
幼児性が取れない
力士の名に値しないヤツでしかない訳で、・・受けてやらねば!
まして横綱たるもの、私を引きづって自分の勝利だけに終始していてはイカンのですが、
白鳳にはそれが生理的に解らない。
ルールにないことは何しても良い・・・・!?

ところが、稀勢の里は、
実に日本人らしい、
相撲は当然、神事である・・・と言うことを
十二分に心と体で分かっている代表的力士なんですね。
神様に観ていただく!

彼ばかりでなく、多くの日本人力士はそうなんです。
外国人力士であってもそれを知る人も居りましょう。

中学校卒業してすぐに角界入りしての
純粋培養である、というのはこのあたりの事を言ってます。

常に仕切りも堂々としているし
変化するとか、
姑息な手を使う、
騙まし討ちも駆け引きのうち・・・
なんてことはもう
微塵も考えたこともない。

本来あるべき
相撲らしい相撲をめざして、稽古して、
それで実力を付けてゆけば、
おのずと結果は付いてくる。
という考え方に徹している人。

だから、目先の結果に囚われる世間は厳しく断じる。
事実、結果だけ見ると、
情けないことも多々あったのですけれど、
15年間本場所を休んだことがない
大ケガのない名力士であり
いつも寡黙で、言い訳などせず、
モクモクと、精進し続ける事を決して止めない力士。

実に尊敬すべき力士なのだが、
浮薄な世間の波に追いやられそうだった・・・・のが
ここへきて、その真価が遺憾なく発揮されたのです。


すべからく日本人はこうあるべき。
・・・と思います。


御人よし、と揶揄され、
ばかにされ、小突かれ、ないがしろにされ
やりたい放題の仕打ちをされっ放しでも
なお
人としての品性を育てようと努める。


世界は残酷で、弱肉強食そのものでしかない!・・としても
なお、日本人は人としての品格を保ちたいものであります。
守り抜くために工夫をする、努力を惜しまない、
そして、創意を深めてゆく、知恵を絞る・・・


なぜかって? 
結局世界は日本人なくしては立ち行かないから・・・

稀勢の里の父上が言っていることを敷衍すれば、
日本文化だけが、世界を導く力を持っているので、・・・・

稀勢の里は、とにかく後退しない。
ホータイもしてない。
じりじりと、正直に実力を養いつつ、
苦労を苦労とも思わずに力を着け前進し続けている。
笑われるような結果でしかないこともあったけれど
今やあの白鳳に4連勝している・・・・!!
必死に全力で食らいついてきた白鳳を土俵際でたたき落した。

ワタクシにまみれて傍若無人にふるまう者をも
結局
ねじ伏せなくちゃイカン・・・・、

のであります・・・・
そこを目指さねば・・・・。

日本人ならではの実力を!







posted by 絵師天山 at 01:14| Comment(0) | 日本ならでは

2017年01月21日

年頭にあたり

先ず、産経新聞1月9日掲載【正論】から、

小堀桂一郎先生の〜「国家理性」に基づく力の発揮を〜
を、ご紹介します


★★★

 昨年の年頭述志に際しては当年の国民的課題として、初等中等教育課程に於(お)ける国語教育の重視と大学教育に於ける基礎学の充実を二本の柱として、教育の再建の必要性を説いた。本年も謂(い)はばその文脈の延長線上に浮上して来る一箇の理念的目標についての所思を述べさせて頂きたい。


≪個人としての「強さ」とは≫

 目標といふのは昨年提示した二つの課題を総合してみればそれになるとも云(い)ふべき上位の理念であつて、それは国民が個人としても全体としても先(ま)づ強い力を有つ事を美徳と見る、その認識を涵養(かんよう)したい、との提案である。

 教育の文脈から云つても義務教育段階に於ける国語能力たる読解力、言語表現力(会話と作文を併せ考へて)、語彙の豊かさ等は即ち子供の総合的知力であり、この力を十分身につけた者には自然に人生万般に亙(わた)る自信が具はつてくる。それは巷間(こうかん)に喧(かまびす)しい話題となつてゐる「いぢめ」に対する何よりも有効な防衛力である。


 それだけではない。かうして知力を身につける事の有効性を認識した子供は、もし自分に基礎的な体力や運動機能の点で弱味があると悟つた場合、自ら進んでその欠陥を補ふべく体を鍛へることの重要性に氣が付くはずである。「強い」といふ事が人間の重要な美徳の一つだとの認識に達したならばそれだけでも彼の人生は成功を保証されたも同然だと考へてよい。

 同じ理論が大学で身につけるべき基礎学についても適用できる。大学で修得する専門学は所詮は一つの技術である。全て技術なるものの有効性はそれを支へてゐる基礎的な学力の充実如何(いかん)にかかつてゐる。その基盤を広く且つ堅固に構成する要素は、「ゆとり教育」などといふ妄語が罷(まか)り通る様になつた頃からとかく軽視され始めた一般教養である。その教養なるものの実体は、敢へて簡約すれば広汎な読書経験から来る知識と理解力、活溌な想像力に他ならない。

≪荒波に抗してゆくために≫

 大学といふ教育組織を例に取れば、力とは即ちその一般教養によつて身につくものだと考へてよいのだが、此を広く一般社会の職能分野に移して考へれば、それは夫々の専門職の世界で多年に亙つて蓄積されて来た先人の経験を、次代を背負ふ若い世代が着実に継承し、保持してゆく事である。文献の読破を通じての力の継承が、実業の世界では人と人との直接的接触によつて実現し、集合的な経験となり、やがて集団全体の具有する力となつて効果を表してゆく。

 以上に述べた様な国民の諸階層諸職能に於ける力の養成とそれに基く当事者の自信は、国家といふ規模の大きな共同体の持つ力として考へることができる。
人間社会の荒波に抗して確乎(かっこ)と我身を持してゆくには身体と精神との両面で先づ力を具へてゐなくてはならないと悟つた個人が、例へば国際的な激しい競争の場である普遍的な学問世界に身を投じるめぐり合せになつた時の状況を想像してみよう。その人はおそらくこの競争の場で有効に作用するのはどの様な種類の力であるのか、といつた洞察を働かせる。そして今まで心して内部に蓄へて来た基礎的な諸力のどの部分をここで発動すればよいのか、といふ対処の方法を見出し、十分の自信を以て競争に応ずることができよう。


 この事例考察は更に規模を拡げ適用する事もできる。即ち国家の安全保障に関はる事態である。

≪日本の運命に覚悟をもつ≫

 国家主権の尊厳と国民の安危とに責任を有する程の枢要な政治的地位に立つ人ならば、この苛烈な現代の国際社会に於ける安全保障の最大の条件は国際関係に於ける法的秩序が公正に維持されてあるといふ事であり、その秩序を維持すべき要因は端的に力以外にないとの現実を認識してゐるであらう。只、国際関係を律する力の使用に一つだけ留保をつけておくとすれば、それはこの力をそれがあるべき様に統御する機能としての「国家理性」が健全でなければならぬといふ、この一事である。「国家理性」は学術語としては第一次欧洲大戦終了後間もない時期にドイツ人F・マイネッケの学説を通じて有名になつたが、源流に遡れば高名なルネサンス期フィレンツェの哲人マキャヴェリが『君主論』で創唱した力の哲学に必須の前提条件である。

 マキャヴェリは、君主は己の国家の存続のためには必要とあらば悪を為す自由を有する、との強烈な「力」を礼賛する思想の高唱によつて謂はば悪名が高い。然し実際にはその悪をも敢へて為す「必要」性の考察を通じて、「国家理性」の哲学に到達した近代政治学の先駆者だつたとするのが公正な見方である。

 現在の日本国が直面してゐる運命に、国民は如何なる覚悟を以て臨むべきか。我々は言葉の正しい意味での「国家理性」の統御の下に、国際関係に於いて存分に力を蓄へ且つ揮(ふる)ふ事を躊躇(ちゅうちょ)せぬ氣概を持たねばならない。


(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼりけいいちろう)

★★★





さて、これを読んで私は、
私共、日本画を志すものとして、
先行きの見えない大変動の時代に
確固たる『大和絵というものへの認識』・・・を
さらに確固として持つべきであろうと、
さらに確固として求めるべきであろう・・・と
重ねて強く強く思います。

底の深いもの、・・・・・
汲めども尽きない魅力がコンコンと湧いてくる・・モノは
飽きることがなく、
自分がどのようなレベルにあってもかならずそれなりに楽しめ、
自分のレベルが上がってもさらなる魅力に出会う事が出来、
どこまで深く掘っても、掘り尽くすこともなく
常に立ちはだかる壁がある。

ホンモノの魅力、
と言うモノは簡単なものであろうはずはなく
僅かな期間で届くようなトコロではなく
すぐに飽きてしまうこともない。
普遍なるもの。
高く見えざる目標を掲げる一方で、
コツコツと
出来る事は徹底的に徹底する・・・


日本人として
日本の真の姿を見極めようと努め
常にそこから大和絵を学ぶ・・・・こと、

今年もさらなる大傑作を目指すこと!!!
それこそが力である、と。




posted by 絵師天山 at 00:29| Comment(0) | 日本画の真髄

2016年11月28日

本年最高のエポック!!

今年十月、
スバラシイ体験を得ました。
それは、宮内庁式部職楽部による雅楽の初鑑賞です。





        1雅楽.jpg






腹の底からの感動、といいますか、
実に実に、ホントに、ホントに、
良いものだなあ!!と、魂が揺さぶられ、
文字通り言葉を失ったのであります。


伊勢神宮で御神楽を拝観した時など、
浦安の舞、とか、蘭陵王(らんりょうおう)とか・・
・・・良いなあ・・・くらいは感じ、
雅楽なるものを
知らないわけではありませんでしたが、
本格的に鑑賞させていただくのはこれが初めてだったのです。

若いころならば、
これほどの感触は得られなかったかも知れませんが、

こちらも、日々、世に問う、大和絵傑作作品を志向し
創り続けてベテランの域に届きそうな絵師ですから
大抵なものにはもう驚かない。
というか、素裸の感動はしづらい?
はず、だが、この宮内庁式部職に依る
本格的雅楽フルコースは
正に絶品。



驚きのハイレベル。
この事実をまだ知らなかった浅はかさに
学ぶべき事は無くなると言う事はないのだと
痛感させられたのです。


御案内して下さった方は、
もう何度も拝観しているようで、
御好意に感謝したのは無論ですが、
ちゃんとしたルートで申し込めば抽選の上
誰でも見る事が出来るし
春秋二回、わざわざ、
一般公開のチャンスが設定されていると言うのにも
二度びっくり。・・・・
少々、日々の暮らしからは遠いモノとはいえ、
さらに、

「天皇こそ文化の源」

の感深く、とにかく有り難き極みでありました。


私の、知らず知らず、口走る“スバラシイ!”の連発で、
御隣に座られた方は迷惑だった様ですが、
たまたま、その方も雅楽界の方らしく
合間に、控え目でありながら、的確な解説をして下さり、
私の素朴な質問にもお答え下さって
程良く知識欲を満たしてくれました。






        2雅楽.jpg





        3雅楽.jpg





        4雅楽.jpg





        6雅楽.jpg





        7雅楽.jpg





ガルーダインドネシア航空という航空会社、
聞いたことはありませんか、
このガルーダというのは、現地の神象らしく、
インドネシアの象徴的存在・・・
このガルーダの形態が、何度か観たことのある蘭陵王の面にそっくりなのはなぜだろう?とかねてから疑問に思っていたのですが、

この謎を解いて下さったのは、
陰陽師の先生でした、


その昔、スメラミコト(=天皇)のオワします
日本に世界中から朝貢使節が集まり、
それぞれの国、地方の、素晴らしきものを
スメラミコトに献上させていただいていた時代があり、
今のインドネシアから到来したガルーダの舞が大層評判になり
それが現在の雅楽のルーツの代表となった・・・・

という謎解きでした。

事実、平安中期に完成されたとされる雅楽は、
日本古来の歌と舞と
アジア大陸から伝来した器楽と舞が融合され
日本化したものの総体、・・と、されています。



つまるところ、
天皇に観ていただく、
その為に世界中から心血を注いだ生え抜きの歌舞チームが
争う様にして、技と雅とを磨きに磨いた・・・
その集大成が、現在の雅楽、・・・
という訳ですから、まあ、当然と言えば当然。
魂を揺さぶるほどの雅やかなる、楽しさ・・・
それは、正しく当然、当たり前と言えるのでしょう。




あの洋楽フルオーケストラの・・品のない、
楽しくもなければ、美しくもない、
ただただうるさいだけの、押し寄せる粗雑なる波動・・
騒音発生装置・・・とはまるで雲泥の差・・・

(これはあくまでも個人の感想です・・・)

なんで日本人はユダヤ、アングロサクソンの音楽にコロっと騙されちゃうんでしょうかねえ・・・


管絃(かんげん)と舞楽(ぶがく)と歌謡(かよう)の三つの演奏形態があるようですが、
管絃(かんげん)は、世界最古のオーケストラと断言出来るでしょうし
舞楽(ぶがく)は、世界最古の神楽=へんばい、から
歌謡(かよう)は、世界最古の和歌から、
それぞれの形態が定まっていったのは自明です。



それにしても、畏れ多い事に
皇居の一隅で、時と場所を提供してくださり
しかも・・・タダで、
これほどの超ハイグレード文化に直に触れられるのは、
もちろん、・・・・・
世界に類するものさえ有る筈は・・・・・
有る筈もなく・・・






      
        DSCN6544.JPG





        DSCN6540.JPG





        DSCN6537.JPG











posted by 絵師天山 at 22:51| Comment(2) | 日本ならでは

2016年11月27日

弥彦神社菊祭り



           DSCN6664.JPG



秋も深まり、初冬の気配も濃厚・・・
東日本大震災の後遺症としての地震が起こり
東京には積雪。
11月としては実に立派な雪で
今月に入って案外にも
小春日和らしき好日が続いていたにもかかわらず
後半になっての天譴・・・災異。


イギリスのEUからの離脱、
フィリピン大統領の世界に向かっての
歯に絹を着せない論調、・・・
トランプ氏のアメリカ大統領就任・・・

世界は、偽りのグローバル志向から
急激なるナショナリズムへと
やっと!!・・・
回帰し始め・・・たのに・・・・
日本のリーダーだけが旧態依然。
の有様・・


アメリカさえTPP不要・・・と断じたにも関わらず
ワタクシにマミレタ日本人指導層が、
目先の利欲にしがみ付いて
TPPに乗り遅れるなと・・まだ、嘯いている様に、

オリンピックにせよ、築地の豊洲移転にせよ、
スベカラク、あらゆる局面に対して

今や、
日本人は、
完全に世界のすう勢から取り残されている
いや、自ら、好んで、取り残されるままに、なっている。
自分だけは洗脳されていないし、
このまま平和が続けばそれで良いし・・・


グローバルスタンダードという悪魔に取り付かれて・・・・

・・・・・・


日本こそ唯一の文化の源・・・
人間らしい暮らしの唯一の拠り所・・・・
日本こそ・・・・
日本人がそれを完全に忘れて・・・
日本人さえその自覚を持てばズット、モット、
素晴らしい世界を望めるはずなのに・・・






写真は新潟県の一の宮。
弥彦神社の菊祭りです。


        

         DSCN6632.JPG





         DSCN6636.JPG




         DSCN6637.JPG




         DSCN6639.JPG




         DSCN6641.JPG




         DSCN6644.JPG




         DSCN6645.JPG




         DSCN6646.JPG




         DSCN6647.JPG




この美しさ、この丹精・・・
一輪の菊の大輪を咲かせるまでの丹精、
・・・を、名もない何でもない普通の人々が楽しんでいる国


それでもイングリッシュガーデンが良い??
ですか?





         DSCN6668.JPG





たまには、
外国風も良いでしょうが、
なぜ、外国を遥かに凌駕する日本を
日本人は見ないのでしょうか。

外国より日本を後回しにする日本人だらけなのは・・

なぜ・・・・・




         DSCN6659.JPG



紅葉、ひとつとっても、
景色ひとつとっても、

日本の方がはるかに豊かで深いのに・・・





         DSCN6666.JPG




         DSCN6619.JPG



ねえ・・・・



自国よりグローバルが大事だ、と、
70年かけて入念に・・・
思い込まされているだけ・・・・です



グローバルという国籍不明者に成り下がって
ドウスル!
いったい何がしたいの?





posted by 絵師天山 at 23:50| Comment(0) | 日本ならでは

2016年11月01日

武田邦彦先生


靖國神社の機関紙
【靖國】
第736号11月1日発行が届き・・・・
大変興味深い論説がありましたのでそのままここにご紹介します。

テレビ番組のバラエティなどにも活躍されている
中部大学特任教授、武田邦彦先生のお話です。

私などが推奨するまでもなく、この先生の素晴らしさは良く知られており、
良く居る・・・・・
トランプ氏に会ったこともないのに、嫌悪感を感じる・・風な
・・・・・頼りない、風説に苦もなく流される類の人からは
馬鹿にされたり警戒されたり、
ケシカランとされたりすることもありますけれど

いやいや、けっして侮るなかれ、
何事についても曇りなき眼で真っ直ぐに見つめ、
その真を捕らえようとする姿勢は実に尊敬すべき科学者そのものであります。

常にネットの動画やブログなど拝見しユーモアのある正統派学者!!
として楽しませていただいているのですが
この【靖國】での「科学から見た靖國神社」と題した論説は
記念講演を記録したものであり・・・
実に感心させられたのであります。

共感いただければ幸甚です。




        
          images.jpg
          



★★★



科学から見た靖國神社

はじめに

物理学や歴史学などの科学は大きく進歩しつつあり、これまでのヒト、クニ、イノチ、などの概念もまた同時に修正を求められています。本稿では、最新の科学の考え方をもとに大自然と人間、それに魂について科学的側面から整理したいと思います。


1、ユニバースからマルチバースへ

この宇宙は146億年前に誕生したといわれています。真っ暗な闇が突如として激しい光に包まれ、そこで「時間」ができ、「物質」ができたとされています。それから146億年、宇宙は絶え間なく変化し、太陽ができ、地球が誕生し、命が息吹き始め、そして今に至っています。
でも、50年ほど前から「ただひとつの宇宙=ユニバース」と言われるこの宇宙は摩訶不思議なことだらけということも分かってきました。そもそも「宇宙が146億年前にできたのなら、その前は?」という単純な疑問も残り、ブラックホールという「何でも飲み込んで体積がなくなってしまう」という奇妙な天体も沢山見つかっています。
専門的になりますので詳しくは触れませんが、ブラックホールの温度分布などが分かれば解るほど宇宙の学問は行き詰まりを見せています。
つまり、今まで私達が考えていた宇宙、たとえば「この宇宙は一つである」、「宇宙はほとんど真空である」さらに「真空にはなにも物質がない」などと思ってきたけれどもそれは間違っているのではないか?という疑問がわき、新しく「超ひも理論」の様な物理学の理論が考案されてきました。それによると、これまで小さい粒子は丸い形をしていると思っていたのに、実は「輪になった紐」ではないかとか、真空には「質量のない小さな物質がぎっしり詰まっている」とか、極めつけは「宇宙は一つではなくいくつもあり、私たちの宇宙と重なっている(隣にある)」とも言われて、それをマルチバース(多元宇宙)と呼ぶようになってきました。
おそらくは宇宙は複数あり、著者の手の届くところにも別の宇宙があると思われます。ただ、宇宙が違うので感知できませんし、ぶつかることもなく、ただ一緒にあるということだけです。しかし、私達が別の宇宙への扉(入り口)を発見すればそこに入って行くこともできますし、旅行の時に扉を開けてそこに荷物を預ければ、旅行先で同じ扉を開けて荷物を取り出すことも可能かも知れません。
いずれにしても私たちの宇宙にはまだ分からないことが多く、宇宙がおそらく複数あることも確かで、それが私たちの生きている間に発見されるのか、微妙なところという感じです。


2、生物のお互いの情報交換

かなり前から森の中にいると気持ちが良いことを「森林浴」と言っていました。この「気持ちが良い」理由は「原始時代に森に住んでいたから」とか、「樹木の中心から芳香族系の化合物が揮発して、その臭いが人間を癒す」とされていました。ところがさらに研究が進み「人間には聞こえない20キロヘルツ以上の音波が原因」という結果も発表されています。
また、百匹用の大きさの回遊槽にイワシを百匹回遊させている時はなにも起こらないのですが、そこに十匹を追加すると、どれか十匹が鱗をこすり合って自ら傷を造り死ぬことが知られています・どういう手段でイワシが水槽の中の数を知ることができるのか不明です。
さらにまったく健康なのに「群の役に立たなくなった」動物が早く死んでいくことが多くの動物で知られていますし、人間も元気な人のグループにいると元気なのに、その人が病気の人達と一緒になると病気になるという研究もあります。
もちろん、昔から「虫の知らせ」「テレパシー」など多くの現象が知られていて、それらは「超自然現象」と呼ばれますが、物理学を専攻する著者から見れば、「超自然」ではなく、「人間がまだ知らない自然現象」と言った方が正しいと思います。
かく言う著者も神社にお参りに行くと、必ず斜め後ろから風が吹いてくるのを感じます。たまたまかと思うとそうではなく、かならず同じ方向から同じように風を感じるのです。他にも何らかの「超自然」を感じておられる方が多いと思いますが、まさにそれこそが「自然」なのだと思います。
実は人間も含めて多細胞動物は「一匹のミツバチ」、「一人の人間」のように分かれているように見えますが、本当は「多くのミツバチ」「人間の集団」として一つなのではないかとも考えられます。
たとえば人間は37兆個の細胞ででき、見かけ上は一つ一つの細胞が完全に独立していて、自分は手の細胞とか、お腹の細胞という違いはありません。でも、37兆個の細胞は見事に一致協力して「一人の人間」として複雑な行動をすることができるのです。このことはプラナリアやボルボックスというような原始的な動物で研究が進んでいますが、まだ細胞間の情報交換の方法は見つかっていません。
つまり、人間ばかりではなく、全生命は何らかの手段でお互いに連絡を取り合い、その種全体で調和するように活動していると考えるのが妥当です。そして、お互いの連絡の強さは、第一に自分の体の細胞、第二に親子、親族などの遺伝子の一部が共通しているもの、というようになっていると考えられます。さらには、人間以外の動物に及び、自然界の川、海、などとも連携していると思われます。
最初に書いたように、「質量を持たない粒子」があるということは目に見えないもの、物質として存在していないものもこの宇宙にはあることを意味しています。日常的にも、テレビをつければ遠いところにいる人の話を聞いたり、その人の動きを見ることができますし、スマホを使えばどこに居ても家族の声を聞くことができるのも、今では当たり前のことですが古代の人が見れば「信じられない」ことに相違ありません。



3、人類史からみた日本の英霊


さて、宇宙は複雑であり、魂は生死に関わらず常に情報を交換している中で、私たちは何をすべきであるかを考えてみました。
人類は約550万年前に誕生しましたが、長い間、ほとんど「道具」というものがなく、やっと手に入れた「石器」もそれほど良い道具ではありませんでした。それでも石で鍬や斧を作ってやっと畑を耕したり、シカを仕留めたりしていたのです。でもあまりに生産性が悪いので、毎日毎日、必死になって田を耕さないと十分な食料が得られないという状態がつづいたのです。
しかし、およそ紀元前1000年頃、今から3千年ほど前に、ヒッタイト(現在のトルコ)で鉄器が発明されました。それまでの金属材料では青銅が使われていましたが、かなり高価で宗教的なものや武器などには使われましたが日常的には使えませんでした。
ところが鉄器は農具、特に鍬などに使えるので耕作は格段に楽になり、それまで、「全員が農夫」だったのが、「国民の一部は農業をやらなくても食べてゆける」ようになり、社会は一変しました(「暇な人たち」の出現)。
鉄器ができたオリエント地方がやや早く、それから5百年ほどかかった支那地方は遅れましたが、「暇な人たち」が思想家、宗教家、軍隊、貴族、などになり、ゾロアスター教、ユダヤ教、道教などが誕生するとともに全世界的に大きな国が出来はじめました。
人類にとって楽に耕作できるのは良いことなのですが、同時にその進歩から支配層や奴隷などが生まれ、やがて社会はピラミッド構造になっていきます。それから3千年、世界の歴史は大きく変わっているように見えますが、現実にはほとんど変化はなく、ただ社会のピラミッドは少しづつ大きくなり、国家ができ、さらには支那の始皇帝の秦、ローマ帝国、ウマイヤ王朝、モンゴル帝国、など巨大国家を生み、ついに15世紀の大航海時代には白人による世界の制覇が始まりました。まさに20世紀初頭に日本がロシアの進出に戸惑った頃には白人の世界帝国が成立する直前だったのです。
その頃、世界で白人に形式的(植民地など)にも実質的(隷属関係など)になっていない国は世界で支那(大清帝国から中華民国へ)と大日本帝国の二つだけになっていたのです。支那は白人統治を免れるために白人側に寝返って、ロシア、ドイツ、チェコ、アメリカ、イギリス、の援助を頼りに同じ有色人種の日本に攻撃を仕掛けましたが、日本だけは人間の魂を守るために白人の世界帝国に対して敢然と独立を目指したのです
その結果はかなり大変で、日本国の内外で将校、兵士、ばかりではなく、軍属や軍隊に関係ない人に至るまで犠牲をだしました。でも、最終的には敗戦という形式をとりましたが、日本が目指したもの・・・大東亜会議で宣言したもの・・・肌の色、国の大小、資源の有無に関係なく、世界の国がすべて平等になること・・・を実現したのです。
つまり表面的には日本はほぼアメリカ一カ国に負けましたが、イギリス、フランス、オランダ、ロシア、など日本と戦った白人の国は植民地を維持できなくなり、形式的には勝利したアメリカですらフィリピンを手放さざるを得なかったのです。大東亜戦争以後、世界は白人世界帝国から有色人種がほぼすべて独立するようになり、現在の世界の状態になりました。
人類史上、初めて達成した諸国民の独立と平等!
この輝かしい偉業を自らの生命をかけて成し遂げた人たちが今靖國に祀られています。
私たち日本人は人類の平等の為に命を捧げた人たちを祀る場所を持っている事に誇りを持ち、外国の方が日本を訪れた時には、この大きな三千年の歴史と英霊の偉業を説明し、先ずは靖國神社にお参りすることを勧めるのが日本を紹介する上で必要なことと思われます。



おわりに


日本は四方を海に囲まれた温帯の島国であり、その気候は温暖で稲作に適し天皇陛下をいただき、世界でただ一つ「国」としてしっかりした連携をもって繁栄してきました。
私たちは、自分自身を含めてあらゆる人間と常に情報を交わし、それが遠い人でも、すでに亡くなった人でも同じであり、情報の交換、すなわち「むすび」の中で人生を送っているのです。それはやがて科学が明らかにしてくれると思いますが、遠い昔から私たちの先祖が先人を敬い、霊を感じてきたことでもあります。





posted by 絵師天山 at 22:39| Comment(0) | 日本ならでは

2016年10月14日

草鹿式(くさじしき)


靖国神社秋季大祭奉祝行事の一つである
草鹿式(くさじしき)を拝観しました。



       4草鹿.jpg





馬上から弓を引くを騎射(きしゃ)に対して
地上で弓を引くのを歩射(ほしゃ)と言います、
この草鹿式(くさじしき)は、現在
小笠原流の歩射(ほしゃ)の式として伝えられているのです。





       2草鹿.jpg





       3草鹿.jpg





その起源は源頼朝が富士山のすそ野で巻狩りを催した時に、獲物を射損じる部下が多く側近に命じて稽古の方途として草を束ねて鹿の形を作って距離を定めて修練させたのが始まり、と言われ、始めは騎射の式だったものが、歩射(ほしゃ)の式となった。とされます。





       5草鹿.jpg





       6草鹿.jpg





       7草鹿.jpg





       8草鹿.jpg





       9草鹿.jpg





       10草鹿.jpg






灌漑用水を引いたり、井戸を掘ったり、温泉を見つけ出したり、
後の世までの功徳を施した事柄はすべて空海様の
経世力の御蔭?・・・に、見立てる・・・様に、
武芸の事はすべて源頼朝様の御蔭に仕立てる・・・・。

安易にシツラエられた歴史的図式。でありますが、

空海や頼朝を出すまでもなく、
この様な世界に類例のない弓術儀式は
実は超古代から伝わる古式床しいモノなのであり・・・



その昔、物部氏がモノノ部として
モノノフ=武者・・と転化していったことや
万葉集の大スターでもある大伴家持は
≪大くの伴≫を従えた
今で言う防衛大臣と皇宮警察長官を兼ねた様な
武術全般を司る勇者の中の勇者であったことや
天孫降臨につき従いその先導役を務めた
天忍日命(あめのおしひとのみこと)
天津久米命(あまつくめのみこと)
の両神こそ、
それら益荒男(ますらお)方々の
大先祖様さまであること・・・


などは忘れ去られ・・・

常に本当の歴史は歪曲され安っぽくくだらない
≪勝者の歴史≫として塗り替えられる・・・・


しかし、この草鹿式のように、
日本では、
古き良き伝統は、
消えずにずーーーーっと繋がってゆく。
ホンモノの真実が含まれているものは
消えない、消せないんですね。
日本文化の神髄は
こう言う処に秘められているのであります。





       11草鹿.jpg





       12草鹿.jpg





       13草鹿.jpg




この小笠原流の淵源を辿れば後醍醐天皇に繋がっている事は確かで、ただ的を射れば良いわけではなく、的に当たったとしても所作や口上が不適切であれば命中していないとされ・・・・
誠に目先の結果だけに囚われないそれはそれは床しい弓術式であります。






コチラがマト・・・・かわいい!




          
       14草鹿.jpg







靖国神社秋季大祭は10月17日より20日まで
勅使参向を含めた重儀であります。









posted by 絵師天山 at 04:47| Comment(1) | 日本ならでは

2016年09月23日

【歴史の真実】日本第一党

先の東京都知事選で立候補し、
10万票を越える驚きの活躍をされた
桜井誠氏は、新党≪日本第一党≫を立ち上げました。
共感をもって、この場で、
産声を挙げた新党の綱領及び政策をお伝えします。





日本第一党 綱領

一、我が党は、世界に比類無き万世一系の天皇を戴いた民族国家日本の国体を護ります。

一、我が党は、日本第一主義を掲げ、日本国の国益を死守し、日本人の権利を保護し、日本全体の幸福追求を目指します。

一、我が党は、本来の保守主義の復権を目指し、我が国の伝統、文化、歴史を守る為、時として外敵と戦う事を辞さない覚悟を持ちます。

一、我が党は、逼迫する国際情勢の危機を看過する事なく、一日でも早く日本人自らの手で新憲法を制定し、国軍を保有することを目指します。

一、我が党は、歪な外国人社会福祉行政を廃止し、日本人のための社会福祉の充実を図ります。


日本第一党 政策

憲法

自主憲法の制定 (党の憲法草案の策定)
天皇を元首と明記
国軍保持を明記
納税、勤労、教育に加え国防を国民義務に明記


国防・外交

自衛隊を国軍に改組
武器使用基準を緩和し国軍の権限強化
自衛権をポジティブリストからネガティブリストに変更
現行予備自衛官制度を拡充し、予備自衛官を雇用している企業への税制優遇
防衛産業を振興し、原子力潜水艦と弾道ミサイルなどの新型装備の配備
核武装の実現
核シェルター群を持った都市機能の建設
サイバー戦対応戦力の拡充
宇宙空間での防衛力建設
強力な諜報機関の創設
スパイ防止法制定

日韓国交断絶
韓国に様々な制裁を加え竹島奪還
河野談話、村山談話など反日談話の破棄
日韓慰安婦合意の破棄
北朝鮮への制裁強化
拉致被害者の全員奪還
支那の覇権主義と徹底対峙
支那と対峙する周辺諸国との連携強化
ロシアから全千島列島と南樺太を奪還する
不平等な日米地位協定の改定
アメリカ軍横田基地の大規模管制空域の返還
外国への無償援助、円借款の停止


移民・外国人

入管特例法(特別永住資格)の廃止
移民受け入れ阻止
不法滞在者と外国人マフィアの根絶
外国人技能実習生制度廃止
外国人参政権反対
外国人への生活保護廃止
外国人への福祉給付金(及び名称に準ずる制度)廃止
外国人留学生への奨学金廃止
外国人及び外国法人による土地取得規制
民団、総連の強制解散
外国人の政治活動を厳罰化
ヘイトスピーチ法廃止
反日ヘイトスピーチ禁止法制定
外国人の通称名使用については厳格運用を目指し、マスコミの通称名報道は禁止する
外国人配偶者の就労資格を制限
外国人配偶者と離婚した場合、子供の親権は日本国籍者が持つ
外国人の永住資格を更新制にして帰化要件を厳格化
外国人の指紋とDNA登録を義務化
公営住宅に外国人世帯の入居を禁止
偽装結婚の厳罰化と国際結婚への供託金制度導入
外国人帰化一世へ被選挙権を付与しない
帰化人犯罪者は日本国籍を剥奪して国外追放
簡体字・ハングルの公共標識を撤去



※ 赤字の条項は9月6日付で変更




教育

国旗国歌教育の義務化
国語、道徳教育の充実
神話から歴史教育をはじめると共に近現代史教育の充実
学校給食の完全国産化と無償化
学校給食からの食品添加物削減を推進
自虐史観教科書の一掃(近隣諸国条項の撤廃)
日教組、全教の解散及び反日教職員追放
廃止した外国人留学生への奨学金を財源として日本人学生へ給付型奨学金実施
小中高には飛び級制度を設け、大学は規定単位の履修が終われば早期卒業を認める
暗記よりも思考力の向上を重視した教育の実施
外国人と議論で負けないディベート教育の実施
低レベルな大学を整理・廃止し私学助成金を削減
都会に集中した大学を地方振興の為に地方に移転させる
実業・専門教育を充実させ高学歴でなくても活躍できる教育


経済

原発再稼動で産業の安定を確保する
非正規雇用の就労環境を改善する
外国人雇用企業への増税
企業の社会保険加入率100%を推進
地方振興の為、人口減少県で法人税を引き下げる
最低賃金の撤廃に反対し、引き上げを目指す
消費税を廃止に向けて減税し景気回復を目指す
不当なサービス残業や休日出勤をおこなう企業に厳罰を課す
中小企業への法人税を減税する
タックスヘイブンを利用した課税逃れに厳罰と追徴課税を課す
大店法を改正し地域社会の経済を破壊する大型店舗の新規出店を規制する


農林漁業・環境

食料自給率の向上で100%以上の自給率を目指す
食品の産地、原材料偽装の厳罰化
安価で劣悪な輸入食料から国内農産業を守る
減反政策を廃止して余った米は生活保護、年金生活者、勾留施設に支給したり輸出する
商業捕鯨の再開
魚の養殖と流通、可食部位の完全自由化
レバ刺しなど生肉の提供を再解禁
狩猟免許を緩和し、自由猟具を含めて有害鳥獣の捕獲を奨励

外来種駆除特別法を制定して外来動植物の撲滅
ビオトープ、生物多様性の確保
耕作放棄地を国が接収し新規開墾者への配分
藻類バイオマスや微生物を利用した新しい資源の開発
海洋国家の特性を活かし、海水や海藻などからのウランやレアメタルなどの資源採取を推進
循環可能エネルギーとリサイクル社会の推進
近隣諸国からの越境汚染、漂着ゴミへの実費賠償請求


社会

偏向報道を繰り返すテレビ局の電波使用の停止
各テレビ局の安価な電波使用料にオークション制度を導入する
個人ユーザーの携帯電話料金の引き下げを目指す
漫画やアニメなどにおける表現規制の緩和
新聞拡張団の営業を非合法化し、販売店への押し紙を撲滅する
パチンコ店の営業禁止
国内に無料wi-fiスポットを多数設置
国家として賭博禁止を堅持しつつ地方での公営ギャンブルを活性化
外国人と外国法人による貸金業を禁止する
消費者金融の自由金利化を解禁し、銀行と闇金の狭間で金策に困る事業者に可能性を与える
生活保護不正受給の根絶と現物支給化
JRと私鉄の乗り継ぎにともなうそれぞれの初乗り料金を廃止して全鉄道路線一本化の料金体系にする
高額な収入を集める巨大宗教団体所有の不動産への非課税特権見直し
賃貸物件の礼金と更新料などを禁止する


治安

不敬罪の復活
外患誘致罪に武力行使よりも小さな事態の事項と処罰を追加し一般刑事罰化
形骸化した逮捕・家宅捜索を改め、逃亡と罪証隠滅の虞の無い者には行わない
国民に負担を掛ける裁判員制度を廃止し、裁判官判決を審査する第三者機関の設置
刑事裁判の撮影・放送解禁
薬物を高額で売買した者は厳罰化
一般刑事事件の刑務所と薬物事犯の更生施設を分離する
特定の事務所と首領を持たない半グレ集団「準暴力団」にも暴力団対策法を適用できる法改正
未成年凶悪犯罪者の実名と顔の報道を解禁
精神障害者も平等に刑事処罰する
死刑の判決確定から機械的速やかな執行


福祉

出産費用完全無償化
不妊治療費完全無償化
子育て支援金として五百万円(例)を低利子で貸与し、出産ごとに返済額を減額し、四人目(例)の出産で全額返済免除
子育て世代の格安公営住宅への優先的入居
保育園を増やすよりも母親が家庭で子育てに専念出来る環境整備
少子化解決国債の大規模な起債(財源)
多くの子供を産み育てた母親に天皇陛下から叙勲
離婚した場合は児童虐待防止の観点から平等かつ厳正に親権を審査
女性専用車ではなく母子専用車をつくり、子育て世代の母親たちが気軽に外出できるようにする
安楽死を合法化する
延命治療の意思表示を更新制で義務化し病院と親族の負担を軽減する
医療大麻の合法化を検討する
国民皆保険の維持


政治

国会を一院制にする
大政党を利して民意を歪め「一票の格差」を生む小選挙区制度を廃止
全国一区完全比例代表制で民意を確実に議会に反映(拘束名簿式、非拘束名簿式は政党に選択させる)
離党した議員や分裂して出来た「政党」には政党助成金を交付せず議員の“もらい得”を排除
政令指定都市での区割り選挙の廃止
都道府県議会議員の選出を完全比例代表制化、もしくは全域選挙化
選挙とその事前運動における戸別訪問の自由化
税金の無駄である選挙ポスターの公営掲示板を廃止して選挙管理委員会による選挙公報を充実させる
憲法44条違反の供託金制度を廃止
議員定数削減に反対し多様な民意を正確に議会に反映させる
議員歳費を大胆に削減して国民の平均所得の数値に合わせる
議員年金を廃止する
地方議員は実費給付制にする
企業献金の禁止
都道府県ごとに特区を創設し地方を活性化
東京一極集中の是正
18歳から投票できるようにするなら70歳(例)で投票権を喪失させる






スバラシイ!!!

近現代史のターニングポイントたる可能性が・・・








posted by 絵師天山 at 00:24| Comment(1) | 歴史の真実

2016年09月21日

【歴史の真実】 “ワタクシ”まみれ





          250px-Yoshida_Shoin2.jpg





かの吉田松陰先生が幼い頃、
師と仰いだのは、
玉木文之進(たまき ぶんのしん)先生。

この御方は
松陰先生の叔父であり
明治時代を切り拓く指導者たちを育てた
松下村塾の創立者!・・であり
勿論長州藩士であり教育者。
そして山鹿流の兵学者。

長州藩では、松陰が相続した吉田家が代々、藩学である山鹿流師範家となっており、
松陰が若くして藩主毛利敬親の前で「武教全書」の講義を行ったりしたのも
玉木文之進先生のご指導のおかげ。


【司馬遼太郎著・坂の上の雲】の表現を借りれば
玉木文之進のまだ幼い松陰に対する教育方法は苛烈を極め、
授業中、蚊に刺されたところを反射的に掻いている松陰を見咎め
それこそ、土間に転げ落ちるほどに激しくブッ飛ばした!!

今、汝は天下国家の為に学んでいる、
つまり・・・今というこの時空は【公】である。
しかるに、今お前は蚊に刺された所を掻いた、
それは【私】である。
ケシカラン!!!
公に私を持ち込むことは一切まかりならん!!
言語道断!!
全くの了見違いでアル!!!
・・・・・と。


背筋も凍り付くむごい躾け?
・・・かも知れませんが、
【わたくし】まみれになって久しい現代日本人が
スッカリ忘れているのは・・・・・このあたり・・・・。



【公】に生きる。


これを完全に忘れた【ワタクシまみれ】人・・・
が、増殖し続けている昨今の日本であります。



ちょっと、話が飛びますが・・・
コンビニ弁当はびっくりするくらいマズイ、
もうズイブン長いこと食べていませんが
今はもうマシなのかも知れませんけれど、
そのマズサは尋常レベルでなく、サンドウィッチなどは何の味もせず、
牛乳で流し込むのが精いっぱい、
思いだしても腹が立つくらいマズイ。
なぜだろう?


ネットで検索してみると
いろいろ赤裸々な告白があって
コンビニ弁当を作っていた当事者の激白、・・・
プールの匂いのする消毒液にどっぷり浸したレタスを
そのまま洗いもせずに使う、
ハムなんか何が入れてるかわからん位添加物まみれ
パンはヤマザキのパンしか使わない・・・
職員は10円出せば貰えるのだが
貰って帰る人は誰もいない・・・
米だって照りを出すためと腐りにくくするために
あらゆるモノが添加される・・・
・・・・
アルバイトのコンビニ店員の激白には、
閉店後賞味期限ぎりぎりの弁当をいくつも貰えたので
冷蔵庫で冷凍し食費に困った時解凍して食べていたが
何週間経っても同じ味で、腐らないし、さすがに怖くて止めた・・・

・・・・
お葬式のプロが言うには、
夏の炎天下で焼場が混雑し、
順番待ちが続いて一週間も経つのに今時のナキガラは
一向に腐り始める様子もなく
昔の様に腐臭を抑える薬も必要無いのは
長期間、防腐剤まみれの食品をたんまり食っていたから??
・・・・・・



ぎょぎょぎょ!
見なければよかった、と思うくらいの絶句。


ヤマザキパンは毒まんじゅう、
マックはピンクペースト、
コーラは・・・・
味の素は・・・・・
アステルパームは・・・
ペットボトルが痛まないのは・・・・
朝鮮ではキムチに糞尿混ぜているとか
シナではウナギの稚魚のエサには人間の死体が最高、・・・とか
・・・・・
良くネット情報は、いい加減だから、
と識者づらした人はおっしゃるけれども
新聞がまだポピュラーでなかった昔は
新聞記事で言ってることは当てにャならん・・・
と普通に思われていたそうだから、
≪識者づら≫ナンカに委ねてはいられないし
その識者づらそのものが【ワタクシまみれ】だったり、

何が正しいか、間違っているかの選択は各々に委ねられている現代、

およそ、曇りなき眼で
前後関係を加味し、普遍なる人情を土台とし
因果関係を冷静に類推すれば、大体の実態は分かる。

その切り札は【公に生きる】側に立つこと。

【ワタクシまみれ】であるのかどうか?

これこそ一番大事な判断基準であります。


つまるところ、・・・
沖縄のハゲ知事が言ってる事は
シナ、朝鮮、アメリカ、ロシアには好都合、であろうし
御自分の主義主張の為に日本国を壊滅の危険にさらすハゲ、とその仲間たちであり

私腹を肥やしながら四流絵画を飽かず集めていた
開いた口が塞がらないマスゾエなど、論外としても
【ワタクシまみれ】の人々が波長共鳴して彼に投票したのであるし

二重国籍で華僑の利益代表者とばれたレンホー女史など
バレても開き直り、野党第一党の党首に出世する・・・など
外圧の利益代表であるマスゴミだけが
こぞって応援しているのも、スポンサーが神様の
【ワタクシまみれのマスメディア】であるからであり
自分の給料の為には人も国家も平気でがんがん売ってるんであり、

総理大臣の肝いりで防衛大臣を仰せつかり
外務大臣の圧力で靖国参拝は出来ず、
悔し涙を流したその後は、楽しそうに
韓流スターのグッズを身にまとい
意気揚揚と訪米、・・・メリケンのご機嫌をうかがい・・
防衛大臣というポジションの意味すらワキマエナイ稲田女史も
玉木文之進先生にブッ飛ばしてもらわなければならん!
し・・・・
ブッ飛ばしてもらってるうちにも容赦なく
テポドンは飛んでくるのだし


そもそもユダヤアングロサクソン支配の【ワタクシまみれ】のせいで
テロ、及び難民問題が大きく世界を揺らしているのに
国庫は自分のポケットマネーだと勘違いしているかのような安倍総理は、
日本の責任でもないのに、今後、
難民問題に数千億円をバラマクと公言、
日本の総理大臣ですら【公】と【私】とを
取り違えて平然としている・・・不思議。


自分の身の回りのエネルギーさえ足りていれば・・・・
世界の平和と繁栄のカギを握るエネルギー問題の根本には
目をつぶる、何も考えない、・・・
ただ原発反対のみ主張する・・・・のも
実は【ワタクシまみれ】の顕われに過ぎません。



そして結局【ワタクシ】にまみれた私たち国民自身が応分にそのツケを払う。
ツケ、といっても金とは限らないから却ってオソロシイ・・・・・








posted by 絵師天山 at 01:59| Comment(0) | 歴史の真実

2016年08月26日

松島取材

日本三景、仙台は松島へ取材しました。
日本の美は世界最高!!
中でも日本三景は特別、
天橋立、厳島、何れも海の美しさですね。

先ずは塩釜神社へ、
みちのく第一番の大宮であります。




          DSCN6252.JPG


松島の取材は何度かあり、雪を待って、早朝に駆け付けたりしたこともありますが、肝心なこの塩釜神社参拝は今回が初めて、・・・順序が逆になりましたが、此の度参拝できましてありがたいことであります。




          DSCN6253.JPG




          DSCN6254.JPG

正面参道だけでこの規模!




          DSCN6255.JPG




          DSCN6257.JPG

拝殿への鳥居からは松島方面の遠望が・・・






          DSCN6283.JPG

次いで、伊達政宗公の記念館へ、
蝋人形が不気味?なものの、
政宗公の御事績に感激!!
憧れる!!
信長公の後を継いだのはこの人でした

いつかは肖像画を描いてみたいと
思いますが・・・・
片目・・の理由は、果たして病だったのか
それとも・・・・・バテレン=イスパニア?
・・・の母方の血筋か??






          DSCN6304.JPG

観光船で松島遊覧・・・・





          DSCN6315.JPG





          DSCN6329.JPG





          DSCN6321.JPG





          DSCN6331.JPG





          DSCN6332.JPG


夕暮れに合わせて訪れた指折りの松島展望地、
大高森・・・
ここは徒歩で、
絵にも描けない美しさです・・・・









posted by 絵師天山 at 13:54| Comment(0) | 日本画の真髄